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顔を思い切りはたかれて、髪を痛むくらいに引っ張られ、服は無理やり剥がされて、私は半泣きである。部屋は人の出入りが禁止された個室。私を取り囲む複数の女たち。
これはいじめだ、不当なる扱いだ、断固抗議する!
「はいはいナツ様、口紅塗れないから黙ってくださいね」
私の顎を無理やり掴んで正面を向けると、女の一人がそう言った。老練した皺の刻まれるその手に筆を持ち、私の唇に紅を落とす。老女とは思えない力に抑え込まれた私は、唇のくすぐったさに震えながらも、身動き一つ取れなかった。今が好機と、背後に控えていた侍女たちも私の髪を結い、ドレスを着せて行く。
老女は筆を二回持ち替え、ようやく私を解放した。そのころにはすっかり、私は平凡な女子高生の面影を失い、お姫様のような姿に変えられていた。最後の仕上げとばかりに私に飛びつき、侍女たちは私の前髪やドレスの飾りなどを整える。そのときの私の表情たるや、着飾った全てのものを無に帰す類いのものだった。
「本当に、ナツ様はいつまでたっても慣れてくださりませんね。神殿の典礼なんてもう何度目だかわからないんですから」
何度やっても嫌なものは嫌なのだ。
「そろそろカミロ様がお見えになりますよ。いつまでもそんな顔をなさらないで」
老女の言葉に応えるように、小部屋の戸が開いた。ノック一つもなく、本当に唐突に開いた。
現れた無作法者は、私の渋い顔を見て、呆れたように首を振った。
「…………時間だが、まだ顔の準備が整っていなかったようだな」
なんだとー!
「申し訳ありません、カミロ様。ナツ様は疲れておいでなのです」
「これから神殿での長い典礼だ。そんな調子で大丈夫なのか?」
「問題ありません。ですよね、ナツ様?」
老女が私に振り返り、有無を言わせない視線を寄こした。そんな恐ろしい瞳、いったい誰に向けたものなのだろうかと、私はさらに後ろを振り返る。背後は壁だった。そんなに壁が憎いのか。
壁際には、侍女たちがかしこまって並んで立っていた。若い侍女たちは皆一様にカミロという男を見て、頬を赤らめている。私はけっと喉を鳴らした。
カミロは王家直属の近衛兵だった。ほとんどが世襲で、名誉職に近い近衛兵。つまるところ金持ちの七光りと言うわけなのだが、その家柄がずいぶんと魅力的らしい。
おまけにカミロは、思わず二度見するほどの美男子だった。金髪碧眼という王子様みたいな容貌だが、腐っても軍人らしく、線の細さは感じない。良く鍛えられた体と、精悍な顔立ち。切れ長の瞳に映されると、ときめきよりも強い威圧感に晒されるということを、侍女たちはきっと知らない。
聖女として祭り上げられて以来、護衛となったカミロとずっと一緒にいた私は知っている。カミロは見た目も怖いが、中身もかなり素っ気なくて恐ろしい。
「まあ、いい。ナツ、ふざけてないで行くぞ」
さらに言うなら、カミロの家柄は、異界から来た聖女という、私よりも上らしい。実際のところ、私はふわっふわした位置取りなので、正確に自分の身分がどこにあるかもわからないのだが。
カミロは私に歩み寄ると、無遠慮に腕を取った。そのまま、無理やり私を引っ張って、衣装と化粧道具の並ぶ小部屋を出る。私にできることは、悲鳴を上げることだけだった。
「ぎゃああああ。さらわれるううううう!」
カミロに神殿まで引きずられながら、私はそう声を上げた。カミロももう私の性格を熟知しているらしく、城の裏手から、人気のない道を選んでいた。おかげで私の悲鳴はむなしく空へと消えて行く。
「いい加減、無意味な抵抗は止めろ。お前はそんなに典礼に出たくないのか」
「あんなもの、出たい人間なんていない!」
形式ばった儀式と言うのは面倒なものなのだ。しかし、本当に嫌なのはそれではない。儀式の後の雑談やら会食こそが真の大敵。相手のことを褒めつ貶しつ、当たり障りなく会話をしないといけないのが、まずもって胃に来る。せっかくの食事もまずくなると言うものだ。
「その割には、上手いことやっているみたいだがな。ずいぶん肝の太い聖女だと評判だ」
「ポーズですから! そのあと吐いてますから!」
「自慢にならんな」
まったくだ。
「……まあ、その苦労も間もなく解放されるかもな」
神殿が近くなり、雑木林のようだった木々に、次第に手が入っているのが見て取れるようになっていた。上天気で、木漏れ日が心地よい。ここまで来ると、人に見つかる恐れもあるために、カミロと私はいかにも聖女と騎士らしく慎ましやかに歩いていた。私だって分別くらいは知っているのだ。
「解放? お役御免?」
まさか私の態度が悪すぎたのか! 心当たりはいっぱいある。
「まだわからないがな」
カミロの態度は素っ気ない。私は彼の言葉がどういう意味か、考えながらしずしずと歩いた。
城に隣接した神殿までは、歩いて二十分かそこらでたどり着いた。この世界の時計なんて約一時間刻みの鐘の音くらいしかないので、もちろん体感的なものでしかない。
「ようこそおいでくださいました、ナツ様」
そう言って出迎えたのは年老いた神官長だ。出迎えた、と言っても、すでに神殿の奥の間である。すっかり腰が曲がり、杖なしでは歩くのもおぼつかない神官長には、これでも十分な気遣いだろう。
「カミロ殿も、ご苦労様です」
「いいえ。ナツ様の護衛ができると言うことは、名誉なことですから」
カミロは先ほどまでの巨大な態度をすっかり抑え、神官長に頭を下げた。このあたりの序列がややこしいのだが、神官長はカミロや近衛兵よりは身分が上らしい。一方、聖女と言うのは神に選ばれた存在とやらで、神に仕える神官はみんな、聖女の下に位置するとか。
おかげでカミロにナツ様などと呼ばれ、くすぐったい思いをするはめになる。
「護衛はここまでで大丈夫です。神殿にも兵はおりますからね。カミロ殿も後の儀式に参加されますから、どうかお休みになってください」
神官長の言葉に、カミロは一礼をして出て行った。
二人になった部屋で、神官長は私に椅子をすすめる。ここは貴賓室らしく、調度も椅子も上等なものばかりで気後れがする。
私が椅子に座ったのを確認すると、神官長は今日の典礼の説明を始めた。
まあ、どうせいつも通り立ちっぱなしで祈りの言葉とか聞いて、せいぜい眠らないようにしていればいいんだろう。聖女の役割なんてそんなもので、典礼の内容も変わり映えがしない。そのせいもあって、毎度毎度当日連絡という、この組織一回見直した方がいいんじゃないの、という制度でもどうにかなっているのだ。本当に、腐敗と言うのは慣れから来るものである。
などと、余裕を飛ばしていた私に、神官長はとんでもないことを言った。
「今日は、新たな聖女様の召喚をいたします」
は?