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人生の中で最も長い三時間だった。
回復薬とスタミナドリンクを飲みながら、アカツキは疲労で震える足を抑える。気を張っていなければ今にでも倒れて、そのまま意識を失ってしまいそうだった。
また、随分と仲間が減った。
HPとスタミナが最大まで回復したアカツキは、周囲を見回して目を伏せる。アカツキと同じようにアイテムを使っていたり、地面に座り込んでいる仲間達の数は、ここに入る前とは比べ物にならない程減っている。
ボスが倒され、部屋の中に浮かんでいた不気味な紫色の光源がなくなり、部屋は明るくなっていた。しかし残っているプレイヤー達の心は未だ暗い闇の中にある。
何故なら、まだ何も終わっていないからだ。
これから、まだ俺達は戦わなくては。
疲労によってぼんやりとした頭でこの先の事を考えていると、自分の妹の事を思い出して一瞬で思考が冷たくなっていく。
さっき、部屋の中を見回した時、栞はいたか?
ハーデスとの戦いの中では、とても自分以外の人間を気にしている余裕は無かった。ただ生き残る事に精一杯だったのだ。
心臓が急に暴れだし、呼吸が荒くなる。足が疲労ではない別の何かによってガタガタと震え出す。
アカツキはゆっくりと首を動かして、部屋の中にいる仲間の姿を確認していく。グルリと部屋の中に視線を一周させていき、徐々に部屋の隅に近付いていく。焦燥感が高まっていく。
「あ……」
部屋の右隅で、栞が壁にもたれ掛かっていた。全身の力が抜けて、アカツキは息を吐き出しながらゆっくりと地面に倒れ込む。
良かった。
まだ、生きていた。
栞の周囲には彼女の仲間が揃っていた。その中にはドルーアや七海、それに――――あれ?
林檎の姿が、どこにも無かった。
「は、はは」
乾いた笑みを浮かべて、アカツキは部屋の中を見回す。彼女のお嬢様の様なふんわりとした金髪はよく目立つ。だから、すぐに見つかる筈だった。
それが、どこにも無い。何度部屋の中を見回しても、彼女の姿はどこにもなかった。
アカツキは力なく立ち上がると、フラフラとした足取りで栞達の方に向かう。アカツキに気付いた彼女達は重暗い表情を浮かべていて、アカツキが林檎が死んだのだと理解するには十分だった。
「し、栞」
「っ」
アカツキが栞の名前を呼ぶと、栞は立ち上がり、倒れ込むようにして胸に飛び込んできた。胸元に顔を押し付け、栞は身体を震わせる。アカツキは栞の身体を抱きしめながら、ドルーアに林檎について尋ねた。彼は目を伏せながら、ゆっくりと首を振った。
ああ、また。
また俺の知り合いが死んだ。
沢山死んでしまった。
もう嫌だったのに。
こんなのはもう嫌だ。
酷い。
助けてくれ。
怖い。
なんでこんなことに。
何のために。
誰が。
誰のせいで。
「終わらせてやる」
静かに告げられたアカツキの言葉に、栞が顔を上げた。
「俺が、こんな世界を、終わらせてやる」
―――――――――――――――
「注目!」
疲労困憊のプレイヤー達に向け、玖龍が叫んだ。その場にいたプレイヤー達が皆彼に視線を向ける。
「皆よく戦ってくれた! 我々の奮闘により、第30エリアへの道は開かれた! 犠牲になった多くのプレイヤーも含め、君達に感謝する! しかし、まだ戦いは終わっていない! むしろ、我々の戦いはこれからだ! この世界を作り出した者達を打ち倒し、囚われた仲間達を解放しなければならない!」
全く疲れを感じさせない、凛とした口調で、玖龍は仲間達に呼びかける。彼の言葉に、座り込んでいたプレイヤー達が立ち上がっていく。
「これより、最後のエリアへ突入する!」
玖龍の宣言に、多くのプレイヤーが声を上げた。
開かれた扉の前に立ち、彼らは隊列を整えていく。アカツキと栞は列の真ん中辺りに並んでいる。先頭には玖龍が立ち、皆に指示を与えている。
そして遂に、彼らは最後のエリアへ侵入を果たしたのだった。
「なんだこれは」
扉をくぐったプレイヤー達は、口々に中の風景を見て困惑の言葉を呟く。
最初に目に入ったのは、真っ青な空だった。雲ひとつ無い青空は、ブレオン内で滅多に見られない『快晴』だ。そして地面からは無数の花が生えており、見た者に楽園の様な印象を与える。爽やかな風が吹き、プレイヤー達の間を突き抜けていく。
なんとも居心地がいい場所だった。
奥の方にある、巨大な施設が無ければ。
緑が溢れるエリアの奥にある丘の上に、何かの施設が建てられていた。楽園の様なこの場所に似合わない、電子的な冷たい印象の施設だ。
エリアに入ってきたプレイヤー達が呆けたように風景を眺めていると、突如として施設からアラーム音が響き始めた。その不快なアラーム音は呆けていたプレイヤー達を我に返すには十分だった。
