前夜祭の夜
カリカリカリ。カリカリ、カリカリカリ。
一定の間隔でペンがはしる音が部屋の中に響き、時折パラリと本を捲る音が聞こえる。そう、俺達はいま夏休みの宿題を行なっている最中だ。
魔法学園ツォベラは、三年間の中等部・高等部を卒業すると【魔法使い】を名乗ることができ、その上の四年制の学院を卒業すれば【魔術師】を名乗ることが許される。高等部から学院に行くには試験でそれなりに優秀な成績が必要だが、中等部・高等部は入学試験が無い。『魔法適正を持つ者ならば孤児・平民・貴族・王族、どんな身分の者でも犯罪者で無い限り、我々は拒まない』と謳っており、その言葉通り魔法適正と本人に入学の意思があれば簡単に入学できる。在学中は寮に入るが、代わりに最低限の衣食住は保障されているし、休暇中は事前に届さえ出せば外泊できる。とても魅力的な学園だ。
しかし、それでも毎年の入学者は五十人前後しか居ない。魔法が使える人間は限られているからだ。だから、【魔法使い】でも一生仕事に困らないし、【魔術師】ともなればそのほとんどが城仕えである。まぁ、ごく稀に研究に没頭しすぎて秘境に引きこもったり、講師として学園に残る者もいるが。
そんな、ツォベラも宿題というモノが存在し、夏季休暇は長い分その量も膨大だ。しかし、魔法を扱う人間は知識に対して貪欲な性質を持つらしく、どんなに膨大な宿題が出されようとも、みんな何だかんだ言いながらも楽しんで勉強する。その為学園の歴史上、宿題をやらなかったことによる罰則を受けた者はいないらしい。
「――――終わったぞ、シン」
「ん? ああ、終わったのか」
俺達も遊びに来ているとはいえ、ツォベラの生徒である。夕食を食べ終ると自然な流れで、お互い持ってきていた宿題を手に取った。その際、昼間の約束が楽しみなのかキオがそわそわしていたが、やり始めればいつも通り。
俺は要点だけまとめてさっさと終わらせ、細かい所が気になるキオは色々調べながら書き足して、と俺より丁寧な分時間がかかっていた。まぁ、急ぐものでもないので、俺はゆっくりと本を読んで待っていたのだが、キオは楽しみで仕方がなかったらしい。最後の一行を書き終えるなり、凄い速さで片付けを済ませていた。
「ああ。終わった! さぁ、早く見に行こう!」
「そんなに急がなくても、庭は逃げない」
俺を急かすキオを宥め、控えていたエレクにシュネーを見に行くことを告げる。
「では、行ってくる」
「敷地内とはいえ、お気を付けてお過ごしくださいね? シュネー茶はこちらに」
「ああ、ありがとう。後は頼んだ」
「行ってらっしゃいませ」
シュネー茶の入った容器一式をエレクから受け取ると、彼は頭を下げて微笑ましそうに俺達を見送る。まだ二十六であろうに、孫を見送るような雰囲気のエレクに後の事を頼み、俺達は白銀に輝くシュネーを見に庭へ向かった。
「ほら、あそこだ、キオ」
「おお! 確かに白銀に輝いているな!」
シュネーの花壇を見つけて、キオは嬉しそうに駆け寄った。屋敷から少し離れ奥まった所に造られているシュネーの花壇は月明かりを受けて、銀色に輝いている。
「綺麗だな……。こんなに輝いて見えるものなのか」
「夜にシュネーを見るのは初めてか? 王城にもあるだろう?」
「たまに他の花に混ぜて飾られているのを見るが、生えているのを見たのは初めてだ。昔、飾ってあったのをこっそり部屋に持ち帰って見たが、薄ら銀がかって見えただけで、こんなに強い輝きでは無かった」
「ああ。切り花じゃ、そんなものだろうな。運んでいる途中で花粉が落ちる」
白銀に輝くシュネーに、キオはいたく感動したらしい。小さい子供のように時折しゃがんだりしながら花壇の周りをグルグルしている。俺はそんなキオを花壇から少し離れた所に設置してあるベンチに座りながら観察中だ。彼のはしゃいだ様子につい、笑みが零れる。
「ふっ」
「ん? ――――って、何を笑っているんだシン!」
音に気が付いたキオが振り返り俺の様子に気が付く。立ち上がり、こちらに向かってくるキオの足元を銀の粉が包む。
「足元が凄いことになっているぞ、キオ」
銀の粉がふんだんについたキオの足元を指差せば、怪訝そうに下をみた。そして、己の腰から下の惨状に顔を引き攣らせる。
「い、いつの間に」
「シュネーの周りを、立ったり座ったりしながら歩き回るからだ。シュネーの花粉は軽いからな。お前の動きで出来た風で舞い上がって、さっきからお前の足元は凄かったぞ」
