17
捨てる神あれば拾う神あり。
カミロから完膚なきまでの護衛失格の発言を受けたあと、怒りにまかせて喧嘩別れし、一人で神殿の脱出を試みているときだった。
心地よい風も今は腹立たしい。人の気も知らず能天気に輝く太陽は恥を知れ。唾棄すべき煌めく青空は、私に遠慮して雲にでも紛れているがよい。
おまけに滅多に一人で歩かぬ神殿は、あっちもこっちも似たような石柱の並ぶ回廊ばかり。どこが出口かわかったものではない。かえすがえすも不愉快な一日である。
そんな私の前に、一人の男が立ちふさがった。
中年らしい皺の刻まれた細身の男だ。学者とどっこいと言った野暮ったさの中に、どことなくエリートのにおいを感じさせるたたずまい。服装はゆったりとしたローブで、これもまた、学者同様に色気のないものであった。八割がた学者と変わらない印象だが、強いて言うなら、チェリーではあっても女性の友人はいる、といった人物だ。
ぶしつけに眺めまわし、一通りの感想を抱いたところで、私はこの男が先の部屋に集まっていた人間の一人。魔術師の代表であると気づいた。
いぶかしむ私に、男は頭を下げた。残念ながら頭髪は不自由なようだ。灰色がかった髪の合間から、地肌が見え隠れしている。
「ナツ様。こんにちは」
「はいこんにちは」
「あの、私、べに、あ……魔術師のベニートと申します。儀礼執行の魔力集約を専門としておりまして……あの、あ、いえ、どうでもいいですね」
私の人間観察力は今一つのようだ。
女性の友人どころか、そもそも友達すらいるのか危うい、つたない口調でベニートと名乗った男は話す。見たところ、これでもおおよそ四十代。なかなか将来が不安になる対人スキルであった。
首を傾げる私に、ベニートはなおさら焦った様子であった。冷や汗をかきつつ、あの、あの、となんとか言葉を繰り出す。
「副神官長代理主任補佐様はああ仰られましたが、あの、私たちはナツ様の思うとおりにやっていただきたいと、あの」
「はい。うーん、はい?」
あまり要領を得ない。
「私たち、あの、やってみたいんです。もっと効率的に魔力を扱うことができればと、長年思っていて。だから、ナツ様の提案がありがたいんです。感謝しております」
「ほほう」と私は唸った。見た目によらず、なかなか見どころのある奴だ。
しかし一体どのような理由で、効率的な魔力を扱いたいと思っているのか。言ってはなんだが、私は彼ら魔術師を使い潰す気に満ち満ちていた。死ぬまで働け、働けぬなら死ね。冷徹な資本主義社会に育った私にとって、雇用者と被雇用者は人種が違うのだ。悔しかったら君も、使う立場に立ちたまえ。
私の問いかけに、ベニートははじめはたどたどしく、しかし次第に情熱的に語り出した。
曰く、神殿は技術成長の可能性を潰しているのだ。
学者たちの研究や、日々研鑽する魔術師たちの技術によれば、魔術の使い道は聖女召喚だけにとどまらない。小規模魔術で日々の生活をちょっぴり文化的にしたり、大規模魔術で世の仕組みを根底から覆したり、特に何の役には立たずとも、とにかく好奇心の向くままに無意味な魔術の新製品を開発してみたり。魔術の用途は本来多岐にわたるのだ。
だがそこは、しがらみだらけの神殿である。新製品のアイディアを出しても、上からの許可やら神殿の威厳やら魔術の秘匿性やらで、すべて門前払い。あるいは稀に企画が立っても、なにやら目に見えない駆け引きやらにより頓挫する。
おかげで魔術はいつまでたっても旧時代的な方法により、聖女の召喚のみに終始する。
○
「これでは技術発展もあったものではない! 我々の力はこんなものではないのです! 上の連中はなにもわかっちゃいない! 理論があれば聖女の召喚も帰還も可能なはずなのです!! 失敗したらその時はその時、新たな理論を汲んでみればいいのです!! とにかくやってみるのです!!」
「気に入った!」
私は思わず叫んだ。この熱い情熱に心打たれたのだ。
ベニートの瞳はきらきらと輝く少年のようである。語り出す口は、先ほどまでの腰の引けた様子は一切ない。周りを気にせず人の目もなんのその。コミュニケーション能力を犠牲にし、異性同士の交流も薔薇色の宮廷生活も投げ打って、一心不乱に魔術にかける熱意。見上げたものがある。
権力がどうの、人間関係がどうのといった軟弱な神殿のルールなどに、この情熱を邪魔されてなるものか。私はこの男に、一〇〇〇番やすりで一日中パーツをみがき続けた、在りし日の自分自身の姿を見出した。
「気に入りましたよ、ベニートさん。わかりました。目的は、聖女の帰還だけではありません。魔術の新たな展望を見せるのです!」
「わかっていただけましたか! 私は今猛烈に感動しています!!」
私と熱く握手を交わすと、ベニートは感激の涙を流した。見事な男泣きである。神殿上層部の軽薄な涙とはわけが違う。これは夢を追うものだけが見せる魂の煌めきだ。嫁もいて、子供もいて、幸福な老後を待ち構えている連中に、もはや研究しか残されていない四十路男の気持ちなどわかるまい。
めっきり偏見であるが、後々聞いたところによると、やはりベニートは独身で同僚の他に知人もなし。最近幸福を感じたことは、近所の幼女にお兄さんと言われたことだという。この世界の人間は、幼くしてお世辞が言えるのかと感心した。
○
果たして私たちの感動にもまた、水が差されるものである。
神殿の回廊で夢を追う者同士、深く話し込んでいたところに騒動がやってきた。どやどやどやと回廊に流れ込む男たち。
何事かと目を向ければ、どれもこれも見栄えのする近衛兵姿の貴族たちであった。さらによくよく見れば、いつだったか聖女の護衛候補として選ばれた面々らしい。あの時顔ばかり見ていたおかげで、おぼろげに覚えていたのが幸いした。
「ああ、ナツ様!」
男たちの一人が私に声をかけた。端正な顔をしかめ、弱り切っている。
「どうしたのです?」
「ナツ様、あなたからも説得してください。ショウコ様が、どうしても私たちを護衛にしたくないと逃げたのです! またしても!!」
そう言う男の背後から、またしてもどやどやと詰め寄る足音が響く。見れば今度は神殿兵の一団だ。以前聞いた話では、護衛候補は全員お縄についたと聞いたが。
「お願いです! ショウコ様に誰でもいいから護衛を選ぶように進言してください。私たちだって本心では捕まりたくはないんです!」
これもまた魂の叫びである。
まったくショウコはどうしてこうも厄介ごとを起こすのだ。
まわりの人間のことも少しは考えてみるべきである!