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結論から言えばショウコはやらかした。
それはもう清々しいまでにやらかした。
○
そもそも、夜会の以前からショウコはそれなりにやらかしていたらしい。
勤勉なショウコである。儀礼のマナーは完璧であった。聖女の清楚なドレスを着て、神殿に舞い降りる姿はまさに天使。しかし天使の護衛がまずかった。
天使の傍にいるのは、一見するとまるで赤毛のチンピラ男であったが、その実紛れもないチンピラであった。
その護衛はかつて私が、恐怖による精神の屈服に甘んじた、あの近衛兵だったそうだ。
厳選された護衛候補の面々から選ばず、突然の大抜擢に神殿内はざわめいた。なにせ事前連絡もなにもない、サプライズの好きな神殿のこと。その驚きは相当なものであったはずだ。
この男、権威も風で吹き飛ぶような、最下級の貴族であるらしい。そこから近衛兵まで上り詰めたのであれば、実力は確かなのだろう。
だがあの男には品位がない。教養がない。人を見る目がない。なにより私に対する敬意がない。
そんな男を護衛に抜擢など、なにを考えているのだ。
誰だってそう思う。私だってそう思う。
○
「相当強くあの男を推したそうだ。護衛候補の中から選びたくなかったらしい」
似合わない貴族の長衣を纏うカミロが、夜会場への道のりを歩きながら言った。上品さが前面に出る貴族姿は、カミロとは相性が悪いみたいだ。もとは相当良い身分のくせに、難儀な男である。
「誰でもいいから選べと言われて、誰でもいいから選んだそうだ。頭が痛くなるな」
まったくもってその通り。そもそも、こちらの世界では世間知らずのショウコに対し、どこのどいつが「誰でもいい」などと言ったのだ。
そう考えて思い至る。あの護衛候補の面々が、自ら言い放った言葉であった。すなわち自業自得。
ちなみに私は、噂の新護衛の非礼を忘れてはいない。護衛より先に不敬罪で身分の剥奪や領地の没収などは出来ないだろうか。最悪減給でもいい。
ということをカミロに訴えるが、簡単に棄却された。
「お前はもう聖女ではないんだ。そんな権限はない」
聖女と神殿と王族。その護衛と神官と貴族たち。このあたりの序列は実にややこしいのだが、一つだけはっきりしていることがある。
私の現在の身の置き場である。はなはだ遺憾であるが、私の身分は神殿の頂点から下がりに下がって、せいぜい中流の貴族程度となった。下級貴族や庶民までは下がらないのは、一応は聖女からの天下りだからだそうだ。
私に対するこのふるまい。最上級のマグロの刺身を潰してネギトロにするくらいのもったいなさである。
しかし私はネギトロも好きだ。
などと私とカミロが無駄話をしながら夜会場にたどり着いたとき、すでにそこは戦場の様相を呈していた。
新聖女に一言挨拶を交わそうという者。普段はなかなか接することのできない上級貴族に媚を売ろうという、下級貴族たち。なにはともあれとにかく異性との不純な交友を目指す破廉恥な輩ども。夜会開始直後の騒々しさに満ちていた。
特に今夜は、まだ権力闘争の埒外にある新聖女。今のうちに「俺の色に染めてやる」という手前勝手な欲望に飢えた、不毛な連中が滾々と湧きいずる。
そういえば私のときはどうだっただろうか。と考えて思い至る。早々に護衛に選んだカミロが、私の知らぬ間にほとんど仕切ってしまっていたのだ。権力闘争に強い男がいると楽である。
もっとも、下級貴族のチンピラを護衛にしたショウコは、そうはいかない。
夜会の中心、明らかに不自然な人だかりの中心にショウコはいた。
ショウコをとりまく多くの貴族。しかし彼らはショウコに近づくことができず、周りをとりまくのみ。なぜなら彼女の前には、まるで姫を守るナイトのごとくあの赤毛の男が立っていたのだ。
周囲を睨み回し、手を上げることも辞さない目をした新護衛。教養人としての品位を忘れた男の前に、軟弱貴族が尻込みをしているのだ。なんという物理的防御。これだから非文明人は!