「シン。こうなるのが分かっていたなら先に言ってくれ! 花壇にあまり近づいてこないからおかしいと
は思ったんだ。…………お前、知っていて黙っていたな?」
非難の籠った目で俺を見るキオに、素直に両手を上げて降参しておく。今のキオの惨状はズィルバー地方の子供が一度は通る道である。俺も幼い頃に、何度も服を銀まみれにして笑われたものだ。
「湯で洗えばすぐに落ちる。ズィルバーの子供はみな通る道だからな。エレクに頼んでおいたから、戻ったらお風呂と着替えの準備が出来ているぞ」
「……だからさっき俺達を見送ったエレク殿はあんなに微笑ましい顔をしていたのか」
「だろうな。まぁ、早く行きたがるお前が微笑ましかったのもあると思うぞ」
「そう考えると、急に恥ずかしくなってきた」
「たまにはいいんじゃないか? キオは大人びていて、はしゃいだりしないからな。俺でもはしゃいでいるお前を見るのは二度目だ」
「お前にだけは、大人びているなんて言われたくない。俺よりも子供らしさと無縁の癖に」
「まぁ、否定はしないが。流石に無縁ではないぞ。俺だってはしゃいだりはする」
そういいながら、俺の横に腰かけたキオにシュネー茶を注いで渡す。若干不満そうではあるが、キオはお茶を受け取ると大人しく座った。シュネー茶をすすりながら、考え込むこと数拍後、難しい顔で俺に話しかけてきた。
「無縁だろう。あのツォベラに入学した時でさえ冷静だったじゃないか。俺の記憶の中に、子供らしくはしゃぐお前は居なかったぞ」
「いや、ツォベラの入学式ははしゃいでいたぞ? ただ、お前の方が凄すぎたから目立たなかっただけだ」
「あ、あれは仕方がないだろう? まさか、自分が学生としてツォベラの地を踏む日が来るなんて思ってなかったのだから」
「まぁ、な。見るものすべてが、珍しく、楽しかったのは否定しない」
キオとツォベラで過ごした日々を思い返す。見るもの全てが素晴らしく、教わる知識は全て興味深かった。
「だからな、お前には本当に感謝している。シン」
急にかけられた言葉に、反応が遅れる。横を向けば、真っ直ぐ見つめる蒼い瞳と目が合った。
「感謝している。初めて会ったあの日からずっと」
キオの真剣な表情に、息を飲む。
「あの日、お前が俺の為に騎士を怒ったことも、図書塔で何時間もかけて魔法を教えてくれたことも、俺が学園に通えるように色んな人に頭を下げて回ってくれたことも、ツォベラで一緒に過ごしてくれたことも、今回の旅行も、全てシンが与えてくれたものだ」
止めてくれ。そう言いかけて、言葉を飲み込む。それは全部俺のお蔭じゃなくて全てキオの努力と、力を貸してくれた父上や、国王達のお蔭だ。そう言おうとしたが、キオは無言で首を振り俺を制した。
「全部お前のお蔭だ、シン。お前がくれた日々を、言葉を、俺は一生忘れない。あの日、俺のしたいことをして、俺らしく生きていいと許してくれて、ありがとう」
「あの言葉は、父上からの受け売りだ。…………俺自身の言葉じゃない」
「それでも、俺にあの言葉をくれたのはシンだ。ずっと側に居てくれたのも」
否定しようとする俺に気が付いていながら、キオはなお言葉を続ける。その言葉が、今の俺には嬉しくて、苦しい。
「物心ついた時から、王族として相応しくあるように言われていた。二十年という限りある時間を決して無駄にしないようにと。そう言った者達は未だに学園での日々を無価値だという。そして、幼き頃の俺はそれを信じ、鵜呑みにしていた。でも今は違う。自分にとっての価値は自身が決めるものだということを知った。そのことをお前は俺に教えてくれた。シンと出会い、過ごした日々は俺にとって何よりもかけがえのない時間だ。喜びも楽しみも苦しさも悲しさも、生きるということ全てお前が教えて、与えてくれたんだ。これだけは誰にも否定させない。もちろん、シン自身にも。――――――俺はこの世界に生まれ、お前に出逢い、共に生きられたことを神に感謝している」
キオが俺と過ごした日々をそんな風に思ってくれていたことを、今初めて知った。真剣に語ったキオの顔に虚偽やお世辞は無い。俺は、キオの為に少しは何か出来ていたのだろうか? 真偽は判らない。でも、たとえこの言葉がお世辞だったとしても、俺はこの言葉を忘れないだろう。俺だってキオと出逢い、共に居られたことを感謝しているのだから。
