出会い(後編)
俺が住まう、ヴァッサーは水の国といわれるほど、国中のいたる所に川や湖が存在する。美しい水と、水路などの治水技術はヴァッサー国民の自慢だ。
また、ヴァッサーでは主要な道は全て白亜の石畳で舗装されている。王城から北・北北東・南南東・南・南南西・北北西と六つに枝分かれする石畳は国内の主要な町全てに敷かれおり、いわば国道である。そしてその先は全て、首都にある白亜の城に続いている。地図を見れば、王都を中心に大きく六つの街道が伸びており、そのそれぞれが細かく枝分かれしているので、雪の結晶のように見える。
そして、国の中心にある白亜の城は一部が大きな湖に突き出す形で建設されており、城を囲うように水路が引かれている。アクアブルーの水が白亜の城壁に映え、晴れた日には反射した光が城壁をブルーに染め上げる。その景色は絶景といわしめるに相応しく、その青と白が織りなす神聖ささえ感じる景観は、死ぬまでに一度は見たい絶景第一位である。
ちなみに俺は僅か数時間前に、生まれて初めてその美しき白亜の城を見た。確かに死ぬまでに見たい絶景というだけあって、それは素晴らしいものだった。また運が良いことに、今日の天候も手伝って今年一番の美しさだと門番が言っていた。城を染め上げる透き通ったブルーは城の中ほどまでに上り、青から白へのグラデーションは最高に美しかった。あの光景を見られただけで、わざわざズィルバーから王都まで出てきた甲斐がある。
さて、いまさらな気もするがそもそもなぜ、俺が王都にきたのか説明しよう。まぁ、簡単に言えば王子様の学友候補に抜擢されたからである。
何故俺が選ばれたかというと、俺が侯爵家次期当主という身分にあり、王子様と同い年だったからという簡単な理由だ。まぁ、他の理由をあげるなら俺が十歳という年にしては他と比べて優秀であり、魔法適正をもつ希少な人間というのもあったかもしれない。
だがしかし、ここで俺の性格を思い出して欲しい。前に述べた通り、俺は自他共に認めるほどに協調性が大幅に足りない。
そのため、本来ならば王子様の学友といった重要な立場に選ばれることはなかった。所詮、学友という名の遊び相手である。それに、遊ぶだけならそんなに高い身分は必要ない。最低限貴族であれば城にはあがれる。
だから、普通なら王子様の不興をかう可能性の高い俺よりも、身分が低くても王子様と上手くやれそうな、優しく、素直な子が選ばれるものなのだ。
そう、今回みたいなたぐい稀なる運命のいたずらさえなければ!
実は何の悪戯か、現ヴァッサー国王の従弟で次期国王である、ブラキオ・フェン・ヴァッサー王子、御年十歳と同い年な貴族は国中探しても俺だけだったりする。それだけなら、まぁ何とかなったのだ。多少年齢差はあっても遊び相手は務まる。そう、多少ならば。
そして、そんなまさかと思うが、残念なことに俺以外の貴族の子では王子様と多少ではない年齢差がある。
何故か、俺の両親が結婚した前後の年に結婚した貴族が偶然いなかったのだ。その結果、俺以外で歳の近い貴族は上が十五歳、下が五歳と王子と結構な年齢差が出来てしまったのである。
ちなみに、貴族は十四歳になると魔法学園・騎士学園・普通学園のどれかに入学する決まりがあり、どの学園も寮に入らなくてならない。そして、五歳児では遊び相手には無理がある。
という訳で、この度めでたく侯爵家次期当主という高い身分と、貴族で唯一の王子の同い年の子供と言う事で、俺は王子様の学友候補に抜擢された訳である。
そしてお日柄もよい、今日。
俺は、王子様と記念すべき初対面をしたのでした。
パチパチパチパチパチ。
とまぁ、さっきから長々と説明させて貰ったのだが、実は今俺の机を挟んだ真正面に次期国王であるブラキオ様が座っていたりする。
軽く自己紹介を済ませ、今は軍盤と呼ばれる貴族男子の一般的な遊びをしている所だ。
ブラキオ様は緩いウェーブのかかった濃い紺色の髪の毛を肩につくかつかないかといった長さまで伸ばしており、淡い水色の衣服と綺麗に整った幼い顔の所為で、見方によっては女の子にも見える。しかし、俺を鋭く睨みつけるその眼差しは幼くとも流石王族だなと思わせる迫力があった。
