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観察記録5(2)

 熱の籠った眼差しだった。背中にじわじわと汗が滲み出す。何と答えるべきだろう。どのように応じれば、不信感を抱かれず穏便に済ませられるだろう?

 

「生憎、私はアートに造詣がなく……」

 

 そう濁すと、ルルセラの眉がぴくりと動いた。

 

「そういうことを、聞いているわけじゃないのよ」

「ええ、ですが……」

 

 さて、どうしたものか……。頭の中を引っ掻きまわし、なんとか使えそうな文言を引っ張り出してくる。

 

「普段はどうされているのです? 私が来る前は、どなたに……。もしかして、前任の補佐官に意見を求めていたのでしょうか」

「……普段、なんてない……私は、こういう仕事は、初めてなのよ」

 

 こういう仕事? どういう意味だろう? アーケストとして踏んだ場数は、それなりに多いはずでは?

 

 ルルセラの言葉を聞いて、何よりも先ず、そんな疑問が思い浮かんだ。

 

 だけど、聞けなかった。

 

 そんな空気ではなかった。

 

 俺は、多分、失言をしたのだ。ルルセラの声には、明らかな苛立ちが滲んでいた。

 

「そうじゃなくても、別の人に言えるわけないじゃない」

 

 ぽつりと独り言のように溢すのが聞こえて、途端に、苦いものが胸に広がる。

 

 ルルセラはすぐに、ふぅ、と大きく息をついた。昂った感情を鎮めるかのように。

 

「……やっぱり忘れて下さい。変なこと聞いて、煩わせてごめんなさい」

 

 謝意を口にしながらも、その顔に浮かぶのは、別のもののようだった。俺への怒りや失望かと思ったが、それよりむしろ、途方に暮れたような色に見えた。胸が、ますます重くなる。

 

 ……彼女は普段、人に意見を求めたりしない。窮地に至ってもなお、俺以外を頼るつもりはないと言う。それは、何故か? ――彼女は圧倒的孤独なのだろう。

 

 他の魔法機団員達が、狭い研究棟に詰め込まれ、膝を突き合わせて議論したり愚痴を言い合っている間、彼女は独りでいる。それが、本人の望んだ状況か否かはともかく、彼女は一人で置かれている。

 

 ライラが隣にいたって、それは変わらない。彼女は同僚じゃない。機密情報を分かち合う立場たり得ない。

 

 きっと、レーグス魔法機団内に信頼できる人もいない。家族に相談しようという発想も、持ち合わせていない。

 

 だから、彼女は初めての「こういう仕事」を前に、一人で苦しんでいた。俺は、そこにつけこむように手を伸ばした。彼女はその手を取った。なのに、俺は……。

 

「……すみません、私が間違ってました」

 

 俺が、間違っていた。完全に。

 

「私が勝手に自意識過剰になって、質問の意図を履き違えてました」

 

 ルルセラは、黙ったまま俺の顔を見上げた。

 

「ルルセラ様が私に求めているものは、アドバイスなんかではなく……つまり、一般市民の意見のようなもの、ですよね?」

 

 慎重に尋ねると、ルルセラは、

 

「一般市民……」

 

 と、考え込むような素振りを見せた。そんなどうでも良い部分に引っかからないでくれ。慌てて「いいえ、今のはたとえみたいなものですが」と付け足した。

 

「つまり、私が言いたいのは、私に構成案そのものを求めているわけではない、ということです。……ですよね?」

 

 ルルセラは、こてん、と首を縦に振って返した。

 

「でしたら、私はきちんと職務を全うし、上官の質問にお答えします」

 

 そう伝えると、アメシストの瞳がまるくなり、きらりと光った。

 

 その光はたしかに明るい気色を帯びて見えた。でも、破顔には至らなかった。

 

 きっと俺は、大切な信頼を一つ失ったのだ。気軽に質問を投げかけられるような間柄ではなくなってしまったのだ。だから、

 

「ええと、虹の隣に何を思い浮かべるか、でしたよね」

 

 黙っているルルセラの代わりに、自分で質問を繰り返した。

 

「……ええ、何か、思い付いたらで良いんですけど……」

 

 ルルセラがようやく、遠慮がちに口を開いた。そして、そろそろと床に置かれていたノートを取り上げた。それからまた、俺を見上げた。

 

 ほっと一息をつく。良かった。取り合ってもらえて。良かった。……のだけど。……何となく、プレッシャーを感じる。

 

