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魔術師たちは、失意の中でも魔力を溜めると言うことだけは続けていた。むしろ悲しみを紛らわせるために、あえて作業に集中するものも多いという。
私の帰還のための魔力が、やけに男臭くなっていそうでいやだ。
地下研究室。魔力の集約のための施設には、この世の終わりを迎えたような顔つきの男たちに溢れている。
研究室の中央には、巨大な魔方陣が一つ。魔術師たちは研究室内の大気から、おのおの魔力を引きずり出しては、この魔法陣の中に放り込む。これが魔力集約ということらしい。
当然、体力皆無の貧弱魔術師たちに立ち仕事は無理なので、魔法陣の周りには愛想の欠片もない木製の椅子がずらりと並んでいた。ここに男どもが腰を掛け、怪しげな呪文とともに奇妙な作業をするさまは、ある種壮観。ある種凄惨だった。おまけに普段は無駄口も多いのだが、今は嗚咽の方が大きい。凄惨さにも磨きがかかるというものだ。
男の悲しみ溢れる地で、私はベニートから進捗状況を聞いた。
魔力の集約は滞りなく、儀式の準備も順調。学者たちも過去の文献をあさりつつ、帰還の方法としては、かつて成功した術式にのっとることが最善手だろうと結論を出した。
「……まあ、その術式による失敗例の方が多いんですけどね」
ぼそりとベニートは不吉なことを言った。
「やるだけのことはやりますよ、ナツ様。魔力の並行集約を成功させるついでに、異界渡りの新たな成功例も作りましょう!」
目的が入れ替わっている!
腐海に潜む男たちは、どうにも自分の欲望のみで動いているような気がしてならない。
魔力の集約や、新魔術の開発などには異常な熱意を見せるのに、私の帰還となるとやけに薄情だった。これまでろくに成功例がないということも理由の一つだろうか。はじめから諦めている気配さえある。
ならば私は彼らに対し、これまで以上の発破をかけなくてはなるまい。大丈夫、毎年過労死者を出す企業だって、未だ潰れずに大手の看板を背負っているのだ。
私のために働けることを、幸福と思わせるところから始めねばなるまいな。
〇
魔窟を出ると、神殿の冷たく澄んだ空気にあてられた。不健康を凝縮した空間に長くいたせいか、清々しいというよりも、むしろ居心地が悪い。
すっかりキノコの苗床となった私は、胞子を神殿中に撒き散らしながら歩いた。半ば迷子になりつつも神殿を出て、城に向かう。
目指すはショウコの部屋である。魔術師どもから聞いた噂を確かめねばなるまい。
噂の真相いかんによっては、ショウコの部屋も腐海に沈む。
○
ショウコの部屋は、かつて私がいた部屋に移動されていた。
城の大階段を上った先、少し細くなった通路に連なる貴賓室の一つがそれである。南向きで日当たりは良好。賓客の集まる階層なので、警備の兵も他に比べて頻繁に出入りしている。ただし、出入りしているだけで仕事をしているところは見たことがない。無駄口を叩いているところと、こっそり酒を舐めているところは見たことがある。
懐かしい部屋の扉の前に立つと、私は意を決した。軽くノックをしてから、返事を待たずに扉に手をかける。その覚悟たるや、討ち入りする志士もかくやというものだった。
○
果たして私は、決死の覚悟でショウコの部屋に乗り込んだ。
そこにはたしかに、リベリオ王子がいた。ショウコもいた。
王子は部屋の主のような顔をして、椅子の一つに背を預けていた。長い銀髪の鬱陶しそうに掻きながら、なにやら小難しいことを語る。
対するショウコはその正面に座り、真剣に王子の話に耳を傾けていた。どことなく張りつめた空気で、甘い気配はない。
「破廉恥!」と叫ぶ予定であった私の目論見は外れた。手を取り合う二人の姿に、思わず顔を覆うため、両手の準備も完了していたが、結局は無為に虚空を掴むばかりだ。目の前の二人の、拍子抜けするほど健全な距離感に目を瞬く。
