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 こんな危険な世界にいられるか! 私は元の世界に返らせていただく!


「そうだな」

 もとはと言えばあの王子が悪い。怒りにまかせて直談判しに行ったら、あっさりと言われてしまった。

「もうすぐ魔力も集まるだろうし、そろそろ魔術師たちの様子も見ておいた方がいい。どうせお前、調査とか言ってろくに神殿に行ってなかっただろう?」

 王子はまさしく慧眼といえよう。

 あの魔術師たちは、私の監視なしに無事に仕事をこなしているだろうか。桃色魔術にうつつを抜かしている様しか思い浮かばない。


 ○


 ショウコは今なお、自室で臥せっているらしい。赤毛の護衛は先日の事件以降、ショウコの傍につきっきりだ。カミロはなにかと忙しいということで、王子への直談判は一人きりであった。

 孤軍奮起して王子の居室に乗り込むと、ごくごく普通に招き入れられた。そして先の会話である。


 南向きの、広い割には簡素な王子の部屋。侍女が何気なく茶を淹れてくれたが、私には王子とお茶会などという悪趣味なことはする気がない。王子が「よし」と言うのであれば、私はすぐにでも魔窟の胞子たちの元へ行こう。まっしぐらに。

 しかし向かい合って座らせられた椅子を立ち、部屋を辞そうかとした私に、王子は「待て」と言った。ならば私は「わん」と答える他にない。

「あまり安易に動くな。今は護衛もいない身だとわきまえておけ」

 以外にも王子はまじめな顔であった。椅子に深く腰掛け、腕を組んだまま私を見やる。

「さすがにジーノもショウコの傍を離れたがらないからな。それなりに腕が立って、お前につけられる護衛が見つかるまでは大人しくしていろ」

 ジーノとは誰のことだろうか。いいや、そもそも私になぜ護衛をつけたがる。難易度ベリーハードの弊害か。

 私の問いに、王子は呆れた顔をした。王子にとって、どうにも私は進化前らしい。

「お前は自分も狙われたという意識はないのか」

 む、と口をつぐむと、私は椅子にもう一度腰かけた。


 ○


 この天下の大人物、私の身が狙われた。ショウコ襲撃の影に隠れているが、一応それなりに事件であったらしい。

 私たちはどうやら、意図的に閉じ込められていたようだ。扉の前には頑丈な鉄の棒が、ドアノブを固定するように引っかけられていたという。

 ちなみにその後、赤毛の護衛が脱出。私も脱出。外では大捕り物。もはや閉じ込められていたという事実も頭から飛んだ。赤毛はそのままショウコの護衛に舞い戻り、私は花をむしっていた。


 結果として、イレーネが救い出されたのは夜半過ぎ。こればっかりは本当に申し訳ないと思っている。いずれあの赤毛とともに、イレーネの元まで出頭せねばなるまい。吐くほど嫌味を言われても、そのときばかりは甘んじて受け入れよう。

 ただし、いずれがいつとは明言しない。


 ○


「ここらでショウコかお前か、どちらかに来るだろうとは思っていだがな」

 王子は悪びれもせずに言った。

「護衛が離れて無防備なショウコと、人気のない場所をうろつくお前。どちらも狙いやすいとは思っていたが、両方に来るとは」

「……もしや殿下は、こうなるとわかって私に掃除をさせたんです?」

「この私が意味のないことをさせると思うか」

 威風堂々を体現したような王子を見上げながら、忠犬の労働環境は思った以上に悪いらしいと悟った。ベリーハードは確実にこの男が原因である。いつの日か正義の鉄槌を下し、粉々に砕いて東京湾に撒かねばなるまい。きっといい魚の餌となるはずだ。


 そんな私の不満はいざ知らず、王子は一人思案に暮れているらしかった。

「しかし、お前か。正直あまり期待していなかったが……」

 自分でやっておいてこの言いぐさ。私の恨みもベリーハードである。

「私ほど役に立つ人間はいませんでしょうに。調査能力、カリスマ性、忠義心、どれをとっても一流です」

「本気でそう思えるなら、お前は幸せやつだ」

 真実だから仕方ないね。

「……まあ、だが多少は役には立った」

 珍しく王子の褒め言葉を頂けた。どれほど相手が悪魔的な人物だとしても、褒められるのは決して嫌いではない。むしろ大好きである。わん。

「やはり間諜がいるのだと確信が持てた。これからは会話に気をつけておけ」

「間諜?」

 私は首を傾げた。諜報になら心当たりがある。秘密親衛隊諜報班のあの女、怪しさは百割を超えている。

「北回廊にお前がいると、相手は知っていたわけだからな。ショウコを襲ったのも、ジーノが傍にいないとわかっていたからだろう。……それともまさか、お前は誰彼かまわず行き先を話していたわけではないだろうな?」

 王子は信用のない目で私を睨んだ。

 この私の口の固さが信じられないと言うのだろうか。私は聞かれなければ口を割らない人間だ。そしてこの無礼な世界の人間たちが、私の行き先にそうそう興味を持つとでも思ったのか。

 私がこのようなことを述べながら胸を張るが、王子はまったく聞いていなかった。失礼にも私の弁舌の最中に、独り言のようにつぶやく。

「……こちらの情報は漏れていると思っていいだろうな。まあ、それはあちらも同じことだ」

 王子は片目を閉じて窓の外を見やった。私を前にしながら、再び深い思考に沈んでしまったようである。

 なんという自由人であることか。どうせ悪だくみに違いない。


 南向きの開け放たれた窓から、秋の風が吹き込む。

 私が聖女引退して以来、いつの間にやら季節は大きく移り変わってしまったようだ。


 ○


 出てきた茶も飲み干したし、いい加減辞そうかと立ち上がったとき、王子がなんだか不吉なことを言ってきた。

「お前には、まだもう少し役に立ってもらうだろう。なに、相手が力技を使ってくるなら、それはもう他に手がないということだ。終わりは近い」

 それは力技の餌食になれと言うことだろうか。断固拒否する。平和主義者は静かに暮らしたいのだ。できれば日本で。

「まあ好きにするといい。お前次第では元の世界に帰れるだろう」

 王子は私を見上げて、かすかに目を細めた。実に邪悪な表情だった。いったい影でどれほどの悪事に手を染めてきたのだろうか。王子が実は魔王だと言われても、私は危うく納得する。


 この世界の平和は、目の前の魔王によって打ち砕かれてしまうに違いない。そろそろ聖女ではなく、勇者を召喚せねばなるまい。

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