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ところ変わって王宮の貴賓室。
ショウコに会えたのは、例の襲撃事件から実に数日後のことだった。王子に会うよりも、ショウコに会う方が時間がかかるとはこれいかに。VIP待遇の最警戒態勢とはいえ、元聖女である私の面会希望も通らないのか。
厳重な警備網を潜り抜け、ショウコと対面した時にはすでに日も暮れかけたころだった。
○
ショウコはベッドに臥せっていたが、私の訪問に気が付くと、力なく起き上がった。
私に椅子をすすめ、テーブルを挟んで向かい側に自身も腰を掛ける。テーブルの隅に花が活けられ、ショウコの姿に呼応するようにしおれていた。
窓からは秋風が吹き込んでいた。落ち始めた太陽の残す赤色が空を染め、遠くから時を告げる鐘の音が聞こえる。こうしてゆるやかに流れる空気とは裏腹に、ショウコの部屋の外は物々しい男たちが取り囲んでいるのだ。
ショウコのもっとも傍で守りを固めるのは、やはり赤毛の護衛であった。向かい合う私たちを注意深く窺いながら、扉近くの壁に背を当てて立っている。
「お久しぶりです、ナツさん」
ショウコは言った。
「会いたかったです…………」
そしてしとりと泣き出した。なにを血迷ったか、せっかく座ったばかりの椅子を立ちあがり、身を乗り出して私の体に抱きつきながら。
半端な姿勢が痛かったので、ショウコに合わせて私も立ち上がる。
彼女は私の品のある胸に顔をうずめ、両手で私の袖を握った。
しかして私は混乱のさなかにあった。魔術師連中が手をこまねき、宮中の人々が渇望し、微笑むだけで人を恋に落とすキラーマシン。そんなショウコが私に抱きついているのである。世を嫉妬の渦に陥れてもおかしくない状況である。実際、赤毛の護衛が憎々しさに殺気を交えて私を睨みつけていた。
これはいったいなにごと。
「し、ショウコちゃん?」
「怖いです、ナツさん」
ショウコは私の腕の中で肩を震わせた。
「この世界、怖いです…………」
かすれた声でショウコはそう言った。布越しに、ショウコの熱い吐息と、鼻をすする気配がする。生ぬるい体温が腕の中でうごめくのは、どこか奇妙でくすぐったかった。
「私……帰りたいです」
引き離すわけにもいかず、私はショウコが落ち着くまで、大人しく胸を貸した。
赤毛の羨望の視線を感じる。これが人間力の差というやつだろうか。
○
諸悪の根源が王子であることは、ショウコの知るところにあるらしい。
いや、むしろショウコは自らその結論を導き出しただけ、私よりも優秀と言えよう。
例の茶会は王子の差し金だったらしい。考えてみれば、主催は王家の姫であり、王子の息がかかっている可能性は十分にあったのだ。
護衛と言う名の男連中を引きはがし、女だらけの秘密の茶会。集まるのは貴族の令嬢と侍女ばかり。これはもう誘っているとしか言いようがない。
しかし見事な据え膳に襲いかかってみれば、実は侍女たちはゴリラだった。給仕の女に扮した刺客は、いざ襲いかかってはみるもののあえなく撃退。今回の結末に至ったのだ。
「やけに体格のいい侍女さんばっかりで、おかしいとは思っていました」とはショウコの言である。光景を想像するとシュールである。
さて、そんなに手際よくいくものだろうかとショウコは考えたわけだ。思えば誘い受けは王子の常套手段。タチのように見えてネコ。王宮の噂もはかどるというものだ。
考えれば考えるほど、怪しいのはあの悪魔。そもそもショウコの立場を危うくした根本の原因さえ、王子が作り出したものだった。
ショウコが臥せっている理由は、例の襲撃事件のショックはもちろん、王子の悪業の深さにおののいたせいでもあったそうだ。
さらに聞いてみると、実は明るみに出ないところで、ショウコの危機は他にいくらもあったらしい。
命に係わるほどではなくとも、もはやいたずらやいやがらせでは済まされない。しかしそれが、秘密親衛隊によるものか、権力闘争に混じりたい貴族なのか、それともこのビッグウェーブに乗りに来た物好きなのかも判然とはしなかった。
