異世界転生したら精霊が育児助手になりました
異世界転生って、もっとこう。
目が覚めたら森の中で剣を拾って、魔法を覚えて、運命の仲間が現れて、旅に出る。
そういうものだと思っていた。
現実は。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
腕の中で、小さな命が全力で泣いていた。
「え、待って、待って……!」
私は慌てて抱き直す。赤ちゃんだ。あたたかくて、柔らかくて、軽い。
軽いのに、泣き声だけは世界を揺らす勢いがある。
木の梁がむき出しの天井。小さな窓。古い木床。隙間風。
見たことのない家。見たことのない服。
「ここ……どこ……? 私……なにしてるの……?」
赤ちゃんが答えるわけもなく、泣き声は強くなる。
胸の奥がざわついて、息が浅くなる。
頭の中が白くなるのに、手だけは必死で動いていた。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ……」
自分に言い聞かせる声になった。
そのとき。
窓がカタカタと震えた。
「……え?」
風かと思った。でも違う。
棚のコップが小さく鳴り、空気が引っ張られるようにゆがむ。
赤ちゃんが泣くたび、部屋が少しずつ揺れる。
「……なにこれ。怖い……」
怖い。
でも、それ以上に怖いのは。
赤ちゃんが苦しそうなことだった。
「お腹すいた? 眠い? 暑い? 寒い? ……お願い、どれか当たって」
当たるわけがない。
赤ちゃんの言葉は泣き声しかない。
その途方に暮れた瞬間。
窓際に、小さな光がふわりと浮いた。
虫の光みたいに見えた。でも虫じゃない。
丸い輪郭に、目みたいな点がふたつ。手のひらサイズの光の存在。
「……え」
光が、くるりとこちらを向いた。
「泣き声、危険値上昇。対応します」
子どもの声みたいに高いのに、妙に落ち着いた声だった。
「しゃ、しゃべった……?」
「はい。精霊です。育児助手担当、ルゥ」
「育児……助手……?」
私が聞き返すより早く、光の精霊は赤ちゃんの周りをふわふわ飛び回った。
泣き声が“波”みたいに部屋の中へ広がっていくのが分かる。
「原因分析開始。空腹、眠気、不快、刺激過多。優先順位を提示します」
「ていじ……って、なに。そんなの、今……?」
「今です」
断言された。強い。
ルゥは窓に近づき、小さく回った。
ふわ、と風がやわらぐ。隙間風の冷たさが薄くなる。
次に、光が柔らかくなった。
窓から入る朝の眩しさが、夕方みたいに落ち着く。
「刺激を減らしました。続いて温度調整」
空気の冷たさがほどける。
部屋が少しだけ、赤ちゃんに優しい温度になる。
「……すごい」
赤ちゃんはまだ泣いている。
でも、声が少しだけ小さくなった気がする。
胸の奥が、ほんの少しだけ軽くなる。
「あなた、名前」
ルゥが私に言った。
「えっと……ユイ。ユイです」
「ユイ。あなたの心拍、上昇。呼吸、浅い。落ち着いてください」
「落ち着けって言われて落ち着けたら苦労しないよ……!」
「反論を確認。では、落ち着ける手順を提示します」
真面目に返された。
精霊、真面目すぎる。
「深呼吸。吸って、吐く。今すぐ」
「今すぐって……」
私は言われるままに息を吸って、吐いた。
もう一回。もう一回。
泣き声が少しだけ遠のいた。
いや、遠のいたのは泣き声じゃなくて、私の焦りかもしれない。
「良好。次。抱っこ姿勢。あなたの腕、硬い」
「硬いって……!」
「肩を下げる。赤ちゃんを丸く抱える」
ルゥが光で示すみたいに、赤ちゃんの背中をふわっと支える。
自然と赤ちゃんの身体が腕の中で丸くなる。
私の肩も少しだけ下がった。
赤ちゃんが、ひっ、と息を吸って、泣き声が途切れた。
「……止まる?」
期待した瞬間、また泣く。
でも、さっきよりは弱い。
「改善傾向。次は空腹確認。ミルクの所在を探索します」
「探索って……」
ルゥが棚へ飛び、引き出しを軽く叩いた。
すっと引き出しが開く。
「……おお……」
中には哺乳瓶と、粉ミルクの袋らしきもの。
「あります!」
「当然です。育児環境に最低限必要」
当然のように言われた。
精霊って、こんなに現実的なの。
私は震える手で哺乳瓶に粉を入れ、水を注ぐ。
……水の温度が分からない。
「温度、低い。飲みにくい。調整します」
ルゥが光を当てると、哺乳瓶がほんのり温まった。
