1.追われる少女
再記載になります。
走っているうちに裂けたのだろう足が、痛みはさほど感じないものの、むずがゆく主張する。しかし止まるわけにはいかなかった。止まったら、今も後ろで獲物の神経を弱らせるためにわざと音をだしこちらに向かって近づいてくる男たちに何をされるかわかったもんじゃない。
後ろを振り返る。音は途切れず、足音と粗野な男たちの下品な笑いが聞こえてくる。しかし、その姿はこの暗闇の中からは見つからず、それがなお一層疲れた体を堅くさせた。
姿は見えずとも、彼らが持っているだろう松明の明かりがゆらゆらと揺れているのがわかった。わたしはいつの間にかしゃがみこんでしまった体を叱咤し、また歩き出そうとしたが、それはもう出来なかった。
短く荒い呼吸がのどからひゅっひゅっと、音を出してこぼれていた。もうだめだ。一度座ってしまったら立てない。かすかに残っていたなけなしの気力は、地面に腰を下ろしたと同時に消えてしまったらしい。
それでもあいつらに見つかるのは嫌だった。先ほどみたあの光景の中に、自分が加わるのだ。いや、あの男たちのに連れられ主人のもとに連れて行かれる前に、あの下種どもがぼろぼろの年頃の少女をどうするかだなんて、世間知らずの自分にもうすうすわかった。きっとものと同じような扱いで、罪悪感も持たず自分の誇りを汚すに違いなかった。
もう根が下りたように動かなくなった足の代わりに手で張って近くの太い木の根っこに体を押し付けた。見つからないとは思えなかったが、何もせずにいたら捕まるのは目に見えている。
男たちが魔除けのアイテムを持っているのか、森は静かなものだった。いつもなら、昨日までなら、この森は今のような恐怖を感じる場所ではなかったはずなのだ。
年の割には頑固で落ち着きのある少年と、無邪気に私を慕う今年4歳になる妹。彼らが来るまでも、一人で過ごすには快適な秘密の場所だったが、妹ができて警護のためといって彼が一緒に森についてくるようになってからも、この森は自分のセンチメンタルな部分を隠す、秘密の場所だったのだ。
周りがだんだん明るくなってきていた。これが朝焼けならどんなに良かったろう。男たちの持った松明が腰を掛けていた木の周辺を照らし、そして、足音が止まった。木に背を向ける形で座っていた背後から、足元に光をさした。
息も止め、出来るだけ小さくなろうとしたが、無駄だとわかってしまった。この光――――。
私が先ほどまで松明だと思っていた白い光は、私の背後の木に裂かれる形で目の前を照らしていた。しかし違和感があった。今あるはずのないものがそこにあった。それは私を救うものではなかった。もう逃げられない、という明確な証拠。
光が、揺れないのだ。それに、明るさも届く範囲がすべて一定している。それは松明の照らし方とは違った。ここでの野外の照明器具は松明と、―――――そして魔法。
いつもこの森で警護についてくれた少年が、うさぎの穴倉を照らしてくれた時のような、一部の選ばれた人間にしか使えない未知の力による光だと、気づいた。
あちらでよく使っていた電気を媒体とした、懐中電灯のような、揺れもせず、無遠慮にすべてを光の中に引きずり出す強い光。
背後に魔法を使える誰かがいるのだ。その世界でも数少ない魔法使いの心当たりを、私は一人しか知らなかった。
つい、いましがた、いつものように警護に当たってくれた少年の足を撥ね、止める間もなく妹の命を奪った、男。
そして、わたしを殺そうとしている男。
私が逃げていた張本人が、そこに居た。
そこまで書き出して、ううん、と背伸びをする。
書きものの最中背を丸めて首を据えて書くのが癖なので、少しするとすぐに首と腰が痛くなってしまうのだ。
「エネミア嬢って、確かバトゥー侯爵の隠し子だったよなぁ。今になって認知するなんて言い出すから、ごたごたに巻き込まれるんだよ」
偉い親父を持つと、直接何の関係もない御嬢さんがとばっちりに合う。苦笑いを浮かべながら、ペンをくるりとまわした。
ふぅ。さぁ、もうひと頑張り。
この章が終わったら、久しぶりに外出しよう。屋台の健康に悪そうな、けど最高に食欲をそそる揚げ物と、新鮮なチュパの実のジュースをしこたま飲んでやるんだ。
反り返り椅子に座ったまま天井を向いていた頭をぐるんと前に倒し、哀れなお嬢様の物語を紡ぐため、ワタシはまた、ペンを取った。