交わした約束
シンと思い出を語りあってから数時間後。
雲一つない真っ青な夏空の元、ちりちりと肌を焼く日差しを味わいながら、俺とシンは街中を二人で歩いていた。初めて着る平民の子供の衣服は、少しごわごわするが動きやすくて概ね快適だ。ちょっとした変装と初めて体験する賑わった町の雰囲気に、自然と足取りも軽くなる。町の中心だという大通りに出れば、白亜の石畳に舗装された道の上に色取り取りの出店が並んでいた。
「おーい、兄ちゃん達! 安くしてやるから寄ってきな!」
「ズィルバー名物のシュネーを模った、焼き菓子です。お一ついかがですかー?」
「はいはい、祭りといったらプフェ飴食べなきゃ意味ないよ! 買っていきな!」
店先に立つ人々は、積極的に道行く人々に声をかけていく。その元気な声は、聞いているこちらまでもワクワクさせる不思議な力を秘めていた。現に、彼らに声をかけられた観光客や地元の人々は、楽しそうに店を覗き、子供にお菓子を買い与えている。皆が笑顔を浮かべ歩くその様子は、国を治める者としてはこの上ない褒美だ。
「皆、楽しそうだな。町は活気に溢れているし、子供達も元気に走り回っている」
「活気があるのはズィルバーだから当たり前だ。それに、年に一度のシュネー祭だ。はしゃがない子供はいない。――――そう言うキオも随分と楽しそうだな」
「それは勿論! お祭りというのは、こうも賑やかなものなのだな」
「これを楽しみに毎日働いている者も居るくらいだからな」
シンと他愛もない会話をしながら、通りを歩く。
俺は今、人生初のお祭りというものに来ているのだ。それも視察や公務の一環では無く、お祭りで遊んで、シンの家に泊まって、シンと遊ぶ為だけに! これで興奮せずにいられるだろうか。否、無理に決まっている! 何しろお祭りも親友の家にお泊りも、初めての体験だ。先ほどから、見る物全てが新鮮で、やること全てが楽しくて仕方ない。まるで、ツォベラに入学した時のようだ。この歳になって恥ずかしい話だが、昨晩は興奮しすぎて明け方まで眠れなかったくらいだ。
そして、この楽しく刺激的な機会をくれたのは他でもないシンだった。彼が、俺を自領で行われる【シュネー祭】に誘ってくれたのだ。
ツォベラの夏休み中にと計画されたこの旅行は、当然王城の多くの者達に反対された。しかし、シンは反対した者達は全て、国王陛下やシンの父上である侯爵、さらには他国の王まで巻き込んで全員黙らせた。二年前、ツォベラに入学した時も思ったが、シンの有言実行な行動力は些か凄すぎると思う。一体どうやったら他国の王まで引っ張り出せるのか、来年から彼らと渡り合う身としては是非聞いておきたかったが、シンは黙秘だし、国王陛下には苦笑いされて濁された。『……知らない方がいいことも、世の中にはある』といった陛下はとても遠い目をされていたのはいい思い出だ。
そうして、多くの所に波乱を起こしつつも実現したこの小旅行は、来年即位する俺と、一人でツォベラに通うことになるシンの最後の思い出作りだ。口にこそ出さないがシンもきっとそのつもりで計画したのだろう。はしゃぐ俺を見守る様についてくるシンの顔には、僅かだが笑みが浮かんでいる。分かりにくいが楽しんでいるらしいシンのそんな様子が、はしゃぐ俺にさらに拍車を掛けていた。
そして折角、親友が俺の為に頑張って実現させてくれた小旅行を精一杯満喫するべく、あっちこっちを見て回っていたのだが、ここで一つ問題がおきている。俺がフラフラ歩き回った所為で、暑いのが苦手なシンが疲れ気味なのだ。シンと回るお祭りが楽し過ぎて、彼の体調を気遣うのを忘れていた。一刻も早くシンを休ませてやらねば。それに、俺もそろそろ疲れてきたし、休憩を入れるには丁度いい頃合いだろう。
「(どこかで、休憩できるといいのだが……)」
そう思い、辺りを見回せばチラホラと水路の端に座りながら、語らい、飲食している者達が目についた。
「シン! あそこの者達は何をしているんだ?」