「え、これ……神の技?」
「生活技術です」
「強い……」
哺乳瓶を赤ちゃんの口元へ。
「はい、どうぞ……」
赤ちゃんは泣きながら首を振って、吸わない。
焦りが喉までせり上がる。
「え、なんで……!」
「焦り、伝播。あなたの声、上ずり」
「上ずりって言わないで!」
ルゥが赤ちゃんの頬に光を当てた。
赤ちゃんの目が一瞬、私を見た。
「大丈夫。ゆっくり。あなたの手は温かい」
その言葉が、胸の奥に落ちた。
私は息を吸って、声の高さを落とす。
「大丈夫。飲んでいいよ。ここにいるよ」
赤ちゃんが口を開いた。
哺乳瓶の先をくわえた。
ごく、ごく。
泣き声が消えた。
代わりに小さな飲み込む音が聞こえる。
同時に、窓のカタカタが止まる。
棚のコップの震えも止まる。
空気が、静かになる。
私は呆然とした。
「……泣き声で、部屋が揺れてたの?」
「はい。赤ちゃんの魔力波。未熟。制御不能。だが正常」
「正常……?」
「泣くのは生きている証拠。異常扱いしないでください」
ルゥの声は相変わらず真面目で、でも少し優しかった。
赤ちゃんは飲み終えて、目を半分閉じている。
眠い。今度は本当に眠い。
「寝かしつけに移行します」
「移行って、なんか怖い」
「次工程です」
「工程って言うのやめて……」
ルゥが赤ちゃんの背中に光を当てる。
部屋の光がさらに柔らかくなり、音が少しだけ減る。
世界が“寝る準備”をしてくれるみたいだった。
「トントン。一定。あなたの呼吸に合わせる」
私は言われた通り、背中をトントンする。
赤ちゃんの呼吸がゆっくりになり、身体の力が抜けていく。
すーっと、眠った。
「……寝た」
「成功」
「成功って言い方、好きじゃない……」
「事実です」
真顔で返された。
でも私は笑ってしまった。
笑った瞬間、胸の奥がじんわり熱くなった。
目の奥も熱い。
「……私、できた」
「あなたがやりました」
ルゥはあっさり言う。
「でも、怖かった。泣き声が止まらないと、全部終わる気がして」
「それは正常です。あなたは単独任務に非適合」
「単独任務って言い方、本当にやめて!」
「あなたの“ひとりで抱える癖”は危険です」
ルゥの声が少しだけ低くなる。
叱るというより、止める声。
「……癖、か」
私の喉が詰まった。
現代でもそうだった。
仕事も、家事も、頼まれごとも。
断れなくて、抱え込んで、潰れそうになって。
やっと静かな場所に行きたいと思っていた。
それなのに、転生先でまた抱っこしてる。
泣き声で世界が揺れる赤ちゃんを。
「……笑えるね」
涙がこぼれた。
「逃げたくて転生したのに、また頑張ってる」
「逃げていません」
ルゥはきっぱり言った。
「ここに来たのは、あなたが向き合える人だから」
「そんなの……」
「倒れそうでも、手を離さない。だからです」
その言葉が、刺さった。
優しいのに、痛い。
私は息を吐いて、赤ちゃんをそっと寝台に寝かせた。
「……寝ていいのかな」
「いいです」
即答だった。
それが、ありがたかった。
誰かに“いい”と言ってほしかった。
「私は育児助手。あなたの休息も任務です」
「精霊って、そこまでしてくれるの?」
「赤ちゃんの安定は世界の安定。親の安定は赤ちゃんの安定」
正しい。
正しすぎるから、泣きそうになる。
私は横になり、目を閉じた。
でも胸がざわざわして眠れない。
そのとき、赤ちゃんが小さく「ふぇ」と声を出した。
泣く前の、予告みたいな声。
私は反射で起き上がりそうになる。
「大丈夫です」
ルゥが私の胸の上にふわりと乗った。
小さな光があたたかい。呼吸が整う。
「泣きたいのは、あなたも同じです」
その一言で、堤防が崩れた。
「……私、ちゃんとできないのが怖い」
声が掠れた。
「泣かせたら迷惑かける気がする。揺れたら私が悪いって思う」
「違います」
ルゥは短く否定する。
「赤ちゃんは泣きます。泣くのが仕事」
「仕事……」
「あなたの仕事は、全部を完璧にすることではありません」
ルゥは静かに言う。
「あなたの仕事は、抱えることではない。育てること」
抱えることじゃなく、育てること。
その違いを、私はずっと知らなかった気がした。
「……じゃあ、ちょっとだけ休む」
「はい。休息は育児の一部」
その言葉に背中を押されて、私はようやく眠りに落ちた。
⸻
朝の光で目が覚めた。