全ての物事を力でもって解決する。そんな世紀末的覇者に、文明の豚である私がかなうはずがなかろうに。
私は周囲をとりまく貴族同様、赤毛の護衛に恐れおののく他にない。傍にいるカミロの腕を引いて、ひそやかにその場を去ろうとした。
「……あ、ナツさん!」
もはや狙っているとしか思えないタイミングで、ショウコがそう言った。
はや逃げの姿勢に入っていた私を捕捉し、手を上げる。
一気に集まる視線。駆け寄ってくるショウコ。その後をついてくる、モヒカンも似合いそうな赤毛の護衛。私の繊細な心は今にも崩れ落ちそうである。
「ナツさん、来てくれてよかったです。私……」
私の前で足を止めると、ショウコはしとしとと泣き出した。
もはや万事休す。逃げ場はない。
○
徹頭徹尾天気の話で会話攻勢を躱した私は、全世界の称賛を一手に浴びてもおかしくないはずだ。
地学の話から気候にいたり、雲の発生過程から高気圧と低気圧、季節風による天候の移り変わりについて、私がこれまで習ってきた天気にまつわる全てのことを、この会場に放出した。これでまた、この世界の文明レベルが私の手によって、一つ上がってしまったのだ。多少間違った記憶で話していたが、それもまた味というものだろう。
一仕事終えて、私は額の汗をぬぐった。達成感を凝縮した、快い汗である。
「ナツさん、ありがとうございました」
夜も深まり、ショウコの元に一極集中していた人々も、しだいしだいにダンスやら他の人との会話やらで、会場中に散りはじめた。これがエントロピーの増大というものかと、知ったかぶりの知識で納得していたころに、ショウコはやっと安心したように言った。
「すごいですね。あんなにちゃんと喋れて……。やっぱり、一年の差なんでしょうか」
慣れというものは恐ろしい。一介の女子高生の超進化である。
「ショウコちゃん、気が強いのか弱いのかよくわかりませんね。殿下にはあんなに強気だったのに」
「あれは……頭に血が上っちゃって……」
ショウコは恥ずかしそうに俯いて言った。
この会話の間に、まったく空気同然であった侍従が、私とショウコのために砂糖水を調達してくる。あまりにも目立たないため、これまで目にも入っていなかったが、さすがは聖女のショウコ。護衛の他に侍従を二人従えていた。
一方、失脚した私にはそんな贅沢なものはいない。カミロも人を連れまわす性質ではないので、実に気楽な二人身であった。
「ナツさんが来てくれて、本当に助かりました。夜会ってこんなに大変だったんですね」
「そうなんです。これがパンダというものなのです」
見世物になるのが仕事なのだ。ストレスもたまるだろう。もとの世界に戻ったならば、まずは上野に行って手を合わせて来なければなるまい。今まで「尻ばっか見せてんじゃねーよ」とか思っていてごめんなさい。
砂糖水を一口含み、息を吐く。私とショウコが会話をする傍ら、どうやらカミロが赤毛男に注意をしているようだった。意外とあれも面倒見が良い。
しかし平和な時間も長くは続かなかった。むしろ「そろそろ来るかな」と思っていたら、やはりやってきた。
「こんばんは、ナツ様。聖女でなくなった今のご身分はいかがですか?」
イレーネである。彼女は今日も赤を基調とした、鮮やかなドレスを着ていた。いつもよりも不遜に思えるのは、私の身分が彼女と対等以下に落ちたからだろうか。
「ナツ様は、聖女様の教育係として王宮に残られるそうですね。ああ、ですがさすがナツ様の教えをうけただけあります。新しい聖女様もまた、ずいぶんと奔放な方のようで」
巻き毛を掻き上げ、イレーネはちらりとショウコの方向へ目をやった。
しかし哀れ。ショウコはまったくイレーネの言葉を聞いていなかった。私の横に立ちながら、どこか別の方向を見ている。
ショウコの視線を追うと、これはまた厄介な人物がいた。
少し離れて赤毛と会話をするカミロに、リベリオ王子殿下が寄って来たのだ。聖女の天敵とも呼べるこの男、ショウコは気になって仕方がないらしい。
「さすがナツ様、良い教育をされていますわ」
悔しさを噛み殺し、イレーネは笑った。
せめて私だけは逃すまいと必死で引き留めようとしているのだ。と思うと可愛くも見えなくもないが、見えなくもないと言うだけで、可愛くないことに違いはない。
「殿下がいらっしゃったなら、些末なことはさて置いて挨拶に伺うのは当然のこと。お褒めの言葉をいただくほどではありません」
私も笑顔で応える。かくいう私は王子に近づく心積もりはなかった。聖女帰還についての一件以来、めっきり犬と化した私であるが、王子の性根の曲がり具合は未だに苦手なのだ。
王子と話すくらいなら、イレーネの方がましである。
○
「これでカミロ様も自由になれましたね。煩わしいことから解放されて、さぞお喜びでしょう」
「そうですねえ。これでカミロも夜会で無理に私の相手をしなくてすみますね」
「ええ。これからはきっと、もっと別の女性のお相手もしてくださいますわ」
「いやあ、でも不思議なことに、今日は私といるんですよね。ああ不思議です。せっかく解放されたはずなのに、私を夜会に誘いに来たんですから」
「カミロ様は職務に忠実なあまり、きっと未だに解放された実感がわいておられないのですわ。おかわいそうに、もう無理に命令を聞く必要だってありませんのに」
私の表情筋は、この世界に来てから相当鍛えられただろう。
軽やかな会話、笑顔の二人。至高の絵画のようではないか。
そんな瑞々しい少女たちの会合。果たして中身は、いい加減会話がループし、互いに一歩も引かず同じ言葉の繰り返し。水掛け論もかくやという不毛さに、救いを求めてカミロのいる方向を見た。
その瞬間である。
小気味良い水音が響いた。
私の目に映るのは、空のグラスを持ったショウコと、その対面に立ち、頭から水をかぶったリベリオ王子であった。




