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 王子の思うままに動くのは癪だが、魔窟へは顔を出さないわけにはいくまい。

 翌日、適当に選ばれた腕が立つらしい護衛を引き連れ、私は魔術師たちの巣窟へもぐっていった。途中で中年の男とすれ違い「あ、ナツ様」と言われたが、特に心当たりはなかった。「どうもどうも」とお互いに会釈をして別れるばかり。

 このやり取りに、久しぶり感をまざまざと感じさせられた。


 懐かしの魔窟は強烈である。

 随所にオトコダケが生え、暗い顔をしたいかにも女人と無縁そうな男が、女人が避けそうな足取りで歩いている。陰惨を絵に描いたようなうす暗がりの中から、ときおり泣き声が聞こえ、滂沱の涙を流す男たちがいるのも相変わらずだ。思わず目を背けたくなる。

 しかし、足を踏み入れてしまったからには目を向けざるを得ないのが現実だ。


 ○


 地下洞穴の半ば。研究室へ向かい扉の続く一本道を歩いていると、なにやら四方から魔術師たちが集まってきた。

 どこか遠巻きに、私と護衛を陰気な顔で取り囲む。よくよく見れば、誰もかれもが目に涙を浮かべていた。

 ははあ、また桃色変態どもに瑣末な事件があったらしい、と私はすぐに悟った。今度はどれほど些細な噂を聞いたのか。彼ら童貞は、まったく繊細で傷つきやすい。

 などと魔窟の惨状知ったる私と違い、不慣れな護衛はぎょっと腰の剣に手をかける。突如集う魔術師たちに不気味な気配を感じたのか、それとも彼らの名状しがたい顔つきを見たためか。

「ナツ様、お伺いしてもよろしいですか」

 護衛の剣に怯みつつ、魔術師たちは私に詰め寄った。

「ナツ様、ショウコ様が非処女って本当ですか!」

「ショウコ様は中古になってしまったんですか!?」

 なにごと!?


 ○


 困惑する私を中心に、陰惨たる人だかりは増えていく。地下中の魔術師たちが集まって涙を流す様は、もはや地獄絵図などという安い言葉ではすまされない。地獄も遠慮して道を譲るレベル。どこか湿った地下の空気は、男たちの涙が気化したものであるのだろう。

 そんな湿気集団から一人の魔術師が歩み出て、震える声で説明した。

「先ほど、副神官長代理補佐様がいらしたんです」

 なにやら久々に聞いた名だ。記憶に沈んだその容貌を思い出そうとすると、先ほどすれ違った中年男の顔が浮かんだ。まったく気が付かずに会釈を交わしてしまっていたらしい。

「それで、今回集約した魔力は帰還ではなく、召喚にあてろと言うのです。新しい聖女様を召喚すると!」

「なんだと!」

 私のために集めた魔力をなぜに勝手に流用しようとする。悲しみに震える魔術師と相対するように、私は怒りに震えた。

 そんな横暴許してなるものか。反対、反対!

「ショウコ様は聖女の資格を失ってしまったのですか! ショウコ様は私たちのことを裏切ったんですか! 相手はどんな顔のいい男なんですか!!」

 やはりあれほどの天使も顔だけで人を判断するのか。顔と常識と交流能力のない人間には女人は微笑まないのか。世は理不尽なり。神は我らを見捨てたもう。

 男たちの涙の咆哮が、四方八方響き渡る。悲しいかな、世の中の八割は顔で決まる。

 そうでなければこの類い稀なる才能と徳を持つ私が、現状の不遇に甘んじていられるはずがない。


 魔術師たちの湿っぽい主張に同調しつつも、私は腕を組んだ。しばし思案に暮れる。

 つまりショウコは聖女ではなくなった。つまりそのために新しい聖女が必要だ。つまりは私の魔力は没収。なるほどわかりやすい流れである。わかりやすいがまったく理解はできない。

「ショウコが聖女でなくなったと? いつ、どこで、誰とです!?」

 まさか王子か。未だに日々、ショウコの部屋へと通い続けていると噂のあるあの男か。

 ならん、あいつだけはならんぞ、と私は拳を握りしめる。やつこそは顔だけ男を追求したような悪魔。飼い犬に餌をやらずに過労死させるようなブラック飼い主だ。無理と言うことは嘘つきの言葉だし、世界同一賃金は導入するべきなのだ。

「ナツ様もご存じないのです?」

「ご存じないのです。相手は誰だ!」

 事と次第によっては処刑が始まる。異郷で不安に震えるいたいけな処女、もとい少女に甘い言葉を吐き、傷物にするなどとは人間の風上にも置けない。そんなものはただのつり橋効果だ、心細さを愛情と勘違いしてしまったのだ。許せん!