「行くぞ!」
恐らく、自分達の侵入がバレたのだろう。何らかの対処を取られる前に、あの施設にまで辿り着かなければ。
玖龍は指示を出すと、施設に向かって走りだした。その後ろをプレイヤー達が続く。プレイヤーの足によって花は踏み潰され、散っていく。
そんな無粋な侵入者を拒むためか、突如として何も無かった空間に複数の騎士が現れた。
闇のように黒い鎧が武器を手に、プレイヤー達の行方を阻む。鎧の中には誰も入っていない。
「どけよ」
伽藍堂の騎士を睨み付けながら、玖龍達は武器を抜いた。
―――――――――――――――
アカツキ達が本来不死身である筈のハーデスを倒した事によって、運営陣は大変なパニックに陥っていた。今まで全てが完璧に行っていたのだ。それが突如として崩れ去れば、パニックにもなるだろう。
「なんでハーデスが倒されるんだよぉお!!」
研究員達が血眼になって状況を調べている。ハーデスが倒された原因は分かった。設定されていた筈の不死身設定が何者かによって解除されていたのだ。プレイヤー達が戦いにくる直前まで、不死身になっていた筈なのに、である。
もうこの一連の不具合が内部の何者かによって引き起こされたという事は明白だった。研究員達は必死にそれが誰なのかを探っているが、芳しくないようだ。
「う、浦部さん! どうしたら!?」
研究員の一人が、浦部に助けを求めた。浦部は片手でキーボードを叩きながら、研究員の方へ視線を向ける。
「プレイヤーがこちらに近付いて来てます! 転移させようとしてるのに、機能が働かなくてっ」
「緊急用のガーディアンは召喚したか?」
「は、はい! ですが侵入してきたプレイヤーによって、次々と倒されています!」
「……おいおい。ガーディアンも不死モンスターだった筈だろ。じゃあ、その他のモンスターを不死設定にして召喚したらどうだ」
「そ、それが、施設の機能が何者かによって制限されているらしく、ガーディアン以外のモンスターを召喚出来ないんです」
「……だったらここにいる何人かで、プレイヤーを直接叩いてこい。全員チート性能の装備して、即死スキルとか連発しときゃ、何とかなるだろ」
浦部の指示を受けた研究員が仲間に伝えるべく、背中を向けて掛けていく。その様子を眺めながら、浦部は椅子から立ち上がる。
「おい、朝倉はどうした」
部屋の中に朝倉の姿が見えない。
近くにいた研究員に声を掛けると、どうやら朝倉はボスの所へ報告に行ったらしい。
「……。おい、お前ら! 俺はちょっと施設の様子を見てくる! ここは任せたぞ!」
そう言うと、浦部は部下の静止を無視し、部屋から出て行った。
―――――――――――――――
「全く、いったい何が起きているのかねぇ」
まるで他人ごとの様に喋るボスに呆れながら、朝倉は現状を報告する。
ハーデスの不死設定が解除され、施設内の機能もかなり制限されている。プレイヤー達がここへ辿り着くのも時間の問題だろう。
「はは、まあ犯人は分かってるさ。なぁ、朝倉君?」
「…………」
朝倉に背中を向けたまま、椅子に座ってコーヒを啜るボス。
彼の言葉に朝倉が何かを言いかけて、部屋の中に慌ただしく誰かが入ってきた。研究員の一人だ。
「あ、朝倉ざぁ!?」
朝倉の名前を呼びかけた彼の胸から、突如として刃が生えた。研究員は信じられないと言った表情でそれを見ると、白目を向いて崩れ落ちた。そして世界から消滅していく。
「な……何なんだお前達は……何故ここに」
研究員を刺殺した奴の他にも、二人仲間がいた。彼らは武器を手に、この部屋に入り込んできた。
「はぁ、全く手応えがないね」
「くひひ、仕方ねぇよ。影に隠れる臆病共しかいねぇからなぁ」
「…………」
男か女か判断が付きにくい、太刀を手にした灰色の髪を持つ長身。
濡れたような黒髪に、薄っすらと生えた顎髭の下卑た笑みを浮かべた男。
小学生の様に幼い容姿をしたオカッパ頭の、巨大な斧を手にした少女。
三人の異様な侵入者がそこにいた。
「はぁあああああああああああい。ぼかぁ、カタナでぇぇす。よろしくねぇ☆」
ドロリと裂けた笑みを浮かべた長身――カタナが一歩前に踏み出す。
男――けだまくと少女――手斧が それに続いて前に出る。
「ど、どうしたら……」
朝倉はどうしていいか分からず、よろよろと後ろに下がり、ボスに助けを求めた。座っていた彼はコーヒーを消滅させると、クツクツと笑みを浮かべながら椅子から立ち上がった。
「やぁ、久し振りだね」
ボスは笑みを浮かべたままで、カタナ達の方へ向く。その顔を見ても、カタナ達は驚かなかった。
それどころか、カタナは人懐っこい笑みを浮かべ、
「ええ、お久しぶりですね」
そしてこう言った。
「戦人針さん☆」