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半年の間、神殿ではなにをしているのか。
そんなもの、無限の手続きである。
既に涙も枯れ果てた老木から聞き出したことによると、聖女召喚にかかる時間の内訳は以下のようになるらしい。
いわく、一番時間がかかると言う、魔力の集約とやらにおおよそ準備期間の半分。禊やらそういう宗教的なものにひと月。こまごまとした雑用に数日。
残りはすべて手続きに当てられた時間だった。
まあ、事務連絡などで相手の都合と合わせるのに、多少の時間がかかるのはわかる。許可がなければできないことがあるのも、なんとなく理解はできる。
だけど、神官長に取り次ぐには、副神官長を通さなければならない。副神官長には、副神官長代理を通す。その下には副神官長代理補佐、副神官長代理補佐心得、副神官長直轄儀礼運営取締役会代表取締役とまでくれば、舐めるなと叫びたくもなるものだ。最後なんて、ほとんどなにを言っているのかわからない。
その処々の手続きに手間取って、聖女召喚の日程自体は早めに伝えられるものの、その具体的な内容はほぼすべての貴族に当日連絡。王家にすら前日連絡とあっては、さすがの女子高生にだっておかしいとわかる。
まったく中間搾取の捗ること捗ること!
どうせさらにその下には、副神官長直轄儀礼運営取締役会代表取締役代理補佐でもいるのだろう。
「おります」
いんのかよちくしょー!
神殿の腐敗は予想以上だった。
聖女召喚から保護までを一手に引き受ける神殿は、この国においては王の次に強い力を持っている。聖女擁する神殿の経営は、信徒からの寄付金の他に国からの税金で成り立っている。いわゆる公務員だ。
日本でも公務員の腐敗が深刻だと聞いていたが、どこの世界も変わらないものらしい。貴族とのつながりも強いそうなので、恐らくはコネや天下りが跋扈していることだろう。
こんなもの、全員クビにしてしまえ!
私がほとんど叫ぶように言うと、神官長は乾いた笑いを浮かべながら、「まあ、まあ」と言った。
「そう簡単にいくものでもないのです。彼らには彼らで、することがあるのですから」
汚い大人の政治屋が言うことなんて、信用できるものか。目の前の枯れ木だって、もしかしたら神官長ではなく、神官長影武者代理主任補佐あたりかもしれないのだ。
「とにかく、とにかく、私が元の世界に戻るにあたって、そういう煩わしいのはなしに、直に行えるようにしてください」
「ナツ様、そうは仰いますが、私たちもできることとできないことがあるので……」
「人員削減くらいはできるでしょう!」
世の中は効率主義。無駄を省いて生産性を上げるのだ。私がもしも神殿の経営者であれば、真っ先にこの枯れ木は暖炉に投げ込まれることになるだろう。
「ですが、ナツ様」
「言い訳は――――」
いらん、と言おうとした私は、不意に袖を引かれて口をつぐむ。
背後に控えていたカミロが、鋭く私を見下ろしていた。青い瞳が細められ、私を視線で突き刺す。センシティヴな年頃の少女には、あまりに痛すぎる威圧感だった。喉の奥まで出かかった言葉が飲み込まれ、胃袋の中へ落ちて溶ける。
「ナツ様、そろそろ次の予定のお時間です。お話はそのくらいに」
「…………はい」
しかしこの後、予定なんてもちろんない。
「……申し訳ございません。お話の途中ですが、いつの間にか時間になっておりました。私はこれで失礼します」
私はすっかり勢いを失い、形式ばった挨拶だけを神官長に残した。背後でカミロも同様に一礼をする。
神官長はほっとしたような表情で、ではではと私たちを追い出した。
○
追い出された私は、カミロに説教を受けることになった。
冴え冴えとした石造りの神殿は、下っ端神官どもが忙しなく駆けずり回っていた。トップがぬくぬく私腹を肥やす傍らで、ご苦労なことである。
そんな神殿内を避け、カミロはあまり人の来ない、神殿の裏庭に私を連れ込んだ。そして今日もまた、盛大にため息をつく。
「お前はもう少し、相手を見てから物を言え」
「見た!」
私はカミロの威圧が緩んだことをいいことに、再び舞い戻って来た苛立ちに身を任せた。
「どうして邪魔した! 私が帰るのが遅くなるじゃん!」
あのまま神官長を恫喝、神殿を頂点から掌握し、私の帰還のためにデスマーチが始まるはずだったというのに。カミロがあの場で私の袖さえひかなければ、聖女を頂点とした輝ける恐怖政治がはじまるはずだったというのに!
カミロは私とは対照的に、冷え冷えするほどに落ち着いていた。
「世の中はお前の頭ほど単純ではない」
なんだと!
「単純な方が効率的でしょ? パソコンだって最適化するでしょ!」
「効率的であればいいと言うわけではない。お前だってこの神殿で世話になっているんだ。あまり波風を立てるな」
波風けっこう! 平穏ほどつまらないものはない!
と、頭に血の上った私は、かつてショウコに対しては真逆の言動を取っていたことを忘れている。波風、実にけっこう。しかし権力に弱いのも、また確かなのだ。
「……少しは俺の顔も立てろ」
カミロは首を振った。すっかり苦労人の風情である。若いときの苦労は買ってでもしろと言うが、私はカミロに苦労を売った覚えはない。いったいどこで苦労を拾ってきたのだろうか。
「俺の家は神殿に繋がりが強いことは知っているだろう?」
神妙に言うカミロに、私は小首をかしげて記憶を探った。
束の間考えた後、脳の片隅に、上位貴族であるということ以外のカミロの情報を思い出し、「ああ」と手を打つ。
先にも述べたとおり、神殿は現在、王家に次ぐ力を持っている。その権勢を頼って、神殿には数多の貴族たちが群がるが、その中でも特にパイプが強いのが、カミロの家系なのだ。もともと神殿とは懇意だったそうだが、カミロが護衛に選ばれてからはなおさららしい。
しかし、それがどうした。カミロの立場が危うくなったとして、それが私になにをする。
「お前が元の世界に帰れなかったらどうする」
仏頂面の私を、カミロはわずかに腰をかがめて覗きこんだ。
「帰れなかったら……」
居心地のいい橋の下を渡り歩くことだろう。
この世界に段ボールはあるのだろうか。新聞紙は?
「俺の家がつぶれたら、お前の引き取り手がいなくなるだろうが」