唯一の親友
カタカタ、カラカラと軽い音を立てながら馬車は白亜の石畳の上を走っている。太陽の光を反射してきらきら輝くアクアマリンの大河と、川に沿って敷かれた白亜の石畳。川を挟んだ反対側には新緑の葉をつけた草木が広がっている。見慣れているはずのその景色に、つい魅入ってしまった。
めずらしく俺が馬車から見える景色に見惚れていると、前方からフッと空気が僅かに震えたのを感じた。反射的に原因となった同乗者を見る。男は「どうかしたのか? 」と目で俺に問うてくるが、僅かに口元が歪んでいる上に肩が震えていた。
「…………口が引きつっているし、肩が震えているぞ」
そう指摘してやれば、目の前の男は目を僅かに見開いた後、声をあげて笑い出した。
蒼い目を細め笑う男が僅かに身をかがめたことで、窓からさしこむ陽の光が彼を照らす。耳にかかるくらいの緩いウェーブのかかった濃紺の髪の毛が、日の光を浴びて湖の様な綺麗なアクアブルーに見えた。しばらくの間、青い色彩を見つめていると、じっと俺が見ていることに気が付いたのか少しバツの悪そうな顔をしてようやく笑うのを止めた。
「……すまない。景色に見惚れるお前が意外でな」
そう言って謝罪の言葉を口にした、目の前の男の名は、ブラキオ・フェン・ヴァッサー。御年十四歳の、我がヴァッサー国次期国王である。
「……すまない、シン。怒ったか?」
そして次期国王にシンと呼ばれた、俺はシュテルン・リヒト・ズィルバー、十四歳。ズィルバー地方を拝領する、ズィルバー侯爵家次期当主である。
「いや、別に」
「本当に?」
「ああ」
「なら、よかった。シンの気分を害するのは、不本意だからな」
「流石にこんなことで怒ったりはしないぞ、キオ」
「そうだな。シンは俺に優しいからな」
そういいながらも何が可笑しいのか、キオは再びくすくす笑い出した。
「ご機嫌だな」
そう問いかければキオは、笑みを濃くする。
「当たり前だろう? シンの家に泊まりに行くんだ。それも視察や政務の一環としてでは無くて、親友のお前とただお祭りで遊ぶ為だけにだぞ? むしろ楽しくない理由が無い」
業とらしく両手を広げて胸を張り、そう言ったキオは珍しく本当に楽しそうだ。俺は、何となくその笑顔を見ていられなくなって視線を外した。窓の外をみれば、何時の間にか懐かしい風景に変わっている。 もうすぐ、俺の実家のある街に着くだろう。
そもそも何故、キオと共に馬車に乗って俺の実家に向かっているかというと、俺の我儘だったりする。というのも、ズィルバー地方で毎年夏に行われるシュネー祭にキオを招待したからだ。
目の前で楽しそうに笑う、俺の唯一の親友。彼は来年、王位に就く。だからもちろん、今回の旅行には様々な所から反対があった。それにもともと、異例の無茶をしているキオに対する風当たりは強い。
しかしキオと泊りで遊ぶなど、魔法学園が夏休み中である今を逃したら二度と叶わない。それにどうしても今年のこの時期に、キオをズィルバーに連れて行きたい理由が俺にはある。だからなかば無理やり、現国王に侯爵である父、さらには他国の王も巻き込んで話を通した。
来年の春、中等部を卒業し王位に就いてしまえば、キオにこのような自由な時間は二度と無いだろう。人生最後のその時まで。だから、こんなにも楽しそうなのだ。
「(キオはいずれ――――)」
俺は深みに嵌る前に思考を振り払い、楽しそうな姿を記憶に刻むべく外した視線を戻す。しかし、そこには先ほどまでの楽しそうな表情では無く、どこか寂しげな顔をしたキオが俺を見ていた。
「……シンは楽しくないのか?」
「何だ、急に」
「先ほどから表情が暗い。…………それとも、やはり先ほど笑ったのを怒っているのか?」
「いや、怒ってないし、楽しい。ただ、ちょっと、昔の事を思い出していただけだ」