「ああ。休憩しているんだろう。あそこは水路の側だから涼しいんだ」
そう言いながら何処か羨ましそうな顔で彼らを見るシンに、今度はどうやって休憩を切り出すかを考える。何をするにしても俺を優先してくれる彼は「疲れてないか?」と尋ねても、祭りを満喫させようと「平気だ」と言うだろう。そして、「俺が疲れた」といえば、俺の疲労に気が付けなかったことを気に病むだろう。それぐらい、シンは俺を甘やかす。
彼に気を使わせることなく休憩させるのに、何か丁度いい口実になるものは無いだろうか? そう思い、辺りを見回すと額に汗を流しながら、串に刺さったお肉を焼いているご婦人と目が合った。
「ドリ肉の串焼きだよ! 二本で銅貨十枚にまけてやるから買っておくれ!」
元気よく声を張るご婦人に丁度いいと思い、シンに声をかけてからお店に駆け寄る。
「シン、シン! あれを買おう! 美味しそうだ」
「ん? あぁ、おい、ちょっと待て、キオ! 一人で行くんじゃない!」
駆けだした俺を制止しながら慌てて追いかけてくるシンを一度だけ振り返り、ご婦人に銅貨を十枚差し出す。
「ご婦人。これで、二本頂けるだろうか?」
「はは! これは丁寧にありがとね! ご婦人なんて、あたしゃ初めて言われたよ。――――ほら、特別大きいのやるから、持っていきな!」
ご婦人は機嫌よさそうに笑いながら串を二本渡してくれた。彼女の言う通り他の串より少しドリ肉が大きめで、焦げ茶色のソースがてらてら輝いている。香ばしい香りに、食欲が刺激された。ようやく追いついたシンに串を一本渡して、早く食べようと催促する。
「キオ。串は歩いて食べるには危ないから、あそこで食べよう」
「そうだな。冷めてしまう前に早く行くぞ!」
ドリ肉の串焼きを受け取ったシンは、俺の思惑通りに水路の端を指した。上手く休憩ができそうなことに俺は、そっと胸を撫で下ろす。
気がかりが無くなった所為か、現金なことに俺の意識の大半は手の中の串に移る。美味しそうな輝きを見せるドリ肉は串のまま齧るらしい。豪快な食べ方の料理だと、期待に胸を膨らませる。そんな初体験のドリ肉を早く食べてみたくて、急いで水路に向かおうとしたが、何故かシンに制止された。不満を訴えようと振り返れば、彼はリーネの実をくり抜いて作られた容器に注がれたジュースを二つ買ってくれていた。渡されたジュースに、俺の気分はさらに高揚する。
「(果物をくり抜いて器にするなんて、なんて斬新な発想だ!)」
初めて見る形のリーネのジュースと串焼きを手に持って、ゆっくり歩く。俺は早く行きたかったが、シンに「ぶつかって落としたら勿体無いだろ?」と言われ我慢した。
ようやく到着した水路の端に直に腰かける。地に直接、腰を下ろすなど初めてで少しドキドキしたが、冷やりとした石畳とサラサラ流れる水から感じる涼やかな風が気持ちいい。
同様に俺の隣に腰を下ろしたシンが、ほっと息をついたのを横目で確認し、安心する。やはり、少し疲れていたのだろう。無事、シンを休ませることに成功した俺は、小さく安堵の息を漏らした。
そして俺は、串に刺さったままのお肉にかぶりついた。途端に甘辛いタレと肉汁が口の中に広がる。タレの味が濃く感じるが、その濃さと舌にピリッと感じる甘辛さが癖になる味だ。ドリ肉を味わった後、シンが買ってくれたリーネのジュースを飲む。リーネのジュースは、魔法学園でいつも飲むものに味が似ていた。しかしこの陽気の中、よく冷えたジュースは喉に心地よく、容器から香るリーネ独特の爽やかな香りがいつも以上にリーネのジュースを美味しく感じさせる。
「リーネの皮の容器なんて初めてだ。こうやって飲むとなんだかいつもより美味しく感じるな。リーネ独特の爽やか香りと、酸味を感じるがしっかり甘いジュースがドリ肉とよく合っている」
「お前は、さっきから「美味しい」としかいって無いじゃないか。普段、もっと美味しいもの食べている癖に」
