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 魔力の搬送は無事に終わり、これから成形に入るとベニートから聞いた。

 相変わらず宮廷魔術師たちの秘密の部屋は教えてもらえず、どこからともなく現れたベニートに拉致されたときのことだった。


 現在いるのは、神殿の空き部屋。神殿では祭室で儀式が行われているさなかであり、私たちのいる部屋周辺は人気もなく、静まり返っていた。

 ショウコの危機からあまり間もないというのに、儀式は儀式でつつがなく。人の気持ちなどいざ知らずとは、さすがのお役所仕事である。

「形を作ってしまうと、もう長くは持ちませんからね。形ができるまであと……二十日くらいでしょうか。出来上がったらすぐにリベリオ王子殿下にお伝えします。それから、ナツ様やショウコ様にお話がいくと思うので、よろしくお願いしますね」

 なぜ王子が間に挟まる。無駄を省いて直に私に話を寄こせ。

「宮廷魔術師は、殿下の管理の下にあるんですよ。私に勝手な真似はできません。居候の身ですから」

 ふうん、と私は相槌を打った。どこまで行っても悪魔の魔手に先回りされている気がする。

 王子恐るべし。我が復讐が成る日は果たして来るのだろうか。復讐と言うよりは、もはや悪魔退治に近い心境である。

「しかし、魔術ってところ変われば随分変わるもんなんですねえ。私たちは大きな魔術しか扱ってきませんでしたが、宮廷の方々の小さくて効率的な魔術は面白いですよ。人の目をごまかしたり、こう、手から小さな火を出したりとかですね。軍用なんですかねえ、アレ。殿下らしいです」

 しらんがな。

 ベニートが嬉々として無駄話を始めたところで、時を告げる鐘の音が鳴る。そろそろ正午という頃であり、儀式も終わる時間だろう。

 神殿の裏切り者と相成ったベニートは、あまり危機感もなく「では」と言って部屋を出て行った。

 後を追って部屋を出ていくが、神殿の静かな回廊にはすでにベニートの姿なし。私一人がぽつりと立っていた。

 なんとも神出鬼没な人間となってしまったものである。彼も随分と成長したものだ。


 ○


 一人になってしばらく。

 神殿には儀式に追いやられていた人々が戻ってきた。下っ端神官があわただしく業務に戻り、貴族たちがあくびをしながら帰り道を探す。静謐なる神聖な建物とは思えない俗な空気が満ち始めた。

 さて、そろそろ来るかと思っていたら、やはり来た。

 赤毛の駄犬を引き連れて、神殿の奥からショウコが私に駆け寄ってくる。

「ど、どこ行ってたんですか」

 私の手をぎゅっと握りしめ、ショウコは泣きそうな声で言った。

「一人でどこかへ行かないでください。私、ナツさんがいないとと不安で……」

 私の全身を確かめ、ようやく安心したようにショウコは息を吐いた。儀式を終えたばかりの彼女は、よほど探し回っていたのだろうか、額に少し汗をかいているようだった。

 私を握る手は、熱を持っているようだった。


 ○


 つまりどういうことかと言えば、ショウコは実に臆病になったのだ。


 世に信ずるものはなにもなし。世界のすべてが敵である。という私の言葉を真に受けたのかは知らないが、すっかり人間不信となり果ててしまった。

 今の彼女に信じられるのは、同郷の私と単細胞の赤毛と、幾人かの仲の良い侍女ばかり。他はすべて、王子の息がかかっているようで怖いのだという。

 日々不安でたまらなくて、誰かに傍にいてほしい。そんなときに現れたのが、安心と信頼の私であった。


 しかして主人が不安の泥濘に沈む一方、赤毛の短毛種は絶好調である。

 ショウコの信頼が彼の餌となり、忠義はとどまるところを知らず伸び続け、現在は天をも穿つバベルの塔となった。不埒な思いをおもむろに忍ばせた忠義は、いずれは崩れる予感しかしない。

 むろん本人はそんなことは思わない。希望の芽が出たとうぬぼれ、機嫌は常に最高潮をキープ。番犬にふさわしい威圧具合で、ショウコに触れるものみな傷つける。傍に寄れば私まで威喝されてしまうという有様で、しばしばショウコにしつけられている姿を見た。


「俺は絶対にショウコを裏切らねえ」とは赤毛の言葉である。「殿下からだってお前を守ってやる」

 それでショウコを安心させようというのだろうが、少し違う。彼には裏切るだけの知性と教養が足りない。ゆえに信頼できるのだ。

 知らないというのは幸福なことである。


 ○


 私が神殿にいるのも、ショウコに連れてこられたからだった。

 儀式には出席する義理もなくふらふらしていられたが、終わればすぐに捕獲される。そして現状の有様である。女同士で手を握ってなにが楽しいのか。

 一部楽しい人もいるらしい。胸も揉むらしい。

 揉まれる胸もない私でも、女子高暮らしで多少は学んだ。世の中には多種多様な性癖に満ちている。


 まあよかろう、と私は思っていた。

 これも人徳である。人間的魅力のなせるわざである。

 関東平野よりも広い懐と、日本海溝より底の知れない器を持つ私。おびえるショウコの一人や二人、簡単に受け入れてみせようではないか。


 ○


 そういうわけで何人ものショウコを詰め込み、日本海溝を埋め立てているころだった。


 日も暮れかけ、空が薄く藍色を帯び始める時間。午前中のショウコを埋め立てた私は、一人で王宮内をうろうろとしていた。

 ショウコも私も王子に反発中とあっては、あんな護衛などもはや監視以外のなにものでもない。追尾性能の高い旧監視役のカミロも近頃は夜のほかに姿を見せないため、逃走は比較的たやすかった。