 私の怒りを遠巻きに眺めながら、魔術師たちはなにやら小声で囁きあう。彼らの陰惨な表情には、次第に疑惑の色が混ざりはじめていた。

「ナツ様が知らない……?」

「仲の良いナツ様にも、相手のことは告げなかったというのか?」

「いや、ショウコ様が黙っておられたのかも」

「そういえば副神官長代理補佐様は相手が誰かはおっしゃらなかったな」


 ざわざわと騒ぎ始める魔術師たちを掻き分け、誰かが「ナツ様」と呼んで近づいてきた。

 見れば、今は懐かしきベニートである。相変わらず涼しげな頭髪をしていた。

「ナツ様、いらっしゃったのですね。ショウコ様のこともお聞きになったようで」

 聞いてしまった。なんだか裏切られた気分である。具体的には、「絶対に男なんていらなーい、やっぱり友達が一番!」と言っていた親友が、翌日には彼氏を連れて歩いているような漫画の主人公の心地である。

「心当たりはないのですね」

 私のことではないから知らないが、ショウコ周辺にそれらしい気配はなかったように思う。

 知らない旨をベニートに告げると、彼は眉間に深いしわを寄せた。渋い顔で顎に手を当て、かすかに目を伏せる。

「ナツ様、並行してためていた魔力があるのを覚えておりますね? あれは失敗しました」

 なんだと! 役立たずめ!

「失敗したことにします。魔力は通常分しか集まりませんでした」

「……うん?」

「残りは別の場所に移しましょう。宮廷魔術師の方に少しつてがあります。彼らの研究室に頼ってみましょう。……あまり頼りたくはなかったのですが、仕方ありません」

 ベニートは実に苦々しい顔をした。宮廷魔術師に頼りたくないのは本心だったらしい。仲の良し悪しでもあるのだろうか。

 いぶかしむ私も構わず、ベニートは言葉を続けた。

「ナツ様が暴れまわったおかげで、こちらの魔力集約の進捗について、神殿はうまく把握できていないはずです。並行集約した分を、帰還用にあてましょう。ショウコ様を元の世界に帰すのです」

 先ほどから言っている意味が分からないうえに、なぜ私を省いた。私も元の世界に帰るのです。


 ○


 意外にもベニートは真剣そのものであった。あの女人に不自由そうな顔を引き締め、早口になりがちな口調をさらに早めて、首をひねる私に不器用に説明する。

「ショウコ様がいまだ聖女であられるのに、副神官長代理補佐様は新たな聖女を召喚しようというのです。聖女の召喚は、通常なら現在の聖女様が引退されたときのはず」


 正確には、現役聖女にそれらしい相手ができて、それっぽい仲になったら魔力の集約を始めるのだ、とベニートは言った。

 魔力は貯めたまま長持ちさせられない。集約にかける時間を多少変動させ、おそらく処女を失ったであろう頃に間に合うようにさせるのだ。

 もっとも実際には、処女喪失翌日召喚、などと見計らったようなタイミングではできない。そこはそれ、神の猶予ともいうべきか、聖女がいないからってすぐには世界が崩壊するわけでもないらしい。ただ少しずつ、少しずつ神の加護が失われ、不毛の土地へと変わっていくのだとか。そのあたりの地道な加護の摩耗具合が、電池式聖女のゆえんである。

 そのため、聖女交換時期の見極めもまた、神殿の仕事だった。いったいこれまで、どれほどの下世話な詮索をしてきたことだろうか。それで半公共機関として給料をもらっているのだから許し難い。

 そう考えると、私の魔力集約は相当早い時期から始められたと考えられる。いったいどれほどの噂が飛び交っていたのだろうか。知りたいようで知りたい。噂の元となった人物には、王子とともに富士山頂から火口に放り投げられる名誉をやろう。


 私の心中の恨みは知らず。ベニートは急くように言う。

「ですが今回は、すでに魔力もほとんど集まっています。今から召喚となると、魔力を成型する手間と、儀式の準備程度。ひと月もかからないうちに、新しい聖女様をお呼びできるはずです」

「ふむ」と私は相槌を打つ。随分と急な話だ。しかしなぜ。

「つまり神殿としては、ひと月のうちにショウコ様に、なにかあると考えているのです」

 私はベニートの言葉を耳に入れ、少し考えてから顔を上げた。彼の表情は、冗談を許さない真剣さがあった。

「……なにか、って」

「なにかです。私の口からは言えません」

 私も一応、神殿に属する人間ですから、と桃色魔術とは程遠い、重い口調でベニートは言った。

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