「あれはあれ、これはこれだ。それに初めてのお祭りだ。何しても楽しいし、何食べても美味しいのは仕方ないだろう? ――――それはそうと、シン。あの者達が飲んでいるのは何だ?」
初めてのお祭りの食べ物に感動していると、シンに身も蓋も無いことを言われる。こういう言った場所で、シンと並んで食べるから何でも美味しく感じているのだ。だというのに、なんて情緒の無いことを言うのだ此奴は、と思ったがこんな些細な事で喧嘩などしたくない。なので、話題転換も兼ねて先ほどから気になっていたものを聞く。指を指すなど王族としてあるまじき行為だが、今は平民の服を着ていることだし、まぁ、いいだろう。
しかし、俺が何気なく聞いた問いに、シンは何処となく嫌そうな顔をした。その表情に聞いてはいけない事だったかと、冷やりとする。
「あれはリーネのジュースだ。今飲んでいるのと中身は一緒」
少し間が開いたが、シンから返ってきた答えはごく普通の内容だった。
「同じものなのに何故入れ物が違うんだ?」
そのことに首を傾げながら、さらに詳しく質問する。
「(さっき見た表情は気の所為だったのだろうか?)」
そんなことを思いながら、シンの答えを待つ。すると、何処か諦めたような雰囲気のシンが渋々といった感じで説明してくれた。
「葉で出来ているのは持ち帰り用で普段から店で売っているものと同じだ。…………こっちはお祭り用で、銅貨を三枚足すとあの普通の容器から皮の容器に換えて貰える」
シンの言葉を聞いて、俺は手元のリーネと彼らの物を見比べる。
「(彼らが飲んでいるのが普通の物で、俺のは銅貨を足すと換えて貰える特別な容器。…………態々頼まないと、この容器にはならない訳で。ということは、シンは買う時態々こちらのお祭り用を選んで買ってくれたということだ)」
恐らく、一人であったなら彼は間違いなく値段の安い普通の容器を選んだだろう。侯爵家という大貴族のくせしてシンはそういう所は現実的だ。普段なら、「容器がなんだろうと中身が一緒なら味は変わらん」くらいは平気で言う男だ、絶対。それなのに、今回は特別な容器を買ってくれた。それは単に俺の為ということに他ならない訳で。
辿りついた答えに嬉しさが込み上げる。そして胸に広がる喜びのまま、俺は優しい親友に感謝の言葉を述べた。
「ありがとう。――――しかし、シンは俺をこんなに甘やかして、どうする気なんだ? 俺は仕事に私情は挟まないぞ?」
彼の優しさがどうしようもないほど嬉しくて、緩む顔を誤魔化すようにお礼を言う。先ほどまでも格別に美味しかったが、いまやこのリーネの実には国宝級の価値があるように感じる。
「こっちの方が、祭りの気分がするからな」
そっけなく答えたシンに笑みが零れる。恐らくさっき見た不機嫌そうな表情は、この優しい行為を俺に気が付かれたくなかったのだと思う。
誰よりも優しいくせに、シンは自分のそういった行動を隠したがる節がある。隠さずにいればもっと人気者になるのは間違い無いのだが、親友を独り占めしたい俺には都合がいい。だから、もう少しの間はこのまま黙っておこうと思っている。それに来年、シンを独り占めしている俺が側を離れれば、彼の良さは自然と周囲に知れ渡る。それまでは独り占めすることを許して欲しい。
これからの彼の未来を想像して一抹の寂しさを覚えたが、思いがけない親友の気遣いに嬉しさの方が上回る。さらに上機嫌になった俺はその後もシンに質問し続けた。
「そうか。他にもお祭り仕様のものはあるのか?」
「ある、例えば――――」
丁寧に答えてくれるシンを見ながら、こういった時間がいつまでも続けばいいと思った。こうやって彼の側で過ごす時間は温かく、いつだって俺を幸せにしてくれるのだから。
しばらくとりとめのない話をしていると、遠くでわぁと歓声が上がっているのが聞こえてくる。それと同時に、シンの目の前に白い何かが飛んできた。ふわりと、舞う白いものをシンは自然な動作で捕まえる。
「ちゃんととれたか?」
