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さて、イレーネと二人きり。向かい合って適当な椅子に腰を下ろすと、淑女の談笑がはじまった。
要するに、楽しむ要素の一遍もない会話に笑顔を添え、ひたすらに精神の殴り合いである。お上品に言葉を交わし、高らかに笑い声を上げる姿を見れば、到底閉じ込められているとは思うまい。
いや、閉じ込められていることを意識する余裕などない。これは全力の戦いなのだ。他に気を取られたらその隙に死ぬ。余裕を見せたら死ぬ。心が死ぬ。ちなみに殴り合いに勝ったとしても心は死ぬ。
そんな虚飾まみれの盛り上がりを見せる私たちの話題は、次第に今日の昼にあったらしい、茶会へと移って行った。
「そのお茶会に、私、参加させていただいておりましたの。ショウコ様もいらっしゃいましたわ」
「なるほど、賑やかしですね」
「その賑やかしにすら、ナツ様はおられなかったようですけど……あ、申し訳ありません。ナツ様はもう聖女様でもなく、お誘いを受けられるような身分もないのでしたわね」
イレーネの言うことには、今日の茶会は王家の末姫主催らしく、高位の貴族令嬢だけを集めていたそうだ。女人限定、男どもはあたりを見張っていろとの命令により、あの護衛も追い出されてしまったのだという。聖女護衛のくせに、大掃除に参加したのはそういうことだったらしい。
「ええ、残念ですけどほっとしました。あの場にいたら誰でもショウコちゃんの引き立て役になるでしょうしねえ」
「たしかに、今度の聖女様は話題をさらうのがお得意ですわね。殿下に水をかけたり、あんな品のない男を護衛にしたり」
「まったくです、まったくです」
そこだけは全面的に同意である。ショウコは確かにトラブルメーカーであり、あの赤毛に品というものがない。私に対する敬意もない。
しかし私の同意に、イレーネは次の言葉を失った。仕方なくお互い顔を見合わせ、「ほほほほ」と笑い合う。同意をすると会話が途切れてしまうあたり、この状況の歪さがうかがい知れるだろう。
「……その品のない護衛ですが、まだ戻ってきませんの?」
「戻ってきませんの」
「もう、どれだけたったのかしら。この私を待たせるなんて」
「本当ですよ。今すぐ助け出したなら、感謝をしてやってもいいというのに」
「私が感謝をして差し上げるということに、あの男は感謝するべきですわね」
イレーネの傲岸不遜な発言を聞きながら、私は窓を見上げた。北向きの窓では日の高さまではわからないが、わずかに差し込む光の量から、大体の時間は推察できる。
すでに日の高い時間は終わり、外は薄暗くなり始めていた。相変わらず部屋の前を人が通る気配はない。
「……なにかあったんでしょうかね」
「忘れているのではないかしら? あまり頭のよさそうな男ではありませんでしたし」
まさか淑女二人を残して、忘れるなんてことはありえるだろうか。いくらあの男が無礼で不遜な単細胞でも、脱出の目的さえ見失うなど考えられない。
そこまでいったら、もはや単細胞の呼び名では足りない。未だ生命にすら至らない、ただの重合したタンパク質だ。
○
うむ、と私はうなずくと、椅子からおもむろに立ち上がった。
「……どうなさいましたの?」
天は自ら助くる者を助く。
「は?」
「自力で脱出しようと思うのです」
私が言うと、イレーネは呆けたように私を見た。何を言っているのだこのアホ、という顔である。
身分ある女性とは慎み深く淑やかであるべし。礼儀正しく上品で、男性の三歩後ろを歩いて師の影踏まず。女子格闘技もパンツレスリングもご法度である。
そんな貴族社会に生きるイレーネには、現状を自ら打破するなどもっての外だった。
なにせ窓の位置は天井近く。二階ということもあって外に飛び降りること必至。落ちたら悶絶も必至である。
そういうのは下男のすることだ。淑女が悶絶するさまを見て、いったい誰が喜ぶのだというのが、貴族令嬢たちの主張なのだ。
喜ぶ人間もいるかもしれない。世の中には数限りない変態がいるのだ。
しかし私は、変態を喜ばせたくて立ち上がったわけではない。
そろそろ夜に向かうころ。相手は赤いタンパク質とはいえ、さすがに遅すぎた。
もしや窓からの着地に失敗して、誰も喜ばない男の悶絶を見せているかもしれない。痛みに気絶し、医者の元へ運ばれたまま目覚めないのかもしれない。
外でそんな大騒動が起きていれば、私たちの救出はますます遅れていくばかり。いずれは助かると高をくくっていた私も、そろそろ我慢の限界が近づいて来ていた。
すなわち粗相である。花を摘みに行きたい。ある意味臓腑の決壊である。胃ではなかったというだけだ。
○
むろん、そんなことを淑女が口に出せるはずはない。
「大丈夫です。私はこれでも忍者の末裔と同じ国に住んでいるのです」
という意味の分からないことを口にしながら、私は平気な顔で窓ににじり寄った。
窓は私が手を伸ばして、ようやく窓枠に届くと言った具合だ。壁を四角くくりぬいた武骨な形をしており、なかなか窮屈そうだった。だが、あの護衛でさえ通り抜けられたのだ。私に抜けられないはずはない。
「胸がつっかえないかしら……」
どことなく不安そうに、私のあとをついてきたイレーネが言った。彼女は自身のけしからん胸元に手を当て、出口となる窓を見上げている。
それは杞憂であるだろう。幸いにも私の胸には、脱出を邪魔する脂肪の塊はなかった。
幸いと言ったら幸いなのだ。
近くにあった椅子を引き寄せ、その上に乗って窓枠に手をかけた。
一人取り残されるイレーネが心細さを顔に示し、出ていく私を見送っている。
「ナツ様はもしかして、人間ではなく猿かなにかだったのかしら。どうりで何事にも奔放でいらっしゃること」
口は悪かった。
「それでも、あの品のない男よりは賢いと信じさせていただきますわ。できるだけ早くに、助けを呼んでくださいませ」
なあに、心配しなくともすぐに戻ってくるさ。この私が信じられないのか?