口から出た言葉は半分嘘で、半分は本当だった。昔を懐かしんでいたのは確かだが、考えていたのは別の事だ。しかし、本音を話せば折角の楽しい旅行が台無しなので半分は飲み込んでおく。立場柄、人の機微に敏感なキオは俺の隠した本音に気が付くかもしれない。でもきっと、気が付かない振りをしてくれるだろう。…………俺なんかより、ずっと、優しい男だから。
「昔?」
「(ほら、やっぱり)」
予想通りの反応をしたキオに、胸が温かくなる。同時に、再び浮かび上がってきた暗い考えには気が付かない振りをして蓋をする。
「キオと初めて会った時をな」
「…………それは、随分とまた。懐かしいことを」
「そうは言っても、四年前だぞ? それにあの日もこんな風に綺麗な晴れの日だった」
「よく覚えているな。しかし、――――そう、だな。シンと出会ってからまだ四年しか経っていないのか。なんだか、お前とはもっと、ずっと前から共にいた気がする」
あの日の事を思い出しているのか、キオは目を細めて幼き日の俺を見ようとしていた。
「まぁ、この四年間は濃かったからな。何しろ、キオとは出会いからして強烈だった」
俺がそう言うと、キオは心外だという顔をする。
「……それは俺の台詞だろう。あの日の事は、忘れようと思っても忘れられないほど強烈だったぞ。現に俺は未だにあの日のことを夢に見る」
そう憮然というキオに、今度は俺が吹き出した。
「笑い事じゃない! あの日のお前は、それまで俺が培った十年間の知識と常識をことごとく打ち砕いて、ひっくり返したんだからな!」
お前の所為で大変だった、と身を乗り出し、怒った様子で主張するキオを宥める。未だ怒っていることを全身で表しながら荒々しく席に戻った親友の姿に、自然と笑みが零れた。 キオがこういった姿をみせる時が、俺には何よりも大切な瞬間だ。
キオは人とは違う特殊な人生を歩んでいる。それ故に、自分の気持ちを押し殺しがちだ。出会った当初は、それはもう酷くて。俺はそんなキオが嫌いで、気に食わなかった。
「(今はまぁ、大分マシになったけどな)」
そう心の中で思いつつ、すっかり機嫌を損ねてしまった親友の様子を窺う。珍しく乱暴な動作で鞄を漁るキオを、俺はどうしたものかと思案しながら観察する。しばらく見つめていると、手が滑ったのかキオの手元から一冊の本が俺の足もとに飛んできた。その本を何気なく拾い上げて、俺は息を飲む。
「【人々の過ちと神様の呪い】か。懐かしい絵本を持ってきたな」
「! あぁ、その、あれだ。それは、その、教科書に挟まっていたみたいでな。間違えて持ってきてしまったみたい、なん、だ」
明らかに挙動不審になったキオを見つめる。目が合い、体を固くしたキオを見て、俺は口を開く。
「…………そういえばあの日、王城に向かう馬車の中で、エレクに読んでもらったな」
「え?」
「キオと初めて会った日だ。もう内容は知っているからいい、と何度言っても聞き入れて貰えなくてな。王城にあがるのだからと、行きの馬車で無理やり聞かされた」
「あぁ! エレク殿は凄い方だからな。シンに対してあそこまで強く出られるものはそういない」
「アイツが凄いんじゃなくて、俺が妥協してやっているんだ」
「ハハ。そういうことにしておいてやろう。シンは負けず嫌いだからな」
「そんなことはない」
そうやってとりとめのない会話をしばらくした後、キオは持ってきた教科書を読み始めたので、俺は再び窓の外の景色を眺める。こういったちょっとわざとらしい話題転換に乗るのは、俺達の暗黙の了解である。
チラリと、キオを盗み見る。先ほど俺が絵本について追求しなかったことに、ホッとした顔を見せたキオを問い詰めたいのは山々だが、俺も隠し事を見逃して貰ったばっかりだからな。それに、折角これから二人で楽しいことをするという時に、態々空気を悪くする必要は無いだろう。問い詰めるのはこの旅行が終わってからで十分。キオもそう思っているからこそ、先ほどは見逃してくれたのだ。
帰りの馬車はきっと話し合いだなと思いつつ、俺は静かに目を閉じた。