彼が取り逃がすはずがないと分っていても、楽しい気分の俺はからかうように聞いた。そんな俺に、シンは捕まえたものをさも当然と渡してくる。それを受け取り、失くさないように慎重につまみ上げて観察する。
シンに渡されたそれは、見覚えのある白く小さな花びらだった。
「シュネーの花弁か。【シュネー祭】というだけあって、町中の至る所に飾ってあるから散った拍子に風に乗ってきたのか」
「いや、これはそうじゃない。多分、もうすぐ――――ほら、来たぞ」
その名を冠するだけあり、町中の至る所に飾ってあったので、当然風で飛んできたのだと思ったが、どうやら別の理由があるみたいだ。「あれだ」と言ってシンが指した方向を見れば、シュネーの花びらを撒きながら、白いワンピースを着た少女達が大通りを楽しそうに歩いてくる。空高く撒かれたシュネーの小さく白い花弁が、宙を舞いながら散り散りに落ちてくる様は、はらはら舞い落ちる雪の様に儚げで綺麗だった。
「まるで、雪のようだな。……彼女達は何をしているんだ?」
季節外れな光景に不思議な気分になりながら彼女達の行動の意味を問う。
「あれは、明日の予行練習だな。彼女達は【白き花】なんだろう」
「予行練習?」
「ああ。今日は練習だから花弁だけだが、明日はああやって花弁と一緒に花も彼女達が町中に降らして歩くんだ」
「何の為に? それと先に【白き花】を説明してくれ」
シンの説明を聞いて、やはりと思った。少女達は皆同じ服を着ているから、きっとあの行動にも何か意味があると思ったのだ。何処か聞き覚えのある【白き花】という言葉に惹かれて、シンにさらに詳しい説明を頼む。シンは、すぐさま了承の返事をすると先ほどよりも丁寧に説明を始める。
「わかった。【白き花】は明日、祭りの最中に結婚式を挙げる少女達だ。彼女達の降らすシュネーの花は、いわゆる幸せのお裾分け。それらの花は告白に使われる。まぁ、【シュネー祭】のメインイベントだな。昼間中、町の至る所で撒かれるシュネーの花(幸せのお裾分け)で花束を作って好きな人に愛を告げるんだ。ズィルバー地方出身の奴は告白やプロポーズの時、シュネーの花を贈るのが伝統だからな。逆に、シュネーを謳っているお祭りでやらない理由が無い」
彼の言葉を聞いて納得する。ズィルバーでシュネーの花は名産品であると同時に、特別な意味を持つ。その事を世に知らしめるきっかけとなった【白銀の花】という物語の中でも、シュネーは登場する。平民の青年と貴族令嬢の大恋愛を描いた【白銀の花】は何を隠そう俺の一番好きな物語だ。だから実の所を言うと、わざわざシュネーを謳うお祭りなのだからそういった話の一つや二つはあるだろうと期待してはいたのだ。
「それもそうだな。シュネーはこの地方の名産品だし、何より【白銀の花】は有名だからな。【白き花】はそこから来ているのだろう?」
期待通りの展開に胸が弾む。嬉しくなった俺はシンに思ったことを尋ねた。
「その通り。それに、あの物語の最後は冬だろ? でも【シュネー祭】は真夏に行われる祭りだから、雪になぞらえて、花弁を一緒に撒いているんだ」
「確かに白くて小さいから、ああやって降らせると雪のようだ。最後は雪が降る中、月明かりで白銀に輝くシュネーの花束を持ってプロポーズしたのだったな」
期待通りの答えを貰って満足した俺は、【白銀の花】のラストシーンを思い出す。無事侯爵となり、故郷に凱旋した主人公は十年に一度咲くシュネーを持って彼女にプロポーズしようと決意する。しかし、シュネーは中々見つからず雪のちらつく中、必死に探すのだ。そして、ようやく見つけたシュネーを持ってそのまま王都へ向かう。シュネーの花に銀の髪の彼女を見ながら。
そして、降り積もる雪によって純白に染まった王都で、月明かりの下、白銀の花を捧げ彼女にそっと愛を告げるのだ。
