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椅子ごとカミロの傍から逃げ出すと、私は部屋の隅で騒いだ。
やはりハレンチ。変態神の元には変態が集まる。いかに私が魅力的であろうとも、いいか、胸はない。神に選ばれたる幼児体型。顔もさしたる自信はない。果てしない人間的な魅力に埋没してはいるが、女性としてはまだまだ未熟。でもきっと、いずれは大きく育つと信じる。
だいたい、これまで手を出さずにいてその態度はなんだ。命令されたらころっと変わってしまうのか。そんな安易な思考では自主性など育まれるはずもない。私はカミロのためを思って言っているのだ。まずは落ち着き、冷静に、そう、冷静に話し合おうではないか!
「落ち着け」
「わわわわたしはおおおちついて」
「落ち着け、俺はお前を無理にどうこうする気はない」
果たしてその言葉がどれほど信じられるだろうか。
疑り深くカミロを見やれば、怨敵は椅子に腰かけたまま、軽く手を上げて両手のひらを見せた。敵意がないことの表明である。
「いやなら前と同じことをすればいい。どうせ本当に犯したかなんて、あちらが直接確かめることはできないからな。……聖女を降りるときもそうだっただろう。俺とお前の話を信じただけだ」
「私はなにも言っていない!」
「否定しなければ同じことだ」
私は口を結んでカミロを見やった。
つまり、聖女引退は主に自己申告からなるわけだ。
私の場合は、宮中をめぐりにめぐったカミロとの不名誉な噂を、涙を呑んで受け入れたことからくるのだろう。
「でも、それじゃいくらでも嘘がつけるでしょうに」
カミロの話を聞くことには、どうにも片手落ちの感が抜けきらない。虚偽申告の可能性だって大いにあるはずだ。むしろ現在の私がそれである。
「……帰還の方法は、神殿の一部の人間か、王族しか知らない。聖女の条件が処女であることは、聖女の座を降りるまで知らされない。その状態であえて偽る必要性はないだろう」
偽るかもしれないではないか。たとえば、ひと夏のアバンチュールを大仰に騙る、夏休み明けの高校生のように。
「相手の男も口裏を合わせてか?」
「互いになにか深い事情があれば……いや、ちょっと待て、ちょっと待て!」
私は、考えに考え抜いた「脱処女と偽らなくてはならない、男女の間に横たわる深刻な理由」を滔々と語りかけ、あわてて自らさえぎった。
先代様の悲しくも切ない愛憎にまつわる妄想に基づいた妄想は、今は重要ではない。
「聖女をやめないと、帰るための儀式はさせてもらえないのでは?」
「聖女にいなくなられては困るからな」
それはつまり、処女をやめたら帰れないわけだ。しかし処女をやめなければ、帰るチャンスすらも寄こされない。
「詰んでんじゃん!」
私は頭を抱えて理不尽を嘆いた。
クソゲーではなかった。詰みゲーだった。ラスボス手前でパーティーメンバー全員のレベルを99に上げ、レベル3デスを万遍なく食らうような詰みっぷりだ。もはや円盤を割らざるを得ない。許すまじ!
○
さらに話を聞くことには、それでもやはり疑わしき聖女はいたらしい。
非処女を処女と偽るならば、その聖女が在位している限り、次第に土地が痩せていく。このことから聖女失格を察知し、新たな聖女召喚に乗り出すそうだ。
一方、処女を非処女と偽るとき。これは判断が難しい。聖女の条件は引退するまで知らされないとはいえ、まったく耳に入らない可能性がないでもない。口止めした侍女や衛兵からのポロリも十分にあり得た。となると、ストレスフルな生活脱出をめざし、適当な男と共謀することも考慮に入れねばなるまい。
まさか裸に剥いて確かめるわけにもいかないため、そのときは聖女とその相手への信用度で判断するそうだ。少しでも疑わしければ、帰る方法などないのだとうそぶいて神殿から放り出す。逆に、これは確実と思ったならば、失敗確定の帰還の儀式を行わせるのだ。
腹立たしいことこの上ない。あの神官長、なにが「この世界の生活に慣れたころに将来のことを話す」だ。慣れたころとはつまり、「深夜の密会相手ができたころ」のことだろう。
すでに手遅れになってからの情報開示など、お役所仕事も真っ青だ。責任を取って内閣総辞職ものである。
○
「俺は相当信頼されていたようだからな」
カミロが当たり前のように言った。対する私は椅子を引きずり、警戒心をむき出しにしながらもカミロに少しだけ近づく。
この距離は心の距離である。今は相変わらず、カミロの手の届かない位置にいる。
「あちらは疑いもしなかった。おかげで、こんなことになったわけだが」
えらいことになったものだ。カミロの虚言で国が傾く。
「……それで、お前はどうする気だ」
「どうするとは」
「嘘をつくかどうかだ」
喜んで山のような嘘をつこう。私はなにも迷うことはなくうなずいた。
あいわかった。今の私はカミロとただならぬ仲である。それはもう、夜ごとの逢瀬を繰り返し、快楽の追及に余念がない。想像するだけで顔が赤くなるようなこの虚実。顔から火を噴きながらほらも吹く。家族が寝静まったころ、こっそり起きて見ていた深夜アニメの知識を解き放つ時が来たのだ。
私はまたしても椅子を引き、カミロに近づきながらそう語った。カミロは私の様子に年中変わらぬ渋い顔で、わずかばかりのため息をついた。
「…………お前は、少しも疑わないんだな」
「なにを」
「俺がお前を殺す可能性だ」
近づいた距離だけ離れた。
まさか私に無体をする気ではあるまいな。この私の身になにかあれば、現代日本が黙っていない。いずれは日本のトップを担う人材のため、自衛隊が飛んでくる。戦争だ、戦争が起こるのだ!