「ナツさん?」
私の入室に気がつき、ショウコが言った。扉に背を向ける形で座っていた彼女は、半ば腰を浮かして私を見やる。
「どうしたんですか? なにかご用です?」
「ハレンチ!」
「なに言っているんですか」
なにと言われても、用意をしていた言葉がそれしかなかったのだ。
いかがわしいことをしていたのではないか。
という、城下に流れる噂と私の妄想を聞くと、ショウコは真っ赤になって否定した。
「そ、そんなことしません! ただ、ちょっと話があっただけで」
「毎日出入りしているという噂が」
「は、話すことが多いから……」
二人きりの空間に、今は私も割り込んで、根掘り葉掘り話を聞く体勢に入っていた。ショウコと王子の間に椅子を持ってきて座ると、場違いなことこの上ない。
居心地の悪さは感じるが、ここは知識の探究者として引くわけにはいかなかった。
「話すことってなんです?」
「聖女についてだ」
犯人を問い詰める刑事のように、身を乗り出してショウコを責める私に、応えたのは王子だった。端的な言い草に顔をしかめる。
「聖女?」
「そう。聖女を終えた後のことや、お前以前の聖女が、なぜ今は城にいないか。ショウコが疑問に思ったことだ」
澄ました顔で王子は言った。
いつの間にか名前で呼ぶようになっている事実はさておき、なるほど、その疑問はもっともだと思った。
特に聖女を終えた後のことは、私はすっかり知ってしまい、危うく神官長の残り少ない命を奪うところであった。私同様繊細かつ頭に血の上りやすいショウコのこと、今度こそ神殿のトップが軒並み入れ替わる事態に発展する可能性がある。ならば惨劇が起こる前に教えてしまおうという腹なのだろう。
しかし、どうして王子自らがそれを教える必要があるのだろうか。いやに親切ではないか。私の時には、おもむろに嫌味を言って去っていく、いわば通り魔のような存在であったのに。
私が言うと、王子は微かにも表情を歪めず言った。
「猿に無意味な講釈をする気はない」
なんだと!
「猿ではないです、犬です!」
現在は王子の忠実な犬である。さらに言えばこの世界に来て以来、長らくパンダでもある。しかし猿になった覚えは一切ない。
「お前に自尊心というものはないのか」
王子は腕を組み、呆れたため息をついた。反対側ではショウコが、王子のため息とほとんど同時に首を振っていた。
二人ともなにもわかっていない。この天を穿つほどのプライドを泣く泣く折り、私は犬という身に甘んじているのだ。元から誇りのない犬などただの駄犬。誰にでも尻尾を振るような安易な存在と、一緒にしてもらいたくはない。
本来ならば王子は、私がプライドを捨てたということに対して感謝してしかるべきなのだ。跪いて心よりの感謝をし、犬になることを懇願し、そして初めてこの私が「よかろう」と頷いて犬となって差し上げるのだ。
「…………猿」
不敬罪に引っかからないように言葉を選びつつ、私は誇り高き主張をしていた。が、王子はそれを遮り、吐き捨てるように言った。
これこそまさに罪深き不敬である。こんな人の話も聞けない男が、王族として国の上層部にいるのだ。果たしてこの国の行く末はどうなってしまうのだろうか。
「猿には猿に合わせた講釈が必要そうだな。……ショウコ、今日の話はここまでだ。私はこれに話がある」
王子が指で示すのは私だ。たとえ猿だとしても、生き物相手に「これ」扱いは許しがたい。王子の非情さがうかがえる。
博愛に満ちた私が、世のすべての猿への同情を抑えきれない一方、邪知暴虐なる王子は早々に立ち上がった。ショウコを一瞥すると、私の腕を掴んで立ち上がらせる。
王子はそのまま、暴君を絵に描いたような態度で、退出の挨拶さえもせずに部屋を出て行った。私は引きずられた。
講釈ではなく、調教の予感がする。