いつ思い出しても、うっとりしてしまう光景を思い描く。降り積もる雪の中、白銀の花を差し出された彼女はどんな気持ちだったのだろうか? きっと、とても幸せだったに違いない。そんなことを考えていると、ふっと別の疑問が頭を過った。一度気になってしまったらどうしようも無くなってしまい、俺の疑問を解消してくれるであろう、シンに答えを求める。
「シン」
「ん?」
「確か、物語の中でシュネーは十年に一度咲く花とあった気がするのだが、これとは違うのか? シュネーは一年中、花屋にあるイメージなのだが?」
「いや、同じ花だ。初代当主が妻の為に毎年みられるよう人工栽培したんだ。種を取って置いて、それを毎年違う場所に植える。例え一本でも毎年妻に送りたいからっていってな。初めは、毎年二・三本見られる位だったらしいが、初代の恋物語に感銘を受けた人達が侯爵の真似をして、森の中とかから花を探しては種を取って、毎年違う場所に少しずつ植えたらしい。そうやって、沢山の人が長い年月をかけて増やしていった結果、ズィルバー地方では毎年どころか、一年中何処でもみられる訳だ。もともとシュネーは珍しいが、何処にでも根付く強い花だからな」 「成るほど。そうやって、シュネーはズィルバーの名産になったのか」
スラスラ返ってきた答えに、やはりシンに聞いて正解だった。シンはシュネーに関しては、王都の研究家なんかよりもよほど詳しく知っている。
それだけ、ズィルバー家にとってシュネーの花は特別な証なのだろう。
「ああ。ズィルバー地方のいたる所で見られる。ただし、同じ場所では十年に一度しか見られないし、種を植えても咲くのは十年後だ」
「…………十年後か」
告げられた未来を、思い描く。
今から十年後といえば、俺が死んでから四年後だ。その頃、シンは一体どうしているだろうか? シンの事だから学院は卒業している。きっと、留年せずに順調に卒業まで進学していくだろう。ということは、卒業して三年目。恐らく、彼はその優秀さで宮廷魔術師になっているか、後を継ぐために侯爵の補佐をしているかもしれない。いやもしかして、既に侯爵位を譲り受けて結婚しているかもしれない。子供も居るかもしれないな。きっと可愛らしくも芯がある優しいご婦人が、シンの側で寄り添っているのだ。そして、懐に入れた人間にはかなり甘いシンは、奥方をとても大事するのだ。
そして、幸せに暮らしていくのだ。
「(………………俺のことなど忘れて、幸せに……)」
突如浮かんできた仄暗い感情を慌てて押し込め蓋をする。
何を考えている、俺。これだけ良くして貰って、俺に縛り付けている癖に。死してなお彼を縛ろうなど、どれだけ身勝手なのだ。
そう己を律して、溢れそうになる黒い考えに無理やり蓋をしてみなかったことにする。しかし、ひび割れた隙間から滲みだしてくる水の様に、ぽたぽた溢れだしてくる昏い考えにため息がでそうになる。慌てて、零れそうになったため息を飲み込んで、シンの様子を窺う。
しかし、シンがそんな俺の様子に気が付くことは無かった。何か考え込んでいるのか、俺に注意を向けていなかったシンにほっとする。
もうすぐ、シンと離れるからだろうか? 最近、暗い考えに囚われることが多くなった。考えてはいけないと思うのに、気が付くと考えている仄暗い想いは、最近の俺の悩みの種だ。あの【人々の過ちと神様の呪い】だって、気が付くと手に取って読んでいるのだ。読んだ所で、いまさら呪いを解く術など分かりはしないというのに。
この生は贖罪する為にあると知りながら国に身を尽くさず、魔法学園に通い続ける俺は王族として失格なのだろう。だというのに、シンを筆頭にそんな俺を受け入れてくれる人達がいるものだから、どんどん欲深くなっている気がする。
シンに、最後の時は笑って見送って欲しいと思う一方で、悲しみに泣き叫び、その生涯を終えるまで俺を忘れずにいて欲しいと思う。「俺を忘れて幸せになって」など俺にはきっと言えない台詞だ。そして、こんなに醜い事を考えているくせに、嫌われたくなくて必死に平気な振りをする俺は何て愚かなのだろうか?