ちなみに悠長にブラキオ様の説明をしているが、いま室内の空気は凄まじく悪い。毎年、豪雪に悩まされる真冬のズィルバーよりも凄まじいブリザードに見舞われている。
「…………私の負けだ」
「そうですか。これで、俺の十九連勝ですね」
逃げ場を失った王駒を見て、悔しそうに負けを認めたブラキオ様にさらりと俺の勝ちを告げれば、室内の気温がさらに下がった。
「……もう一回やるんですか?」
軍盤を見ながら一言も発しないブラキオ様に再戦を尋ねれば、顔をあげてこちらを睨みつけてきた。しかし、その蒼い瞳には溢れんばかりに涙が溜まっている。瞬きでもすれば零れ落ちそうな状態の為、いかんせん迫力に欠ける。
涙ぐんでいる所為で、先ほどよりも薄く透き通っているように見える彼の瞳は、ブルーに染まった白亜の城のように綺麗だった。
そんな場違いな感想を俺が考えていたその時、王子様の目から涙が零れ落ちた。
「(あ、泣いた)」
「もう軍盤はやらん! お前も嫌いだ!」
王子様はそう叫ぶと、傍に控えていたメイドさんに抱きつき泣き始めた。同時に周りに控えていたメイド達や騎士が王子様を慰める。
そしてそんな光景を俺はかなり冷めた気持ちで見ていた。ほどなくして、後ろに控えていたエレクがわざとらしくため息を吐きながら、こちらに近寄ってきた。
「……シュテルン様。一体何をなさっているんですか。ブラキオ様を泣かすなんて、当主様になんて言い訳なされるおつもりで?」
「別に、言い訳する必要などない。俺が手加減するなんて父上も思って無いだろうからな。そのまま伝えればいい。別に悪いことはしていない」
俺がそう言った瞬間、ブラキオ様を慰めていた者達が俺を睨みつけてきた。大の大人達が、揃いも揃って十歳児を睨みつけるなど恥ずかしく思わないのだろうか?
しかし、流石は王城の王族付き。立場を弁えずに、俺に直接文句をいう者はいない。まぁ、苛立ちを隠しきれずに睨みつけている時点でどうかと思うが。
「何か、俺に言いたいことでも?」
俺がそう問いかければ、彼らはさらに顔を険しくさせる。まったく、こいつ等といいエレクといい、腹芸が出来なさ過ぎではないだろうか。こんなでは、とても他国の王族や貴族とはやっていけないだろうに。
そんなことを思いながら、観察していると唯一部屋に居た騎士が一歩歩み出てきたので、そいつの発言を許してやる。多分こいつは、王子様の専属護衛騎士なのだろう。慰めている様子も派遣された騎士というより、側仕えのような親しい間柄のそれだったからな。
「発言の許可、恐れ入ります。…………失礼ながら、いくら侯爵家次期当主様とはいえ、この度のシュテルン様の所業は些か目にあまるかと」
「俺の、所業? ……すまないが、普通に軍盤をしていただけだと思うが。俺の、何が目に余ると言っているのか説明していただけるか?」
正直、この騎士のいう『所業』とやらは十中八九、俺が一度も負けることなく完膚なきまでにブラキオ様を叩きのめして、十九連勝したことだろう。しかし、俺はあえて騎士に尋ねる。横でエレクが胃を押さえているが、そんなものは知ったことでは無いので放っておく。
俺の挑発的な態度に騎士は苛立ちを募らせる一方らしく、今にも切りかかってきそうな雰囲気である。歳も離れている分、ブラキオ様に対する思い入れも強いのだろう。実際、俺から見れば騎士と主というよりも、親戚のおじさんと歳の離れた可愛い甥っ子といった感じだ。これはいいようで、よくない関係だ。
「……シュテルン様が軍盤をお上手なのはよく解りました。しかし、あれだけの腕前があるのなら、もう少しブラキオ殿下にご配慮していただいても宜しかったのではないでしょうか?」
「配慮、ね」
「シュテルン様なら、殿下は軍盤があまりお得意でない事は、直ぐにお分かりになったでしょう」
疑問符のつかない話し方に騎士の怒りを感じる。内心は怒り狂っているだろうに、言葉を選んで遠回しに言ってくる所は称賛に値するが、それだけだ。王子様が大事なのはよく分かるが、その大切にするやり方が気に食わない。
