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10

 カミロが抜けた代わりに、魔窟への道連れが一人補充された。

 自由な身の上で、すっかり歩きなれた神殿を行く私に、「ごきげんよう」と品よく声をかけたものがいたのだ。

 見ればいつぞやの夜会で会った、秘密親衛隊諜報班の少女である。

「お久しぶりですわ、ナツ様。これからどちらへ?」

 男の悲しみ充満する腐海である。おそらくは先日の夜会での出来事も、地下深く俗世と隔絶された男どもの住処に伝わっているだろう。俗世から隔絶されつつも、なお一層俗気に満ちあふれた魔術師たちは、ショウコと王子の噂に男らしくむせび泣き、キノコの繁殖に精を出しているはずだ。私はこれをオトコダケと名付けようと思う。

 偏見のみで紡がれた私の言葉を聞くと、彼女は満足そうににこりと微笑んだ。

「ご一緒させていただいてもよろしいですか?」

 今の発言のどこに、ご一緒したい要素があっただろうか。


 ○


 どうやら今日もショウコへのいやがらせは成功したらしい。並び歩く彼女が、どことなく自慢げに言った。

「今日は不幸の手紙ですわ。ショウコ様が読んでおられる本の結末を、手紙にしたためてしおりの代わりに挟んでおきましたの」

 それは地味にいやらしい。かつて古本屋で買った漫画の一巻に、最終巻の結末が書かれていたことを思い出した。以来私はあの古本屋を許さない。

「もっともショウコ様の読まれている本は、過去の聖女様の伝記ですので、あまり効果があったともしれませんが……」

 ふうん、と相槌を打ちながら、私はショウコの勤勉さに感心した。

 一方の私は、その手の本などこれまで一切手を出さず、なおかつ興味も持たずに過ごしてきた。この身に溢れる神聖なる心さえあれば、聖女の大役も務まるのだ。

 おそらく神は私の聖性を見抜いて、あえて召喚したに違いない。この世界の人間に見る目はないが、神の見る目は確かであったといえよう。

 私が一人、導き出した答えに納得をしている横で、彼女は空を見上げてぽつりとつぶやいた。

「ショウコ様は、帰還された聖女様のことをお調べしているみたいですわね。年代とか、共通点とか……」

 なるほどショウコも未だ帰還を諦めていないらしい。むしろ私よりも熱心に調べているに相違ない。ならば、あのやる気のない魔術師たちの儀式が失敗したあかつきには、恥も外聞も捨ててショウコを頼ろう。しかるのち、恥と外聞を拾い集めよう。

 そう思いつつ、私は彼女に胡乱な目を向けた。

 賢明な私には、彼女の話の中でひとつ気にかかることがあったのだ。

「どうしてショウコちゃんにしたいやがらせを知っているんです? 工作班の仕事では?」

「工作班の仕事だって把握しておりますわ。だって私は諜報班ですもの。人の動向を探るのはお手の物ですわ」

 なるほど、諜報すごい。

 親衛隊の諜報とはきっと、ジャパニーズニンジャと同類なのだ。スパイ活動だけではなく、暗殺だって得意としているに違いない。忍術という名の魔術を使う、神出鬼没な心無い悪魔。それが忍者。もとい諜報班なのだ。

 私がそんなことを言うと、彼女は黙って微笑んだ。それだけだった。

 あまり聡すぎるというのも考え物である。私はすっかり恐怖に身を竦ませ、彼女から心持ち離れて歩いた。諜報こわい。


 ○


 地下はまさしく想像通りの惨状であった。

 元より陰鬱な男の気配が濃い魔窟であるが、今はその気配がさらに凝縮されていた。とめどなく溢れる男泣きの汁はすべて腐海の養分となり、オトコダケの繁殖を促進させていた。

 そもそも顔の良い男など、存在だけで腹立たしいのだ。そこへ、もてない男の夢を凝縮したような、美人で優しく貧乳な少女を奪われたとあっては、もはや絶望しかないだろう。魔窟はこれ以上ないという凄惨な空気を作り出し、さすがの私も立ち入ることをためらわれた。

 しかし、私の連れは違った。興味深そうに地下道を眺め、私よりも先に歩き出した。彼女の瞳は好奇心に満ち溢れ、なにも逃すまいと地下の様相を精査する傍ら、涙にくれる男どもの姿はほとんど目に入れていないようだった。実に賢明な態度である。