「同じ花、ということはこれも月明かりで銀色に光るのか?」
さっきまでの昏い考えを悟られないように精一杯笑って、関係ない質問する。何故かシンは一瞬痛ましい表情を見せたが、瞬きした次の瞬間にはいつもの表情に戻っていた。
「シュネーの花が光る訳では無く、花粉が月明かりに反応して光るんだ」
一瞬、俺の醜い感情に気が付いたのかと思ったが、先ほどと変わりなく俺の質問に答えてくれるシンに、さっき見た表情は気の所為だと思うことにした。醜い俺をどうする事も出来ないが、今シンと過ごせるこの時を大切にしたいと思う。にじみ出てくる気持ちは見ない振りをして、俺は彼に話の続きを促す。
「花粉が?」
「そうだ。よく観察すれば花弁じゃなくてその中心から銀の粉が立ち上っているのが分かるから、夜に観察してみるといい。花が銀に輝くというのは、密集して生えている所だと他の花の花粉を近くの花がかぶるからだ」
「そうか。なら、ぜひ観察しなければ。シュネーの花は何処に行けば買える?」
「買う必要はない。家の庭にいくらでも咲いているからな」
「……それもそうか。ズィルバーの名産品が、お前の家に無いわけが無いか」
「ああ。夕飯後にでも庭を案内してやるから、その時に心行くまで観察しろ」
「そうさせて貰う。そんなイベントがあるなら夜が楽しみだな」
誤魔化すようにふった話題から、思いがけず約束が交わされる。突如出来た今晩の約束に一気に夜が待ち遠しくなった。
以前、王城でこっそり見たシュネーの花は、薄ら銀がかって見える程度だった。【白銀の花】を読んで想像を膨らませていた分、言われれば輝いて見える程度の色に、がっかりした記憶がある。やはり、本場のシュネーの花は城で見るものとは違うのだろうか?
「そりゃよかった。…………そろそろ帰るか? 本格的な祭りは明日だし、今日は馬車の移動もあったから疲れただろう。これで明日、体調を崩したら目も当てられない」
「そうだな。明日を楽しみに来たのだし、残りの出店は明日に取って置こう」
シンのいう言葉は最もであった。明日の本番を寝込んで過ごすなど笑えない話しだ。まだまだお祭りには未練はあるものの、昨晩もあまり眠れなかったことを思い出し、彼の提案に素直に頷いた。
「お前、まだ食べる気だったのか?」
「買い食いは別腹だ!」
「体調云々の前にお腹壊すなよ? …………じゃぁ、帰るか」
そう言って立ち上がる彼に、「子ども扱いするな!」と言い返す。そんな俺をさらりとかわしたシンは、何時の間にか串やリーネの皮を俺の手から抜き取って、近くに設置してあったごみ箱に投げ入れてしまった。その行動に慌てて、ごみ箱に近寄る。
「(あのリーネは大切な思い出として持って帰るつもりだったのに!)」
当然、シンは拾おうとした俺に制止をかける。しかし、俺は諦めきれず手を伸ばした。
「まてまて! キオ! 捨てたごみを拾うな! そんなに欲しければ明日も買ってやる!」
その言葉に、ピタッと俺は動きを止める。
「本当に、買ってくれるか?」
じっとシンを見つめれば、焦ったようにシンは叫ぶ。
「ああ! 買ってやる。買ってやるから、これは諦めろ!」
そう言ってくれたシンの言葉を聞いて、俺はごみ箱に手を伸ばすのを止めた。そして、その様子を見ていた彼は安心したように胸を撫で下ろす。
「約束だからな?」
シンに念を押すように問えば、疲れたように頷いた。シンが頷いたのをみて、俺はごみ箱から離れる。正直、あのリーネには未練があるが、今晩の約束と明日の約束でよしとしよう。そう思い、大通りを止めてある馬車に向かって歩き出す。若干疲れた様子のシンが俺のすぐ後ろを歩いているのを横目で確認しながら、出店を冷やかして歩いた。
あと半年と、少し。それだけの時を経て訪れる春に、俺は王城に戻る。そして、あの至高の玉座に座るのだ。そこに自由や楽しみは無く、あるのは死ぬまで続く贖罪の日々だ。その時、今まで教え導いてくれた陛下は既に居ない。そして勿論、シンも。果たして俺は、その現実に耐えられるのだろうか。
俺はあと何回、シンと約束を交わし、実行することが出来るのだろうか?
