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3-1

 新しい朝が来た。希望のない朝である。

 身を起こしてみれば知らない部屋。やわらかいベッドの上で呆ける私に、朝日が無遠慮なまでに照らしていた。私の気持ちも鑑みず、今日も清々しい上天気であるらしい。

 私は眠い瞼をこすりながら、昨晩の不遇を思い返していた。


 ○


 涙ぐましい自己犠牲によってショウコを逃がした後、私はついに囚われの身となってしまった。神殿兵を従えた裏切り者ことカミロに対し、勇敢なる私はただ一人。多勢に無勢。卑怯者には敵うはずもなし。さしもの私も、大の男に取り囲まれ、徹底抗戦を貫くほどには豪胆ではなかった。

 いや、むしろ怖がりであるし、繊細でもある。ガラスのハートはギザギザで、痛みと恐怖には格別弱いという自負もある。今なら足をなめろを言われれば、皮が剥けるくらいにはなめて差し上げようという覚悟すら、早くもできていた。ただし恨みはうず高く積もる。楽に死ねるとは思わぬことだ。

 こうしてすっかり委縮した私をさておいて、カミロは兵たちになにやら指示を出すと、自らは私を担ぎ上げての撤退に入った。

 わけもわからず運搬される私。なにやら神殿の裏手から王宮の敷地を出て、あとは馬車に乗り換えたらしい。

 混乱の極みにある私は、大人しく搬送され、どこぞの屋敷の一室に押し込められることと相成った。

 哀れ、私は籠の鳥である。


 ○


 思い返せば腹が立つ。

 この私になんたる無体。不安で夜も眠れなかったではないか。しかし朝方には眠っていた。おかげで寝不足である。

 私も誇り高き文明人だ。野蛮人に力では屈しても、心は屈しないぞ。さあ、なにが望みだ、言え! 足をなめるのか? 素手でトイレ掃除をするのか? それで満足か!

 などと八つ当たりに枕を叩きのめしていると、部屋に叩音が響いた。扉に目をやれば、今まさに開かれんとしている。


 入ってきたのは見覚えのない老いた侍女だった。「おはようございます」とにこやかに笑う。

「さあ、まずは体を清めましょう。それからお召し物をお変えして、カミロ様をお待ちしましょう」

 だが断る。

「お召し物、昨晩のままですからね。汗もかかれたでしょう。殿方の前ではきれいにしなくてはなりません」

 そう言いながら、侍女は枕を抱えておびえる私を気にも留めず、無遠慮に部屋の中へ入ってきた。彼女の後ろから、体格の良い若い侍女が数人ついてくる。はちきれんばかりのメイド服を見て、なるほど、ショウコが茶会で見た侍女の姿をしたゴリラとは、彼女たちようなものであっただろうかと納得する。納得と同時に恐怖が湧きたつ。

「怖いことなどありませんよ。大丈夫、大丈夫」

 ベッドの隅で震える私に、なだめるように侍女は言った。

 いいや、騙されてなるものか。誘拐犯に言葉を交わす余地などない。私はかたくなに彼女たちの接近を拒み、恐怖と怒りのにじんだ瞳で睨みつける。

 侍女たちなんかに絶対負けないんだから!


 ○


 侍女たちには勝てなかった。

 いや、もうあれは侍女ではない。進化の方向をゴリラに向けた新たな生物だ。ダーウィンも手を打つ進化の奇跡だ。

 嫌がる私をベッドから引きはがし、軽々と担ぎ上げるその雄姿に、私はなぜ彼女が侍女などという器に収まっているのか不思議に感じたくらいである。山へ帰ればヌシと呼ばれ、生きとし生ける獣たちから一身の尊敬を集められただろうに。

 おかげで私はすっかり体を清められた。汗はさっぱり、心もすっきり、服も着替えてリフレッシュした。人間、まずは身だしなみからである。

 洗われながら聞いたところによると、現在、私はカミロの住処に連れてこられてしまったらしい。カミロの実家ではなく、城下にある別邸なのだとか。現在、彼は外出中であるが、日暮れ前には帰ってくるそうだ。それまでにせいぜい着飾って待っていろとの命令であった。

 果たして私はどうなってしまうのか。

 恐怖におののく私に、侍女たちは「うふふ」と意味深に笑って返した。身の危険を感じる。


 ○


 そうして放り込まれたのはカミロの部屋だった。

 寝室だろうか。なかなかに広く贅沢なつくりで、カミロの高い身分をうかがわせる。そのくせ調度の類がほとんどないのは、部屋の持ち主の性格を反映しているのだろうか。私は部屋を見回しながら、適当な椅子に腰かけた。

 そろそろ日も沈みかける頃。どれほど身支度に時間をかければ、朝からはじめてこんな時間になるのだろうか。と思ったが、時間がかかった原因は主に私が抵抗したからだ。


 騒々しい身づくろいから一転、部屋に放り込まれた後は静かなものだった。窓の外から虫の鳴き声が聞こえる。ため息をつけばやけに耳に大きく聞こえ、憂鬱の度合いが深くなる。