 彼女がどしどし歩くので、私はその後をついて歩くことになった。

 地下道など、無愛想な扉と怪しいがらくたが転がるばかりで、なにが面白いものか。集うのは変態ばかり。魔術師の実に八割がロリコンである。十代半ばで童顔気味のショウコは、彼らにとってストライクゾーン高めいっぱいと言ったところだろうか。そのあたりのギリギリ感が、また情熱となっているのかもしれない。


 しばらく地下道を探りまわっていると、さすがに魔術師たちも私と彼女の存在に気がついたらしい。妄想の中での理想のショウコを振り払い、魔術師の一人が「もし」と声をかけてくる。

「な、ナツ様……そちらの方は?」

 どことなく警戒深さを滲ませて、魔術師は彼女を眺めた。

 仮にもここは神殿の秘術を研究する場所。情報の漏洩する恐れがあるため、一般人の立ち入りはご遠慮願いたい、という建前がある。その真実はコミュニケーション不全の魔術師たちの保護が目的だ。

 私の影に隠れ、怯える魔術師に対し、彼女は柔らかい笑みを見せた。それはもう、ロリコン童貞をも安直な恋の煉獄に落とす笑みだ。邪気のないショウコと違って、多少含みがあるというのもまたポイントである。

 顔さえ良ければそれでいいという魔術師は、ものの見事に叩き落とされた。一瞬で頬が染まり、次の言葉が出なくなる。

「見学させていただいているのです。いけませんでしたか?」

 彼女は魔術師にそう言ってから、周囲にも同じ笑顔を向けた。

 彼女の視線を追って気がつく。いつのまにやら魔術師たちが集まっていたようだ。私たちは、興味と恐怖がないまぜになった視線にさらされていた。

 それで、結局彼女は何者なのだ、と声が上がる。私は彼女をちらと見やってから、なんと言ったものか悩みつつ紹介した。

「……王子殿下の秘密親衛隊の方です」


 秘密親衛隊の名は、この隔離施設、もとい魔術師たちの地下研究所にまでとどろいていた。王子を守る非公式ファンクラブ。王宮に知らぬものなしと言わしめるこの秘密組織。秘密とはいったいなんなのかと、言葉の意味を改めて考えさせられる。

 さらに言うならば、ショウコがこの秘密組織にいやがらせを受けていることも広く知れ渡っていた。


 地下道はにわかに騒然とする。

「秘密親衛隊だ」

「ショウコ様の敵だ」

「ショウコ様をいじめるなんてとんでもない!」

「だけど美少女だ!」

「そうだ美少女だ!」

 そしてにわかに決着がついた。

 あまりの現金さに、私は呆れを隠しきれなかった。この連中にはプライドというものはないのか。恥や外聞は。決して曲げない固い意思は。


 私の横で、彼女は「うふふ」と諜報然とした笑い声を漏らした。


 ○


 帰り際でベニートに会った。

 下は七歳から上は一桁までを自認する真正の変態ベニートならば、彼らよりは冷静だろう。なんの成果もなかったが、せいぜい進捗くらいは聞いて帰ろうかと思ったのだが、そのベニートですら彼女の前には屈服した。


 ちょうど出口に向かう途中だった私たちは、正面からやってくるベニートに気がついて足を止めた。薄明かりの地下道で、ベニートも私の存在に気付き、「おや」と声を上げる。

「おやナツ様、どなたかとご一緒ですか?」

 そう言いながら私の横に立つ彼女を眺め、ベニートは絶句した。対する彼女は涼しい顔で、ドレスの裾をつまんで挨拶をのべた。

「お久しぶりです、ベニート様」

「……あ、あなたは」

 震えてそれきり声が出ないらしい。ベニートの屈服とは恋という軟弱なものではなく、まさに精神の屈服であった。彼の顔色は青く、冷や汗がとめどなく流れ落ちる。

「ちょうど、あなたに会いたいと思っていたんですの。少し、お話よろしいですか?」

「え、ええと、ナツ様……」

 ベニートは救いを求めるように私を見た。

 しかし私には二人の事情はさっぱり分からない。意外なことに知り合いだったのだなあと呑気な感想を抱いていた。

「ナツ様、ご一緒できるのはここまでですわ。ベニート様をお借りしても?」

「いいんじゃないですか」

 天下無双の無責任発言である。

 ベニートはもはや死んだような顔つきであった。齢一桁以外の女人との会話は、宗教上の理由からできるだけ避け続けてきたベニートに、この難局を乗り切るのはさぞや辛かろう。


 かくして、私はベニートの恨みがましい視線を受けつつ、彼女たちが去っていくのを見送った。果てしない地下道に消えて行く二人の姿と、ベニートの嘆きが私の頭に残る。

 諜報おそるべし。

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