旅にでるぞ
「翔太ー、旅にでるぞー」
日曜の朝、のんびりとテレビを見ながらオレンジジュースを飲み、まったりしていた翔太の耳に安寧の一時を打ち破る声が届いた。翔太は小学三年生、眼鏡をかけたインドア派の男の子、地味な見かけで、運動より家でゲームをする方が好きな子供だった。
「翔太、いるか? 旅にでるぞ!」
隣に住む幼なじみの薫が扉を開けて入ってきた。薫は翔太と同じ小学三年生の女の子、ショートカットの髪の毛に短パン、Tシャツ、アクティブな格好をしている。お洒落に興味が無いのか、髪の毛は無造作に、ぱっつんぱっつんんい飛び跳ねている。翔太と反対にアウトドア派の子供だった。翔太はいつも薫に引っ張り回され、振り回されていた。
「旅って、どこに行くの?」
「これから決める」
「これから?」
薫はポケットからおもむろに四本の棒を取り出した。
「一本引いて」
薫が棒を差し出した。
翔太はわけもわからず四本の棒の中から一番手前にあった一本を引いた。棒の端を見ると『西』と書いてあった。
「よし、西に行くぞ」
「西に?」
「そう、西」
「西のどこ?」
「西は西、磁石の赤が向く方向と直角の方向」
薫が方位磁石をポケットから取り出して指し示した。
「えーと、西向きに進むってこと?」
「そう、西向きにまっすぐ、行けるところまで行く」
そう言うと薫は翔太を外に連れ出した。
薫は時々訳の分からない遊びを思いつく。ここ最近おとなしかったのだが、どうやらいつもの遊びの虫が動き出したようだ。薫は外にでると方位磁石を見て、前方を指さした。
「こっちが西だ」
薫は磁石の指す方向に、まっすぐ歩きだした。
「まっすぐ西にって、たいして進めないと思うけど……、ほら、塀があるよ」
直ぐ目の前にお向かいの家のブロック塀があった。
「乗り越える」
薫はブロック塀に手をかけると体を引き上げ、よじ登り、飛び降りた。
「本当にまっすぐ行くんだ……」
薫の行動にあきれつつ、翔太も薫に続いた。
「家があるよ」
塀を越えて庭を進むとすぐにお向かいの吉田さんの家があった。
出発して僅か八メートル、短い旅だったなと思う翔太の目の前で薫が無造作に吉田さんの家の窓を開けた。
「おじゃましまーす」
薫は声をかけると靴を脱いで吉田さんの家の中に入っていった。どうやら旅はまだ続きそうだ。
「あらあら薫ちゃんに翔太ちゃん、どうしたの?」
吉田のおばちゃんが驚いた顔で二人を出迎えた。
「通らせてください」
薫がそのまま奥の部屋に入っていく。しかし慌てず騒がず、吉田のおばちゃんはおっとりと二人に声をかけた。
「アイスクリーム、食べる?」
奥の部屋から薫が舞い戻ってきた。
「食べます!」
翔太はなんだか無性に恥ずかしくて頭を抱えた。
「で、今度はどうしたの?」
吉田のおばちゃんが美味しそうにアイスクリームを食べる二人に尋ねた。
「いつもの病気です。西に向かってまっすぐ進んでるんです」
翔太がため息をつきつつ答えた。この近辺で薫の奇行は有名である。これだけで話が通じる。
「誰が病気だ! 殴るぞ!!」
「痛い! もう殴ってるじゃないか!!」
頭を叩く薫に翔太が抗議した。
「あらあらいつも仲が良いわね」
「喧嘩してるんです。全く、薫はいつも口より先に手がでる」
翔太が心外そうに否定した。
「でもそう言いながらいつも一緒よね」
吉田のおばちゃんがなま暖かい目で翔太を見つめた。翔太は恥ずかしそうに顔を赤くした。
「翔太は私の奴隷だからね」
「誰が奴隷だ!」
すぐさま否定するが、薫は全く聞いていなかった。
「ごちそうさまー、じゃあそろそろ行くね」
薫はアイスクリームを食べ終わると再び奥の部屋に向かい、窓を開けるとでていった。
「おじゃましました」
翔太が律儀にちゃんと挨拶をして部屋を出た。
「気をつけてねー」
吉田のおばちゃんがにこにこしながら見送ってくれた。
吉田さんの家の塀を乗り越えると続けて田中さんの家に入った。今度はドーナツをご馳走になった。二人の住む町は小さな町で、町中ほとんどの人が知り合いだった。だから傍若無人に勝手に部屋にあがってくる二人を皆暖かく出迎えてご馳走してくれた。二人は次々と家を通り抜け、五件目の家に来ていた。今度はプリンをご馳走になっていた。
「そろそろおなかがいっぱいになってきたな」
「そうか? 私はまだまだいけるぞ、次はたこ焼きが食べたいな……、次は町外れのたこ焼き屋に行こう!」
「……薫、最初の目的覚えてる?」
「え? 目的? あっ、も、もちろん覚えているぞ」
「絶対忘れていたな、まあ別にいいけど」