○
こうして私は、勇猛果敢に窓から脱出し、その後地上で悶絶した。
危うかった。茂みがなければ即死だった。まさか窓から下はとっかかりもなく、そのまま地面だとは思わなかったのだ。
しかし私は生きている。主に全身が痛むほかには、大した怪我もしていないようだ。これも天の定めた運命であろう。
そんな調子で、手入れもされていない茂みの上でのた打ち回っていると、何やら騒ぎ声が聞こえてきた。
空はすでに暗く、沈みかけの太陽の尾だけが見えた。そろそろ城中に明かりが灯ろうという時間帯に、なんぞの騒ぎであろうか。しかもここは人気のない北回廊の裏。庭師が手入れを怠るほどには人が通らない場所だ。
痛む半身を起こして見やれば、どうにも厳めしい男たちの姿がある。あっちか、こっちだ、という掛け声が分散し、いくつかは離れ、いくつかはこちらに近づいてきているようだった。
「あっちだ、誰かいたぞ!」
茂みに埋もれる私を指さし、こちらに向かっていた男集団の一人が言った。その声に合わせて、幾人もの足音が駆けてくる。金属のこすれる音と、緊張の走る怒号。暗がりの中で揺れるいくつもの松明。「逃げるな!」「おとなしくしろ!」「その場を動かず手を上げるんだ!」等々、いくつもの威喝が私に投げられた。
ぐるりと周囲を取り囲まれたとき、私は初めて彼らが近衛兵であると気が付いた。カミロや赤毛と同じ格好だ。腰に下げた剣には、早くも手がかけられていた。
松明の明かりに照らされる。私が呆然と彼らの姿を見るのと同様、相手もまた訝しげに私を見つめていた。
「……なんだ、ナツ様か」
なんだとはなんだ。
「はずれですね。別の場所を探しましょう」
この世界は私に対して、あまりにも無礼すぎると思う。
○
近衛兵たちは、再びどやどやと大移動を開始する。危うくこのまま捨て置かれるところだった私は、あわてて近衛兵の一人を捕まえた。
「待て待て、なにがどうしてこうなっているんです」
逃げ遅れた若い近衛兵は、面倒くささを前面に押し出した表情で私を見た。
「ナツ様に付き合っている暇はないんですよ。大変なんですから」
私も脱走で大変だったのだ。現在は強い意志で堪えているが、主に尿意が大変である。花畑が荒地になるほど花を摘みたい。
「それどころじゃないんです」
私が閉じ込められたことより大変なことがあるものか。少女漫画で言ったら、三話は引っ張るくらいの大イベントだ。体育倉庫に閉じ込められ、苦手なアイツと二人っきり。喧嘩しながらも、一緒に助けを待つことに。ただしどちらも女である。
私の主人公級の大事件にも、近衛兵は首を振った。
「そんなことをして遊んでいたんですか、こんなときに」
遊んでいたとは何事だ。
「悪いですけど、僕はもう行きます。ナツ様と話している場合じゃない。だって、ショウコ様が賊に襲われたんですよ!」
何事だった。とんでもなかった。
「お茶会で、護衛がいない隙を狙われたんです。今は犯人を追っているところなんですから!」
な、なんだってー!!
○
ショウコ襲撃事件に、城は空前絶後の大騒となった。城中の兵士が駆り出され、くまなく襲撃犯を捜すが、見つかったときにはすでに死亡していたとかいう恐ろしい有様。ヌルゲーが一気に難易度ベリーハードに引き上げられた気分だ。無理ゲーである。
当のショウコはショックで寝込みはしたものの、幸いにも怪我はなかったそうだ。今は、彼女は厳重な警備の中で自室に閉じこもっている。
そして私は、イレーネのことをすっかり忘れていた。
どうやら私も、まだ単細胞生物以前のタンパク質であるらしい。