その状態で職務放棄とは、あの駄犬はまごうかたなき駄犬であろう。
ショウコの話を聞きながら、扉の前に立つ赤い駄犬を見れば、彼はばつが悪そうに目を背けていた。反省の余地くらいはあるらしい。
しかし学習しないのも駄が駄たるゆえん。あまり期待はできないに違いない。
○
ショウコの話を聞きながら、背中を撫でることしばらく。
空は暗さを増し、夜の色を濃くしていた。ショウコの泣き声も次第に収まりはじめたが、私の体を離してはくれなかった。泣き濡れた哀切な瞳が、私に同情と共感を強要した。
ショウコを抱えて困惑していると、不意にノックの音がする。
見れば扉が開くところだった。赤毛があわてて扉の傍を離れ、入ってきた人物に苦々しく敬礼をする。
「……ショウコ、気分はどうだ」
リベリオ王子だった。そういえば、相変わらずの通い妻、もとい通い夫をしているのだと噂に聞いたことを思い出す。
王子は私の姿と、その腕の中のショウコを見やって、かすかに眉間にしわを寄せた。残念ながらヒロインを慰める役は私に決定してしまったのだ。悪いな王子、この役割は一人用なのだ。
などと一人優越感に浸っていたら、先ほどからしっとりと私の品の良い胸を濡らしていたショウコが顔を上げた。
「出て行ってください」
「ショウコ」
「会いたくないです。出て行ってください!」
腕で乱暴に涙をぬぐい、ショウコは彼女らしくない荒い声音を上げた。王子を睨むその表情には、強い拒絶の意がありありと浮かんでいる。
「ショウコ、私の話を」
「あなたなんて嫌いです。出て行ってよ!」
ショウコはテーブルの花を抜き取ると、感情任せに王子に投げつけた。哀れしおれた花は王子にも届かず、床の上に落ちる。とばっちりである。八つ当たりである。しかし誰にも見向きがされない姿は、どうにも私自身と重ねてしまう。名も知らぬ花、哀れなり。
「顔も見たくない!」
王子は少しの間、感情の見えない顔でショウコを見つめていた。ショウコは唇をかみしめ、涙があふれてくるのを堪えている。
そんな主役的な成り行きの中、私と赤毛は空気であった。おそらくはそこらの置物と変わりない。ショウコに胸を貸す身でありながら、あのしおれた花の方よりも無用の存在となり果てた。
「…………また来る」
王子はショウコの視線に押し負けたのか、目をそらしてそう言った。無表情の代名詞として世界にその名をとどろかせた王子の口元が歪み、苦痛の色をうっすらとにじませる。
しかし、すぐにまた表情を消し、王子は部屋を出て行った。
かくして悪魔は聖女によって討伐されたのだ。めでたい。
○
めでたくなかった。
王子がいなくなったあと、ショウコはついに声を上げて泣いた。
いつもしとしとと泣くので、彼女のそんな姿を見るのは初めてだ。私にしがみついて、恥も外聞もなく大泣きするショウコは子供のようだった。
「信じていたんです」
嗚咽を交えながらショウコは言った。
「……信じたかったんです。私にこの世界のことも、神殿や王家のことも教えてくれたのは王子様だったのに」
ショウコとともに、教育係と言う私に与えられた役職名が泣いている。
「それなのに、私のこと、襲われて死んでもいいって思っていたんです。王子様……私、信じていたのに、きっと、きっといい人だって」
いいやあれは悪魔だ。魔界の覇王だ。そんなものを信じてはならない。
そもそもが、信じるから裏切られ、傷つくのだ。もはや世界のすべてが敵。誰も信じぬ修羅の道にこそ活路あり。世はまさに世紀末、己の力以外に信ずるものなどありはしない。女は強くなければ生きていけないし、優しかったら生きる資格もない。しょせんこの世は弱肉強食、実にハードボイルドなワンダーランドなのだ。
人を慰めることに不慣れな私が混乱し、自分自身でさえもわけのわからないことを言い募るが、さすがのショウコも誤魔化されなかった。顔も上げないまま、更けていく夜の闇に泣き声を響かせる。
泣きくれるショウコを前に、すっかり途方に暮れる駄犬が二匹。
どこまで行っても役立たずは役立たずにすぎなかった。