 ……こんなことなら、最初に質問を受けた時に真剣に考えておけば良かった。曖昧に濁すことばかりに心血を注いだりせず。その結果信頼を失うような馬鹿になる前に。この緊張感の中で、今更一生懸命考えたところで、何一つ頭に浮かんでこない。

 

 ……というか、この質問、難しくないか? 普通に虹を思い浮かべると、薄ら明るい曇天しか見えてこない。それが、求められている答えじゃないことだけはわかる。

 

 ちら、とルルセラに目を向けると、心配そうな眼差しで俺を見ていた。

 

「……春の虹、ですよね」

 

 何となく気まずくて、間を繋ぐために、自明なことを口にする。

 

「ええ」

「その…………花とか、春告鳥とかでしょうか」

 

 ようやく絞り出した言葉は、我ながら、あまりに月並みでつまらない答えだった。

 

 ルルセラも同じ感想を持ったのだろう。彼女は、いかにもメモを取る準備万端の姿勢で待っていたにもかわかわらず、その手を動かすことはなかった。ただの一文字分も。自分が恥ずかしくなる。

 

「すみません」

 

 思わず謝罪が口を突いて出てくる。

 

「あ、いや、やっぱりそうなんだなーと思っただけで」

 

 ルルセラが慌てたように言った。フォローのつもりだったのだろうけど、あんまりフォローになっていない。

 

「ええと、つまり……」

 

 ルルセラも気まずそうな面差しになって、言葉を探すように、視線を彷徨わせた。

 

「私も一回試したことがあるんですけど。光源魔法で花吹雪を映してみたり、風魔法で本物の花びらを舞わせてみたり。でも、なんかこう、調和が取れなくて。虹の儚さとのバランスが……」

 

 その言葉の示す風景を、想像してみる。なるほどたしかに、言われてみれば、そんな気がした。華やかな光の像や鮮やかな花の色は、虹の美しさを際立てるというよりむしろ、ぼやかしてしまいそうだった。

 

「やっぱり今回は、虹は諦めるべきかしら……」

 

 ルルセラの呟きが耳に届いた時、何故だか堪らなく悔しい気持ちが湧き上がってきた。憤りにも近い感情だった。

 

 他と調和が取れないのは、それが際立って優れているからだ。既存技術とは一線を画している。だからと言って、その特別美しいものを取り除いてしまうなんてこと、あって良いのだろうか?

 

「調和が取れないというならいっそ、全てを虹にしてしまえば?」

 

 感情のままにぽろりと溢れた言葉は、なかなか良い響きに聞こえた。「うーん……?」と首を傾げるルルセラに、畳み掛けるように続ける。

 

「つまり、虹の形を変えて、花や鳥の形にしてみるとか」

 

 これはなかなか新しいアイデアなのではないか。そう思って、一瞬プライドを取り戻した心地になった。それはほんの一瞬――ルルセラの渋い顔を視界に捉えるまでの、僅かな時間であったが。

 

「えええ……まるくない虹? そんなもの、存在しないでしょう……」

 

 ……なるほど、たしかに彼女はアーケストらしからぬ思考回路を持っているようだ。あまりにも現実的過ぎる。もちろん、俺の素人見解に過ぎないが。

 

「うーん、でもちょっと待って、虹って何で半弧の形をしているんだっけ。なんか、仮説があった気がする。それを吟味して計算しなおしたら、形も変えられるかしら……」

 

 顎に指を当てて考え込む姿は、実にアーキテクトらしい。そして、これが彼女の持ち味なんだろう、という感じもした。

 

「資料、探して持って来ましょうか」

 

 見かねて声をかけると、こてんと首を捻って返された。

 

「いや、ここにある本じゃなくて……」

「ご実家ですか?」

「うーん、図書館? アカデミー? すごく昔だった気が……」

 

 虚空を睨みつけながら、また首を捻る。本当に、とても、彼女らしい。どこまでも真剣で、素直で、そういう姿は何というか――なんと言い表せば良いのだろう? 微笑ましい? とにかくこう、さりげなくそっと背中を押したくなるというか、ナントカ心がくすぐられる感じがするのだ。

 

「わかりました、探してきます」

 

 そう言って部屋を出たのは、自然の成り行きだろう。むしろそうしないほうが不自然だ。彼女を邪魔する敵勢力のような、怪しい振る舞いに見えるだろう。

 

 

 ◆

 

 

『ニジ ガ マルイ リユウ ノ ホン ヲ オクッテクダサイ ニンムノタメ』

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