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王子の指令通り、北の部屋の調査を開始する。
密会の気配はないかとか、怪しいものは落ちていないかとか、そういったことを調べろという御大の命令だ。そんな大層なもの、私や赤毛の護衛に見つけられるかと言いたいものだが、どうやら王子も別に期待はしていないらしい。ついでに部屋の掃除もしておけよ、などと言われる始末。
よろしい、ならば掃除である。
期待されていないとなると、目に物を見せてやりたくなるのが人情だ。調査で成果が上げられないのであれば、いっそ掃除で王子の度肝を抜いてやろうではないか。
このような意気込みに押され、当初の目的はすっかり忘れ去られていた。いや、今の私にとって当初の目的とはすなわち掃除。そしてその先にある王子の驚きである。
どうせできっこない。などと無礼なことを思っているのであれば、まずはその幻想を打ち砕かなくてはなるまい。
○
意気揚々と乗り込んだのは北の回廊、二階の一室。
鉄製の大扉が待ち構えるそこは、客室とは違う重みを感じさせた。貴賓室周辺ばかりを渡り歩いてきた私には、なかなか新鮮である。
部屋の内部もそれなりに広い。そして暗い。部屋の割に窓は小さく、天井近くに明かり取りだか空気穴だかわからないような穴がいくつか空いているだけだ。おまけに北向きとあっては、光の入る余地もない。なんとか物の影を視認できる程度だ。
扉を閉めれば暗さはなおさらであった。
暗闇の中、赤毛が先に部屋の奥へ行き、壁伝いに歩きながら「箒とかねーかな」などと抜かしている。
まったく、この大調査団の一員として、奴はいったい何をしに来たのか。掃除をしに来たのだ。
石を打って壁の燭台に火を入れると、部屋はかすかに明るくなった。
ガスバーナーの暴発を恐れ、点火を拒否し続けてきたかつての私に比べ、なんたる成長であることか。目の前で火花がはじける恐怖にも負けない強い心を得てしまったのだ。
自分で自分を褒めていると、背後から胡乱な声がかけられた。
「ナツ様……こんなところで何をする気ですの?」
倒したはずのイレーネだった。確実に仕留めたと思ったのだが、私も詰めが甘いようだ。
「こんな人の来ない場所で、昼間から殿方との逢瀬でしょうか? 異界とこの世界は、ずいぶんと常識が違うようですわね。私……軽蔑いたしますわ」
箒、箒とつぶやきながら室内をうろつくような男と、いったいどのような逢瀬を交わすというのだろうか。新しい愛の形だろうか。イレーネのたくましい想像力には感心せざるを得ない。
「このこと、カミロ様にお伝えしないといけませんわね。ああ、おかわいそうにカミロ様、一時でも恋人と噂された相手が、こんなに慎みのない方だったなんて」
敗者復活して再戦を挑むイレーネは、相も変わらず好調であった。ボス戦でいったら第二形態だろう。聖女時代から数えれば、もう彼女の形態は十を軽く超すはずだ。しかし倒しても倒しても、第二、第三のイレーネが現れるのだ。
ここまで嫌われると、むしろいっそ清々しいとさえ思えた。なにを言っても嫌われるのなら、それはそれで楽なもの。変な気を回すことはなく、好きなことが言えた。
そういうわけで好きなことを言う。
「いえいえ、そんな慎みのなさがカミロには良かったのかもしれませんよ。お互い奔放な方が、あまり束縛しすぎない適度な距離感を取れますからね。ほら、カミロって後をつけられたり、行動を把握されたり、あんまり束縛されるのは好きじゃないですから」
当然のように私はカミロの好みなど知らない。大嘘である。
もしやカミロは束縛されたいタイプで、見られることに喜びを感じる変態であるかもしれないのだ。私の発言はカミロにとって著しく名誉という名の不名誉を傷つけている、という可能性もありうる。
しかし口から出たものは戻らない。カミロの変態性には犠牲になってもらう。
「ここ最近は、殿下の秘密親衛隊がショウコちゃんにいやがらせをするから、それでカミロも不満を持っているらしいんですよ。相手の迷惑も考えずに付きまとうなんて軽蔑するとか言っていますよ。…………ところで、そういえばカミロにも親衛隊みたいな組織があったみたいですね」
「……私は、カミロ様の迷惑になることはいたしませんわ」
