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あの王子に顔以外、惚れる要素がどこにあるかわからない。
そう思ったが、よく考えればその顔自体が万能の武器なのだ。老若男女問わず、人と出会えばまず見るのは顔である。そして中身を顧みない世の大多数は、それのみで判断する。
特に、青春という名のもとで不純の園を求める若者たちはその傾向が顕著と言えるだろう。一時の思考に流されて、将来性も深い人間性も考えず、いずれは衰える外面しか見ないのだ。
もっと先の未来を見据えた選択をするべきだ。
もっと人の内面にも気がつくべきだ。
顔のいい男女ばかりが優先的に幸福を掴む世の中は間違っている!
ショウコがそんな一時的な外面にとらわれるなんて、がっかりだ。確かに外見だけ見れば、ショウコは私の仇敵である。美少女である。しかしその高潔な内面を買って、私はショウコを栄誉ある同志と思っていたのに。
「いえ、いえいえナツさん、ナツさんストップ!」
ショックのあまり口からほとばしるとめどない主張を、ショウコが慌てて遮った。遮ってもらえてよかった。私自身、途中からなにを言っているのかよくわからなくなっていた。
なるほど人間は頭に血が上ると、意外な言動に及ぶものである。ショウコの咄嗟の暴力の理由が、身に染みてわかった。
「ちが、違うんですよ。恋とか……そこまでいかないんですけど、なんだか気になって」
「それは恋の始まり」
「ナツさん!」
耐え切れずにショウコはベッドから立ち上がる。私よりもわずかに背の低いショウコの表情には、怒りと、それ以外の読み取れない感情がないまぜになって浮かんでいた。
心の機微だのなんだのと述べたが、恋愛どころか異性もいない環境下で、貴重な青春時代を一年強も浪費してきたこの私。彼女が本当に恋をしているかどうかなどはわからない。ただ、ショウコが王子を気にかけていることは真実なのだろう。
そう思うと、あの赤毛の護衛が哀れである。そしてそれ以上に溜飲が下がる。意外なところであの男に復讐を遂げることができた。私ほどにもなると、自ら手を下さなくとも周りが勝手に貶めてくれるのだ。
「そういうんじゃないですよ、本当に……!」
私の無為な思索を遮り、ショウコはむきになって言った。言いながら、両手を軽く握って私の胸元を叩く。王子にしか手を上げない、という前言を撤回するべきだろうか。ショウコの私に対するバイオレンスな振る舞いは、質こそ劣れども量では王子を圧倒している。
「ただ、私、王子様の聖女を憎む理由、少しわかった気がして……」
痛くもない拳で私を叩きながら、ショウコはぽつりと言った。
ショウコの言うところによると、王子を気にし出したのは、いつだったか図書館で本を借りてきて以来のことらしい。すっかり意識の外に投げていた私と違い、ショウコは聖女年鑑や神話の本、その他の書物を読みふけり、知識を蓄えていたという。
その中に、現王家と関わりの深い聖女が一人いたそうだ。私の一代か二代前の聖女だ。彼女の記述を読むうちに、ショウコは聖女が王家にもたらした事実を知る。
「王子様、第二王子ですよね。それなのに私たちは第一王子を見たことがありません。それは王子のお兄さんが――――」
「……それって、殿下の弱みを握れそうな話です?」
「え、いえ、……別にそういうわけでは」
ならば興味は毛ほどもない。たとえ王子にどれほどの哀れな事実があろうとも、私に対する無体が消えてなくなるわけでもない。それなら下手に同情するより、いずれの復讐のためにも綺麗な形で憎しみを蓄えておくべきだ。
私の言葉に、ショウコは重たく肩を落とした。その顔にはもはや、興奮や怒り、果ては昨晩から引きずり続けた悲しみの色さえ薄れていた。
「ナツさん、なんかもう……」
逆に浮かぶのは、私に対する憐憫である。苦虫をかみつぶしたら意外に苦くなかったような、実に中途半端な表情で私を見やる。と、暴力に持て余した手を私の胸元から離し、代わりに髪に触れた。ペットを可愛がるような手つきで、ショウコは私の前髪を軽く撫でる。
「まあ、悪いところじゃないと思いますよ、私は」
ショウコの手つきのくすぐったさに、私は片目を閉じた。なにやら褒められているらしいので、悪い気はしない。
ひとしきり私の髪をくしゃくしゃに乱すと、ショウコは息を吐いた。気は済んだだろうか?
「……お腹すきました」
私から手を離し、ショウコは独り言のように呟いた。
○
追って沙汰があった。
ショウコは自室でひと月の謹慎だそうだ。これまでの日々も軟禁状態での勉強漬けだったショウコには、今までとそう変りない暮らしが待っているのだろう。意外に手ぬるい処分に、私は安堵した。
あとから聞いたところによると、どうやらショウコが城や神殿中に味方を作っておいたのが幸いしたらしい。ショウコが魅了したのは、主に侍女や侍従と言った下働きの面々だが、学者や魔術師と言った貴重な人材も含まれていた。あまり非道な処分を下してはストライキが起きかねない。ストライキを蹴散らしてまで、ショウコを断罪するほどの覚悟もない。
この短い間に、いったいショウコはどれほどの愛を配り歩いてきたのだろうか。うらやましくも憎らしい。そして妬ましい。
ついでに言うなら、とばっちりで私も十日の謹慎である。常日頃から引きこもりの第一線を行く私には、なんということのない日常であった。
○
十日後、久々に解放された私は外に出た。
カミロや、その他侍女に見つからないように一人部屋を出て、向かった先は魔術師たちの生息する地下である。まったく外に出た心地がしない。引きこもり生活ですっかりカビの生えた私の精神に、今度は胞子が迫りくる。
まじめに魔力の集約をしているかどうかを確かめに来たのだが、地下に降り立った途端、なにやら様子がおかしいと気づく。
もともと活気の欠片もない辛気臭い場所が、なおさら地獄絵図であった。地下を歩く魔術師たちは誰も彼もが死人のような顔をしている。
一人捕まえて話を聞いてみれば、「ショウコ様もしょせんは顔で判断するのか!」などと意味のわからないことを泣きながら訴えてきた。
「リベリオ王子殿下とショウコ様が恋仲なんて嘘ですよね!?」
魔術師の男は、私の肩を掴んで泣き叫んだ。目が血走っている。
「夜会での一件以来、殿下がショウコ様の部屋に頻繁に通われているなんて、嘘ですよね! 嘘だと言ってください!!」
私は目を瞬いた。暗い地下道に立つ男の顔色は、不健康さがなお際立つ。その表情はまさに絶望であった。
「ショウコ様は顔で人を判断しないと思っていたのに。人間は顔ではない、中身です。女性を知らない私たちこそ純粋無垢で紳士的なのだと、ショウコ様だけはわかってくださると思っていたのに!」
かくいうお前もショウコを顔で見ているのではないか?
という疑問はさておき、涙ながらの訴えは、私の理念と相通じるものがあった。深く共感する。人間と言うのは顔ではない。輝かんばかりの中身である。
私の共感を受けつつ、男の悲しみが地中深くに染みわたる。地下に漂う異常な気配は、純真な男たちの嘆きと義憤によるものだったのだ。
それにつけても、果たしてショウコの身に、今なにが起こっているのだろう。
私のあずかり知らぬところで、なにやら勝手に世界が進んでいく。私の召喚当初は、そんなイベントなどなにもなかったというのに。私とショウコは本当に同じ世界で同じ聖女をやっているのか?
これでは、クソゲーを掴まされたのが私だけみたいではないか。
断じて納得がいかない。