 今日は日が落ちてから夜会である。ショウコはそのための準備に追われ、私から引き離されての魔改造中である。

 夜会に出席する気は毛頭ないが、「夜会場まででも一緒に来てください」と美少女に懇願されれば、断ることは鬼の所業であろう。

 同郷のよしみでもあり、似た境遇でもあり。まあそれくらいならと引き受けた。


 ○


 現在は調査も中断。魔術師たちを追い詰めようにも、菌類の新たな生息地を知らないとなれば、することなどあるはずなし。ならばショウコの魔改造が終わるまでは、時間の浪費にいそしむばかりだ。

 などと適当にさまよっていると、柱の影からちょちょいと手招きするものあり。「なにやら不審人物!」と目を凝らしてみれば、どうも見覚えのある人間らしい。

「ナツ様、ナツ様ちょっと」

 と、その人物は人慣れない声を上げた。声につられてふらふら寄って観察してみると、憎い記憶とともに、彼が何者だったか思い出す。


 全身を薄汚いローブで覆い、人間恐怖症を凝縮した目で見つめる男。体中から「我こそは不審であるぞ」と主張するこの人物は、いつかの魔力運搬中に出くわした魔術師の一人であった。

 さらに言えば、憎い記憶とは例の慎重に慎重を重ねた討議である。彼はベニートと並んで、最後まで私を「ナシ」と主張したのだ。恩は忘れても恨みは忘れないという人間心理に従って、私はこの男の姿を記憶の中に永久に保存した。

 彼が記憶から消える日は、私の手によって彼自身がこの世から消える日である。


 もちろん、私はそんな恨みを全面的に表には出すような真似はしない。滲み出すだけである。

「どうしたんですか?」

 とげとげしい言葉をかける私に、魔術師はおびえて目をそらす。

「あ、あの、帰還の魔術の件なんですが」

 どうやら事務連絡だったらしい。なにかあったのかと問いかけると、魔術師は居心地が悪そうに目を伏せた。

「ちょっと、問題が起きてしまいまして」

「なんですと!」

「しっ、静かに。あんまり大きな声では言えないことなんです」

 あわてて私の言葉をふさぐと、魔術師は周囲を警戒深く見回した。幸いにも、夜会の支度で慌ただしい城内、侍女たちの掛け声や足音で、私たちの声はかき消された。

「なにがあったんです? もうすぐ魔術はできあがるのでは?」

 ベニートの報告を受けてから、もう数日が過ぎている。魔術の完成と、私の帰還は目前であるはずだった。

「ここでは言えないことなんです。とにかく、元の世界の帰還には問題があって。ええと、場所を変えて話をしてもよいでしょうか。宮廷の研究室は知らないでしょうから……神殿の方に来ていただけますか?」

 致し方あるまい。私は自らのためであれば、問題解決のために全力を出そう。とはいえ、私も多忙の身。今すぐにというわけにはいかない。

「夜会が始まった後でいいですか? それまではちょっと用事があります」

 構いませんよ、と魔術師はうなずいた。


 ○


 軽い別れの挨拶を交わして、魔術師は去って行った。

 私は柱の影に腕を組んで立ち尽くす。問題とは果たしてなんのことだろうか。やはり帰れない、などとふざけたことを抜かすのであれば、彼らに二度と朝日は昇らない。地下へと続く入り口をふさぎ、腐海が二度と地上に出ないようにしてやろう。


 私がこれまでいくつ固めてきたか分からない決意を懲りずに固めていると、背後から知った声がかかった。

「……ナツさん?」

 ショウコであった。私は心臓が跳ね上がる心地がした。

「ナツさん、今、誰と話していたんです?」

 胡乱な声でそう言って、ショウコはあたりを見回した。魔術師はもういない。私一人きりだ。それを確かめると、ショウコは私をまっすぐに見やった。

 彼女の視線は痛かった。針のむしろもぬるま湯と感じる痛さであった。菌類よりも先に、私が痛みによってショック死をしてしまう。

 まさかショウコ、さっきの話を聞いていたわけではあるまいな。

「帰還、ってなんのことですか」

 聞いていた。私は死んだ。この世には夢も希望もない。

「…………なんで、私に黙っていたんですか」

 ショウコの声は震えていた。私の足も震えていた。身がすくむ思いとはまさにこのこと。

 わたしはめのまえがまっくらになった。

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