身体が少し軽い。頭が澄んでいる。
「……寝た」
「達成」
ルゥが言った。
「成功から達成に変えたの?」
「配慮です」
「精霊って、配慮するんだ」
「学習します」
寝台の上で赤ちゃんがふにゃっと笑った。
その笑顔だけで胸が温かくなる。
ところが、外が騒がしい。
ざわざわ、ざわざわ。
窓を開けると、村人たちが家の前に集まっていた。十人以上。
中心には白い服の男。司祭らしい。
「おお、目覚めたか。昨夜この家は光っていた」
司祭が厳しい声で言う。
「精霊が怒ったのだろう。泣き声は災い。鎮めねばならぬ」
村人たちは怯えている。
光=怒り、と思い込んでいる。
(怒ってないよ。助けてくれてたよ)
私は深呼吸した。
怖い。でも。
昨日の私なら、黙って謝っていたと思う。
でも今は、横にルゥがいる。
私は戸を開けて外へ出た。
「違います」
声が震えないように、ゆっくり言った。
「精霊は怒ってません。助けてくれました」
司祭が眉を寄せる。
「精霊が人間に手を貸すなど聞いたことがない」
村人たちがざわつく。
「ほら、やっぱり怒って――」
「家が揺れたのは災い――」
そのとき、ルゥが私の肩からふわりと浮いた。
朝の空気の中で、小さな光がゆっくり揺れる。
「見える……」
「精霊……?」
ルゥが村人へ向き直った。
「誤認を訂正します」
真面目すぎる精霊の声が、はっきり響く。
「泣き声は災いではありません。生きている合図です」
司祭が言い返そうとする。
「しかし泣き声で魔力が乱れ――」
「乱れるのは未熟だからです」
ルゥは淡々と言った。
「未熟は罪ではありません。支える者がいれば、世界は揺れません」
村人たちが静かになる。
私は胸が熱くなった。
「封じるのではなく、整える。怖がるのではなく、寄り添う」
精霊の光が村人の顔を照らす。
「あなたたちの恐怖が、赤ちゃんの恐怖になる」
空気が変わった。
中年の女が、そっと言う。
「……泣かせたらダメだって、ずっと思ってた」
別の男が呟く。
「泣くたびに窓が揺れて、怒られて……」
怖かったのだ。
赤ちゃんの泣き声じゃなく、泣き声で“周りが壊れること”が。
そして、その責任を親に押し付けることが。
私は一歩前へ出た。
「泣いても大丈夫です」
驚くほど、まっすぐ言えた。
「泣いたら抱っこします。暑かったら服を軽くします。眠かったら静かにします」
司祭が言葉を失う。
ルゥが私の横に戻って、付け足す。
「そして親も、休みます」
「そこ強調するの、やめて」
「最重要項目です」
村人の誰かが笑った。
その笑いが広がる。世界が少し軽くなる。
司祭は咳払いをして視線を逸らした。
「……災いではないというなら、村としても協力しよう」
ツンとした言い方だったけれど、それでも一歩だ。
「ありがとうございます」
私は小さく頭を下げた。
その瞬間、家の中から赤ちゃんの声がした。
「ふぇ」
泣き声じゃない。呼び声みたいな声。
私は振り返って笑った。
「呼ばれてる」
ルゥが即座に言う。
「抱っこに戻りましょう。あなたの手が最適です」
「最適って言い方、好きだね」
「事実です」
私は家に戻り、赤ちゃんを抱っこした。
小さな手が、私の指をぎゅっと握る。
この小さな力が、世界を落ち着かせる鍵なのだ。
窓の外では、村人たちが少しだけ柔らかい顔をしていた。
ルゥが肩にふわりと乗る。
「ユイ。本日の目標」
「なに?」
「あなたも昼寝」
「……はいはい」
赤ちゃんがふにゃっと笑う。
完璧じゃなくていい。
泣いてもいい。
眠っていい。
私の異世界転生は冒険じゃない。
でも、たぶんこれも旅だ。
ひとりじゃない旅。
精霊助手つきの、いちばん小さくて、いちばん大きい旅。
窓から入る朝の光が、やさしく部屋を満たしていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
このお話は、
「育児って、誰かが隣にいてくれるだけで世界が変わる」
そんな気持ちから書きました。
泣き声は“困ってる”の合図で、災いじゃない。
でも、疲れているときほど泣き声が怖くなるし、
「自分が悪い」と思ってしまう瞬間があります。
だからこそ、ルゥには、ちょっと口うるさいくらい真面目で、「休むのも任務です」と言い切る精霊になってもらいました。
あなたにも、やさしい朝の光が届きますように