思いがけない告白の後、俺達は静かにシュネーの花を見ていた。昇り始めたばかりだった月は大分高い所まで上がっている。後二、三時間で真上に昇りきり、日付が変わるだろう。
「そろそろ戻るか? シュネーの花粉も嫌っていうほど確認できたからな」
俺が月を見上げていると、キオが自分の足元を指しながらおどけて言ってきた。明日はお祭りであり、体も少し冷えてきたので異論も無い。立ち上がり、体をぐっと伸ばす。
「そうだな。明日も早いし、そろそろエレクが待ちくたびれているだろうからな」
「エレク殿か……」
見送った時に見せた表情の真意を知ってしまったキオは複雑そうだ。キオもエレクは苦手みたいだから、その反応も仕方がない。キオが考え込んでいるうちにシュネー茶を片づけて歩き出す。
「戻るぞ」
「ん、あぁ」
まだ考え込んでいたようだが、俺が歩き出しているのを見て慌てて追いかけてきた。ようやく横に並んだキオに、一つ疑問に思っていたことを聞く。
「なぁ、キオ。お前さっき、神に感謝していると言っていたな」
「ああ。お前に逢わせてくれた神にはいつも感謝している」
「じゃぁ、黒神モーントは? 恨んでいないのか」
俺がそう問えば、キオは足を止めた。黒神モーントはキオ達王族に呪いをかけた神様だ。酷なことだろうが、俺は今後の為にどうしても聞いておきたい。
「モーント神を恨むか。…………考えたこと、無かったな」
嘘だ、と思った。呪いに苦しめられてきたキオが、元凶である神について考えたことないなどあり得ない。あの絵本を持っていたのだって、偶然ではないはずだ。
キオが何かを隠しているのは直ぐに分かったが、それを聞くことは出来なかった。俺には聞かれたくないのかも知れない、と思ったからだ。俺が、頼りないから。
「いや、考えたことが無い、というのは違かったかもしれん。…………そうだな。呪いについては、考えないようにしていたというのが正しいのだろうな。というか、考えても仕方ないというのが王族共通の認識だろうな」
「……考えても仕方ない?」
自分達にかけられた呪いなのに? そんなはずは無い。二十年で死んでもいいと思う人間なんてそうそう居ない。
「ああ。呪いが発動してから数千年。ありとあらゆる方法を試したが、解く方法は分からなかった。絵本を読めば過ちの意味は分かるが、贖罪の意味が解らない。モーント神への対話を試みたこともあったそうだが、成功したという話は無い。人が出来る考えられる限りの方法は、この数千年でやりつくされているんだ。だから、あとはもうモーント神が怒りを解いてお許し下さる日をただ静かに待つしかない、と議国制度で話し合った結果、数百年前から言われている。一応、呪いについては毎年議国制度で話し合われるが新しい策が無い以上、結果は変わらないからな。王族に生まれた者は、その短い生をありのまま受け入れるしかないと言われている」
「キオは?」
「ん?」
「議国制度と王族の考え方は分かった。ただ俺は、呪いについてキオ自身、どう思っているかを聞いておきたい」
どこかはぐらかそうとするキオに、俺は勇気を出して聞く。ただ、無暗矢鱈とキオを傷つけたい訳ではないので、これではぐらかされたら諦めるしかないが。
「……そうだな。俺も考えないようにしていたからな。――――ただ、俺にはシンが居たからな。他の王族よりもずっと自由に、自分の人生を生きている。それは、とても幸運で幸せなことだと思っている」
そう答えたキオは幸せそうに微笑んでいるように見える。しかし、その笑い方に虚偽があることを、四年という月日を共に過ごした俺の勘が告げている。
ただ俺としては、そう言い切られてしまうと、先ほどの告白もあって追求しにくい。
「…………そうか。答えにくいことを聞いて悪かったな。いい加減戻ろう。早く寝ないと、明日寝過ごしそうだ」
「そうだな」
俺とキオは再び肩を並べて歩き出す。少し離れた所に、エレクの姿が見えた。あまりにも遅いから迎えに来たのだろう。
結局俺は、キオにとって、全ての気持ちをぶつけられるような存在ではないのだろう。本心を吐露しないのは、キオの優しさ故か、俺の頼りなさ故か。…………後者だろうな。俺は無力で、いつだってキオの側に居ることくらいしか出来ないから。
俺に出来ることはあるだろうか? そんなことを考えながら、俺はキオと部屋に戻った。