「『殿下は軍盤があまりお得意ではない』ね。おかしいな。俺の記憶が確かなら、ブラキオ様が軍盤はお得意だとおっしゃったから軍盤で遊ぶことにしたはずだが? それに、最近は貴方にもずっと勝っている、と嬉しそうにおっしゃっていた気がするが、俺の聞き間違いだったか?」
俺がそう尋ねれば目の前の騎士は、難しい顔をして考え込んだ。きっと、今すぐにでも俺を怒鳴りつけたいが、ブラキオ様の手前できないのだろう。そんなことすれば、己が普段手を抜いて勝たせてやっていたと、本人に教えることになる。今、騎士の中では、俺への怒りとブラキオ様からの信頼が天秤に乗っかってグラグラ揺れているはずだ。もちろん、俺がそんな奴の意を汲んでやる必要はないので遠慮などしない。
「つまり、あれか。お前は俺に、ブラキオ様は軍盤が下手だから、こちらが気を使って上手く負けてやれとそういいたいのか」
その瞬間、俺は怒りで顔を赤くする人間を始めて目にした。顔を真っ赤に染め上げ口をパクパクしている目の前の騎士は、手が怒りで震えていた。その様子にエレクが静かに俺と騎士の間に立つ。
「どけ、エレク」
「しかし……」
「どけ」
エレクは何か言いたげにこちらに視線を寄越したが、それを黙殺する。エレクには悪いが、俺にも譲れないものがある。そんな俺の意志を感じ取ったのか、先ほどよりも大きく息を吐くと、俺から騎士が見えるように体をずらした。しかし、それ以上移動する気は無いらしく、目で不満を伝えれば首を振られた。これ以上、エレクと言い合う気は無いので諦める。今は、エレクよりも目の前の騎士の方が重要である。
「第一、ブラキオ様が軍盤で壊滅的に弱いのは悪手を打っても、それを誰にも指摘されずに見逃され、無価値な勝利を捧げられてきた所為だろう? だから殿下は失敗から学ぼうともせず、何が悪いのか考えようともしない。その所為で、何度も馬鹿の一つ覚えの様に同じ負け方をするんだ。正直言って、今年八歳になる使用人の子供の方がまだ上手い」
「なっ!」
「お前らが、普段どれだけブラキオ様を甘やかそうが、煽てようがどうでもいい。だがな、同じ行動を俺に求めるな。不愉快だ」
そこまで言って、部屋を見渡す。もう一度騎士に視線を戻せば、何時の間にか騎士は物理的に言葉を発することもままならない状態になっていた。
大方、剣を抜こうとして、エレクによって床に押さえつけられたのだろう。エレクは一応俺の護衛も兼ねているのでこれ位、朝飯前である。そしてメイド達は護衛騎士が取り押さえられている状況にどうしたらよいか分からず、狼狽えていた。
そんな中ブラキオ様は頬を涙で濡らし、目にもまだ涙を溜めてはいるが静かにこちらを見ていた。しかし、俺はブラキオ様から目を逸らし、取り押さえられたままではあるが首から上だけ自由が与えられた騎士に言い聞かせる。
「相手を気遣ってやることと、こいつには無理だと決めつけて、改善するきっかけさえ与えずに手を抜き、出来ている気分にさせるのは全く違う。後者は、相手を無価値と決めつけ見放すのと同意義だと俺は思う」
顔から赤らみが引き、先ほどよりは冷静になったと思われる騎士は目を見開き、先ほどまでとはまた違った様子で言葉を失っていた。気が付けば、部屋からさっきまでの凄まじい空気も消えている。その代り、相手の息づかいまで感じられそうな静寂が訪れていた。
「そして俺は、どんな理由があったとしても、友人に媚びへつらう気は無い」
目を逸らさずにそう言い切った後、エレクに騎士を放すよう目で促す。大した反発もみせずに俺の傍に戻ってきたのを確認して、俺も席を立つ。
「気持ちさえも対等でいられない友情など、無意味だ。意味の無いことに貴重な時間を使う気も無い。友達ごっこがお望みならば、他をあたってくれ。――――俺に与えられた自由は短いのだから」
誰に聞かせるでもなく吐き捨てた俺の言葉に、異を唱える者はいなかった。そして、それをいいことに、俺はそのまま静かにエレクを連れて部屋を出た。