 あれから、ショウコや駄犬は無事に逃げおおせただろうか、と私はぼんやり考えた。

 無事でなければ私が無駄死にとなるので、ぜひ逃げ切っていてほしいものだ。それともまさか彼女たちまで捕まって、私同様に軟禁されているのではなかろうか。そう考えて、私は頭を振った。

 一人になるとどうにも落ち着かない。不愉快な想像もたくましく枝葉を広げ、分岐ルートをいくつも作っていく。どれもこれもバッドエンド直行なのがいただけない。

 せめて私にだけはハッピーエンドを。その余波でショウコたちにもハッピーエンドのおすそ分けをするよう、元聖女として神に懇願する。

 しかしいくら考えてもいやな気分は振り払えず、私は暗い顔で窓の外を見やった。


 藍色の空には薄い雲が伸び、眼下には城からでは見えなかった景色が広がっていた。

 城よりもだいぶ小ぶりな庭の先に、城下の街並みが見える。色づいた家々の屋根に、真っ直ぐに伸びる大通り。初めて見る城の外に、私は少しの興味を奪われた。

 川はないだろうかと探してみると、視界の端にアーチ状の橋のかかった大河に気づいた。

水はゆるやかに流れ、空を映して暗い色をしている。

 万が一元の世界に帰れなければ、あそこがいずれ、私の終の棲家になるのかもしれないのだと、いらぬ親しみを抱いたときだ。


「ナツ」

 部屋の扉の開く音とともに、そんな声が聞こえた。反射的に飛び上がり、扉を見れば奴がいた。

「出たな! 悪徳の権化!」

「なんだそれは」

「私をさらってどうする気だ誘拐犯! 私にそんな価値はない!」

 センチメンタルも瞬時に消え、私は怒りに声を荒げた。だが、毛を逆立てて威嚇する私を尻目に、カミロは特段気にもせず部屋の扉を閉める。

「……価値はある」

 何気ない足取りで私の近くにやってくると、カミロは傍にあった椅子に腰かけた。そうして腕を組み、私を見やる姿は、城にいた時となんら変わりはない。やけに見慣れた光景が、逆に私を落ち着かなくさせた。

「神殿にとって、今のお前はそれだけの価値がある存在だ」

 なるほどつまり、私の有用性に遅まきながら気が付いたということか。老木にふさわしい節穴ぶりである。

「お前が馬鹿なことを言ったからだ。大人しくしていれば、襲われるような目には遭わなかったものを」

「馬鹿なことだと」

 心当たりしかない。かつて、一度として自らの発言に責任を抱いたことのない私には、どの言葉か見当もつかなかった。腕を組んで首を傾げると、カミロがひたすらに渋い顔をした。

「お前が処女だなどと魔術師どもに言ったことだ」

「本当のことだから仕方ないね!」

 処女でいったいなにが悪い。私は身持ちの堅い貞淑な女であるのだ。名誉なことではないか。

 それともさては、ショウコを狙い聖女を空位にした際、再び私をその座に据えようというのだろうか。

 反対! 断固反対! 私は元の世界に帰るのだ!

「帰られたら困るんだ。……わかるか? 異界を渡ることができるのは聖女だけだとは知っているだろう」

「それがどうした」

「処女でなければ帰れないということだ」

 む、と私は口をつぐみ、腕を組みなおした。訝さのあふれる私の表情を見て、カミロが解説を加える。

「……異界を渡る力は、父神の妻である処女神が持つものだ」

 しかしその処女神も今は亡き神。代わりにロリコンのお眼鏡に適った人間をピックアップし、こちらの世界に連れてきている。父神はそれを妻とし、神の眷属とした。

 そのようなカミロの話を聞きながら、私はうなずいた。

 つまり私は神になっていたのだ。なるほど、これは近年稀に見る好待遇。今までの不遇すらもはねのける。

 いや、私のポテンシャルを考えてみればさもあらん。遅すぎるくらいだと、自尊心が心地よくくすぐられる。

「それを聖女と呼ぶのはこちらの勝手だ。神にとって相手が異界を渡った処女であるのならば、それが聖女であろうと、聖女でなかろうと変わりはない」

「なるほどなるほど、処女でよかった」

「よくない」

 カミロは一言で断じた。顔を見れば、すでに解説者としての表情を消し、まじめかつ脅迫的な視線を私に向けている。

「神殿はお前を帰すわけにはいかない。帰る方法があると知られるわけにはいかないからだ」

 瞬く私に、カミロはなおも続ける。

「おかげでひどい命令を受けた」

「命令?」

 カミロはわずかばかり口を曲げ、抑揚の少ない声で言った。相変わらず感情の見えない表情だ。

「お前を殺すか、犯せ、だと」

 身の危険を感じる。

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