「なんでも、あの悪名高い親衛隊と同盟組織だったとか」
まいったまいった、今ちょうどそのことで王子が手を焼いているところなのだ。王子がそんな状態なら、その手下たるカミロも当然困っているに違いない。いやまいった。そんなところの同盟組織なんて、カミロはきっと近づきたくもないだろうなあ。
チラッと感を多分に含みつつ言ううちに、イレーネは肩を震わせはじめた。彼女には忍耐が足りない。
どうやらまた勝利してしまったようだ。
「違いますわ!」
イレーネは頬を紅潮させ、声を荒げて言った。それからすぐに指先で口を押さえる。
「同盟なんて、そんな。私だってあの親衛隊とやらは、あまりよくわかりませんもの」
「ほう」と私は身を乗り出した。意外なところからあの謎組織の話が出た。
なるほど、これが話術というやつだろうか。自分でさえ意図せずに話術を行使するなどとは、無意識での才能とはそら恐ろしいものだ。
「たしかに、何度かお話をさせていただいたことはありますわ。でも、会うのはいつも諜報と名乗る女一人で、他に誰がいるかも知りません。仲良くしましょう、なんて言われましたけど、そんな怪しい方々なんて信頼できませんわ」
「諜報の女とな」
どこかで聞いたことがある。
着々と深まる親衛隊の謎に首を傾げていると、扉の外で物音がした。なにやら訝しげに扉を見やったとき、がちゃんと重たい金属の音が響く。
「誰かいるのか?」
と、部屋の奥で箒を見つけ、一人喜んでいた赤毛の護衛が言った。
彼には今一度、私たちが何のためにここにいるのかを説かなくてはなるまい。そして私の超話術による大活躍に、惜しみない賞賛を。
もちろん私に称賛などは送られない。赤毛は箒片手に扉の前までやってくると、何気ない調子でドアノブを掴んだ。押せば単純に開くタイプの扉である。何気ない調子で、彼はぐっと力をこめた。
「……開かねえ」
なんだと。
「外側から、なにか突っかかっているみたいだ。やべえな」
そんなものは腕力でどうとでもなる。レベルを上げて物理で開ければいいのだ。
しかし高レベルであるはずの赤毛が何度挑んでも、扉は開かなかった。ためしに非力代表の私が押してみても開かず、引いてみても開かず、ならば引き戸かと横にスライドさせてみようとしたが、やはり開かなかった。考えてみれば、入ってきたときには引いて開けた扉である。スライドする要素は皆無であった。
「ど、どうするんですの?」
扉の前で右往左往する私たちにイレーネが言った。
「助けを呼ばないといけませんわね。でも、このあたりに人なんて来るかしら」
すでに人の途絶えて久しい北回廊。物置にさえ利用されないこの部屋を前に、いったい誰が来るだろうか。よしんば来たとして、部屋の中に私たちがいると気が付くだろうか。扉は分厚い鉄製で、窓は明かり取り程度の穴が天井近くにあるばかり。
存外にこの状況は厄介だった。
まあ、待っていれば私たちがいないことにも、いずれは城の連中が気づくだろう。最悪、夜の定例会の時間には、カミロが私の不在に気が付くはずだ。この部屋からの脱出自体はきっと、時が解決してくれる。
しかし、なるべくならできるだけ早く救い出されたいものである。
なにしろ取り残されたメンバーが悪い。イレーネも赤毛の護衛も、かつても今も変わらぬ天敵。気長に助けを待つなど考えただけでやるせない。
厄介とはすなわち、境遇ではなく人間のことである。救いが来るまでに、私の胃が持つとは思えなかった。
悲観した私がそのようなことを述べると、赤毛が顔をしかめた。
「助けなんて待ってられるかよ。いつになるかわかんねえ」
まったくだ。それより先に私の臓腑が決壊する。具体的には吐く。
しかしにっちもさっちもいかない現状。どうするつもりであろうか。
「窓があるだろ。あそこから外に出る。そうしたら外から部屋に回って、つっかえを取れるだろう」
平然と言ってのけるが、窓は天井近くにあり、ここは二階である。
「大したことねえよ」
鼻で笑って、赤毛は窓を見上げた。掃除男の面目躍如であろうか。
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躍如しなかった。むしろあの赤毛の名誉は失墜した。
あの単細胞は、いつまで待っても戻ってこなかったのである。




