保健室の悪戯な天使
百合です。
転んだ。
無様に、滑稽に、大胆に。
人生で多分、こんな風に転ぶことなんてないと思う。
「いった~……、」
両膝を派手に擦りむいた私は、水道で傷口を洗って、校舎の隅にある保健室へと訪れていた。
しかし、
「あれ、誰もいない……。」
通称みーちゃんこと、保健医の小田みゆき先生は不在で、
開け放たれた窓から吹き込む、初夏の爽やかな風が、やさしくカーテンを揺らしていた。
突っ立ってるだけでも、膝の傷からは血が溢れて垂れる。
「汚れちゃうよ、靴下。」
不意に鈴の鳴るような透き通った声が、三つあるベッドの内、カーテンで仕切られた一つから聞こえた。
白いカーテンの向こう、髪の長い人影が見える。
「血、垂れてる。」
「え、あぁっ」
膝に視線を移すと、だらだらと垂れた血が、白いハイソックスを汚していた。
「動けないの、わたし。救急箱持ってこっちに来て。」
「あ、うん……。」
私はその人影に言われるがまま、棚にあった救急箱を持って、ベッドへ近づいた。
「開けていいの?」
「ええ、」
控えめにカーテンを開いて、中の人影を確認する。
途端、思わず息をのんだ。
そこには、天使がいた。
白い清潔なベッドの上、美しい長い髪をした少女が静かに微笑んでいる。
それはもう、ひとつの絵画みたいに。
「そこの椅子、座って。」
少女が指差した先にあったパイプ椅子に、私は腰かけて、改めてその少女に見入ってしまう。
本当にきれいな子だなぁ。
「ベッドに脚だけ乗せてくれる?」
「うん。」
ちょっと無理な姿勢。
例えるなら、ヤンキーが机に脚を乗っけているような。
まさにそんな姿勢。
「消毒するよ、ちょっと浸みるかも。」
「あ、いたたっ」
細やかな手つきが少々くすぐったい。
「綺麗な脚なのに、もったいないわ。」
「え?」
「色白でしなやかで、綺麗。」
「っ!?」
生暖かい感触に、肌が粟立つ。
彼女が可愛らしい舌で、垂れた血を舐めとっていた。
ミルクに舌を伸ばす子猫のようだ。
「な、なにやって……っ」
「舐めたの。」
それは解るってば。
「うふふ。」
あ、
笑った。
「運動神経良さそうなのに、神崎りさ子さん。」
「良くないよ……、って、なんで私の名前……。」
「同じクラスだからよ。まぁ、みんなはわたしの名前覚えてないと思うけど。」
手際よく包帯を巻きながら、彼女は寂しそうに微笑んだ。
「三嶋冴っていうの。わたしの名前。」
みしま、さえ。
頭の中で反復する。
「ねえ、神崎さん。」
「なに?」
「わたし、あなたが好きよ。初めてみた時からずっと。」
「え。」
今なんて。
「ふふ、もうすぐみーちゃん帰ってくるわ。手当終わったし、そろそろ教室に戻らないと。」
「え、あ。」
綺麗に巻かれた包帯。
白い。
「じゃあね、神崎さん。」
動けないと言った彼女、冴は、悪戯っぽく笑って、ベッドから降り、保健室から姿を消した。
冴が寝ていたベッドの上。
血の染みた脱脂綿や救急箱と共に、白い小さな羽が落ちていた。
おしまい。
初めてなので、お目汚し失礼しました。