あと何回、彼と笑い合い、言葉を交わすことが出来るだろうか?
あと何回、彼の優しさに触れていられるのだろうか?
考えれば考えるほど、これから訪れる未来が恐ろしくて仕方がなかった。シンと過ごした日々はどれも、きらきら輝いていて、優しく、暖かだったから。彼が隣に居ない未来を想像するだけでこんなにも悲しい。
そこまで考えて、ふとシンが側に居ないことに気が付いた。想像が現実になった気がして慌てて周りを見渡せば、少し離れた後方に探していた姿を見つけ安堵した。そして、感じた不安を誤魔化すように俺は声を張り上げて彼を呼ぶ。
「どうした、シン? 早く来ないと置いていくぞ!」
いつもならば呼べば直ぐに来てくれるシンは、今日に限って中々側に来てくれなかった。隣に来て、この不安な気持ちを消して欲しかった俺はもう一度彼の名を呼ぶ。
「シン!」
しかし、俺の声が聞こえなかったのか、彼は何処かぼんやりしていた。そして、ようやく俺はシンの様子が何処かおかしいことに気が付いた。よく見れば、具合でも悪そうな雰囲気に心配になって彼の側へ駆け寄る。
「シン? 具合でも悪いのか? 暑いのが苦手なお前を連れ回してしまった所為か?」
顔を覗き込み問うたが、返事が返ってこない。シンが暑いのが苦手な事は知っていたが、己の未来を考えるあまり、全然気を配っていなかった。よくよく考えれば、帰ろうと言ってからも随分と連れ回してしまった。 何も言わず着いてきてくれるから、まったく気にしていなかったが、もしかして疲れていたから帰りたくてあのように言ったのかもしれない。考えれば考えるほど、シンが体調を崩す原因に心当たりが多過ぎて不安になる。
どうしよう、と姿は見えないが近くに居るだろうエレク殿を探そうとした瞬間、突然グニっと頬を引っ張られ、軽い痛みが走る。
「はにおする! ヒン!(なにをする! シン!)」
無防備な状態で行われた突然の暴挙に、非難の声を上げて犯人を見れば透き通った黒曜石の瞳が真っ直ぐに俺を見ていて、一瞬呼吸を忘れる。そして何処か遠くを見ている様な、そのまま遠くに行ってしまいそうな底の見えない瞳の色に言い知れぬ不安が沸き起こる。しかし、妖しげな魅力を放つ不安定な黒は直ぐに伏せられてしまった。
「いや、丁度いい所にあったから、ついな」
そして再び目を開き、ようやく喋ったと思ったらそんなふざけたことを言う彼は、いつも通りのシンだった。その様子に安著すると同時に、僅かにムッとする。具合を悪くさせてしまったかと心配して、不安な気持ちになった俺のことも知らずに此奴は!
「つい、じゃない! 人が心配してやっているのに、お前というやつは。――――――で、大丈夫なのか?」
「……大丈夫だ。あまりにも暑いから少しぼーっとしていただけだ。問題ない」
沸々と湧き上がる不満のまま、文句を言う。しかし、一瞬見た黒曜石の瞳が忘れられなくて体調を問えば、シンはそっけなくそう返し歩き出し始めた。スタスタ歩き出す姿に呆気にとられたが、すぐに我に返る。数歩先を振り返ることなく歩いているその背中が、何だか酷く遠いものに見えて。
まって、置いて行かないで。
「置いていくな!」
突然感じた不安を振り払うように叫び、俺は慌ててシンの背中を追いかけた。