座る椅子の縁を握り、私は小刻みに震えながら言った。さあ、このチワワのように震える哀れな私を殺せるか。それほどまでに心無い人間がいるだろうか。
「元いた世界では、お前はそれほどすごい人間だったのか?」
「すごい人間になる予定だった」
「……俺にお前を殺す気はない。互いに嘘をつく。それでいいな」
私の発言を無視して、カミロは勝手に話を進めた。この世界はまこと無礼がはびこっている。
「しばらくはこの屋敷にいろ。使用人たちはお前がいる理由も知っているはずだ」
「しばらく?」
「……ほとぼりが冷めるまでだ。ひと月近くはいてもらう」
ひと月、と私は口の中でつぶやいた。それから叫んだ。
「ひと月! だめだ、帰れなくなる!」
魔術の消費期限が切れてしまう。ベニートの報告によれば、魔術の完成はほど近く、ひとたび出来上がれば長くは持たない。魔術とは実に生もの的な存在であるらしい。
嘘をつけばよいのではないのか。それで満足はしないのか。純潔でなくなれば神殿も一安心のはずだろう!
私の言葉に、しかしカミロは首を横に振った。
「俺は一度嘘をついているからな。……おかげで、ずいぶん信用を失ったらしい。少なくとも今回の魔術が失敗に終わるまでは、俺はお前を外に出すわけにはいかない」
なんということだ。私は瞬き、懇願するようにカミロを見た。カミロはわずかに視線を伏せ、私と目を合わそうとはしない。
「こっそり、こっそり出すとかだめなの」
「無理だ」
「そこをなんとか! 私とカミロの仲でしょう!」
「だめだ。言っただろう、俺は神殿の人間だ。お前を帰すわけにはいかない」
にべもない。しかしここで引くわけにもいかない。
いやがる人間を閉じ込めるとは、これはすなわち監禁である。法治国家ならば即座に逮捕され、網走番外地にて冷たい体を男同士温めることになる。服役者には痔が多い理由を知っているか。
などと言いながら、私は椅子とともにカミロに詰め寄った。
「だいたい、神殿神殿って言うくせにその中途半端さはなんだ!」
「中途半端だと?」
ああそうとも。私の貞操に関して、神殿には大嘘ばかりつくくせに、監禁にはもろ手を挙げて賛同する。これを半端と言わずしてなんという。本当に神殿を思うなら、命令を受ければ是非もなく実行するべきではないか。
私が騒ぐと、カミロも応戦する。ならばお前は殺されたいのか、無理に犯されたいのか。俺が捕まえなければ、お前は他の男の元に行っていたかもしれないんだぞ。と少しばかりの苛立ちを滲ませつつ言うが、もちろんすべてまっぴらごめんである。
むしろなぜ、そこまで神殿に固執する。権力か、権力がほしいのか? それなら王子の元で私同様に忠犬となっていてもよかったはずだ。
もとはと言えばカミロは王子の腹心でもある。神殿か王子、どちらを選んでも、それなりの地位は保障されたはずである。
「カミロも大人しく殿下の手伝いをしていればよかったのに!」
私は叫ぶ。
「どうしてそんなに私の邪魔をする!」
「…………わからないか」
私の騒音とは対照的に、カミロは静かで低い声を出した。
「俺がこんなことをしている理由がわからないか」
腐敗した神殿で太鼓持ちをしたり、王子に対してスパイのような真似をしたり、えげつない命令をいともたやすく承ったり。
カミロは吐き捨てるように、そのようなことを言った。私との夜の定例会も、情報収集のためだった。王子の企みを横流しすることで、神殿の信頼を得ていたのだという。
「お前が殿下の元にいれば、いずれは帰ってしまうだろう?」
「もちろんだとも」
そのために、私は犬としての地位に甘んじているのだ。自らの帰郷のためであれば、どんな犠牲もものによってはいとわない。
だが、それがどうした!
「お前を帰したくないからだ」
カミロはいやに真剣な顔をして言った。本心だと思われるその表情に、私は裏切られたような心地がした。
私の愛郷心をもっとも間近で聞き続けたのは、カミロのはずではないか。それとも半分以上聞き流していたせいで、頭にも残らなかったというのだろうか。
「私が帰ってなにが不満だ!」
「はっきり言われないとわからないのか!」
「わからん!」
当然だとも。人間の口はなんのためにある。言葉を発するためにあるのだ。目と目で合図して意思の疎通が図れるならば、口はすでに退化し、代わりに目玉がもう少し増えているはずだ。
「お前というやつは……!」
珍しく声を荒げたカミロは、自分の感情に苛立たしげに口を曲げた。
カミロが落ち着こうと頭を振る一方、私はといえばすっかり言い合いに夢中になり、距離を取るのも忘れて真正面に陣取っていた。
さあ、まだなにか言うことはあるかと待ち構える私に、顔を上げたカミロは鋭い視線を向けた。
体は前のめりに、身を乗り出して私に顔を近づける。額が触れるほどの距離に驚き、私は思わず身を引いた。
「…………俺はお前を帰したくない」
私の視界はカミロだけが映り、カミロの瞳には私の姿がある。青い瞳が落ち付かない感情に揺れて、瞬いた。
面食らう私に、カミロは口を開いた。一瞬、噛みつかれるような気がした。
「お前に惚れているんだ」