これはこれでちょっと恥ずかしいけれど、美味しい旅だ。薫がこれに味を占めてしょっちゅう『旅にでる』なんて言い出さなければ良いけれど、気苦労の多い翔太であった。
「よし、西に行くぞ!」
薫はプリンを食べ終わると取って付けたように旅の再開を宣言した。
五件目の家を越えると川にぶつかった。小さな川で、いつもやごを捕ったり蛍を捕ったりして遊んでいる川だ。当然こんな川くらいで薫は止まらない。川の真ん中をじゃぶじゃぶ渡っていった。
川を渡ると山があった。町からの標高差五百メートルほどのちっぽけな山だった。普通に登山道を登れば二時間ほどで登れる簡単な山だった。しかし真っ直ぐ進むとこれが恐ろしく険しい山に変貌した。
「うう、なんで僕はこんなことしてるんだろう?」
山の急な斜面を上から垂れ下がる蔦を命綱にして登りながら翔太は疑問を呈した。
「こんな危険なこと、もうやめたいよなー、大変なだけでちっとも面白くないし」
翔太は引き返すことを提案しようと考えて薫を見た。
「ひゃっほー! たーのしいー」
薫は楽しそうだった。
「なんでこんなことが楽しいんだよ!」
そう思いながらも楽しそうにしている薫を見ていると自分も嬉しくなってくる翔太だった。
やっと平坦なところに出て少し進むと、目の前に崖が立ちふさがっていた。
「おっ、崖だ!」
高さ十メートルほどの岩肌がほぼ垂直に切り立っていた。
「さすがにここは無理だよね」
崖は垂直に切り立っており、とても登れそうにない。横の方を見てもかなり先まで崖は続いており、回り道はなさそうである。いよいよこの旅も終わりかと目を薫の方に向けると、薫が見えない。
「あれ? どこにいったんだ?」
不思議に思い周りを見回すが、薫が見あたらない。ふといやな予感を覚え上を見上げると、薫が岩肌に取り付いて登っていた。
「ち、ちょっと、危ないよ!」
いくらなんでもこの崖は洒落にならない。落ちれば一発であの世行きである。
「危ないから面白いんだよ。それに、落ちたら翔太が受け止めてくれるだろう?」
殺し文句だった。翔太を信頼していないと言えない言葉だ。薫は時々こういう台詞をポロリとこぼす。翔太は顔を真っ赤にして答えた。
「あたりまえだろう」
「なら大丈夫」
薫は崖登りを再開した。翔太ははらはらしながら薫を見守った。薫の運動神経はずば抜けており、崖登りも楽々こなした。十メートルの崖もすいすい登り、頂上まで後もう少しというところまで到達した。
「よし、もう少し」
崖の一番上に手が届く位置まで到達した薫は手を伸ばし、頂上にある岩に手をかけた。薫がその手に全体重をかけ、体を引き上げようとした瞬間、つかんだ岩がポロッと崖から外れた。その岩に全体重をかけていた薫は体勢を崩し、そのまま崖の下に落下し始めた。
「きゃー!」
いやに可愛い悲鳴を上げながら薫が落ちてきた。翔太は必死に落ちてきた薫の体を受け止めた。
「ぐえ!」
蛙がつぶれるような声を出して翔太は転倒した。しかしその胸にはしっかり薫を抱きしめていた。
「ごほっ、ごほっ、……大丈夫?」
せき込みながらも翔太は薫に問いかけた。薫は魂が抜けたように放心していた。
「薫! 大丈夫?」
翔太は心配そうに薫に呼びかけた。
「あっ、……大丈夫」
薫は翔太の声にやっと正気を取り戻して答えた。
「ありがとう」
「どこにも怪我はない?」
「うん、平気みたい」
「ふー、よかった」
安心すると翔太に怒りがこみ上げてきた。
「だから危ないって行っただろう!」
「でも、それが楽しいんだよ」
「楽しくってもだめ! 今度こんなことやったら絶交だからね!!」
「でも」
「でもじゃない! ぜっったいだめ!!」
滅多に怒らない翔太が怒っていた。薫の理不尽な要求にも文句を言いながらも従ってくれる翔太が心から怒っているのがわかった。自分を心配して怒っていることがわかる薫は嬉しくてつい笑ってしまった。
「薫! 何笑ってるの? 間違ったら死んでたかもしれないんだよ! わかってるの?」
ますます翔太が頭に血をのぼらせた。怒り狂う翔太を薫はふいにぎゅっと抱きしめた。
「本当にありがとう、翔太が助けてくれるって信じていたよ」
「あ、あぅ」
翔太は顔を真っ赤にしてわたわたした。
「し、しょういがないな、もうこんなこと、絶対やっちゃだめだよ」
照れ隠しのようにそっぽを向いて翔太が薫を叱った。
「うん、わかった」
こうして二人の旅行は終わった。
「ふー、これで薫もしばらくはおとなしくしているかな?」
翌週の日曜日、翔太はいつものようにテレビを見て、オレンジジュースを飲みながらまったりしていた。そこに薫の声が響いた。
「翔太、旅行に行くぞ! 今度は南だ」
「ぜんぜんこりてねー」
頭を抱える翔太であった。




