削れる骨
骨は、折れる前に削れる。
それを知ったのは、逃げた日のことだった。大きな事件じゃない。誰かが死んだわけでも、世界が変わったわけでもない。ただ、そこに立つべき場所から、一歩退いただけだ。
言えばよかった言葉があった。
やればよかった選択があった。
どれも、致命傷ではない。だからこそ、人は自分を許してしまう。「仕方がなかった」「今じゃなかった」と、肉は都合のいい理由をいくらでも用意してくれる。
だが骨は、黙って削れる。
その日は、帰り道の感覚だけがやけに鮮明だった。足音が軽すぎて、地面を踏んでいないような気がした。立っているはずなのに、重さがなかった。
骨が、少し減ったのだと思った。
削れるとき、音はしない。血も出ない。誰にも気づかれない。ただ、姿勢がほんのわずかに崩れる。自分だけが分かる程度に。
それから私は、他人の骨が気になるようになった。
声が大きい人間の中に、やけに薄い骨を見た。
優しい言葉を重ねる人間の、角張った骨を見た。
何も言わずに去る人間の、妙に太い骨を見た。
削れているから弱いとは限らない。削れた分、軽くなり、動ける人間もいる。問題は、削れたことに気づかないことだ。
気づかないまま削れ続けた骨は、いつか中が空になる。
私は夜、風呂場で自分の腕を握った。肉の下にあるはずの骨を、確かめるように。触れた感触は変わらなかった。それでも、確信だけはあった。
確かに、減っている。
人は、逃げても生きられる。
黙っても、生き延びられる。
だがそのたびに、骨は細くなる。
それでも折れなかったことを、人は「成功」と呼ぶのだろう。私はそれを否定しない。ただ、削れた場所は、もう戻らない。
骨は再生しない。
その夜、私は決めた。
これ以上、無自覚に削れないようにしようと。
太くなる必要はない。
まっすぐである必要もない。
ただ、自分が削れている瞬間くらいは、見ていようと思った。
骨は、痛みを出さない。
だからこそ、目を離せば消えてしまう。




