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成り上がり王譚 ~奴隷から国王への成り上がり~  作者: 竜神


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第五話:首輪の付け替え

鉄鉱山攻略戦の勝利から二日後。 前線基地は、勝利の熱気と安堵感に包まれていた。 魔獣の脅威が去り、正規軍の兵士たちは焚き火を囲んでワインを酌み交わし、武勇伝を語り合っている。彼らにとって、今回の勝利は「正規軍の精強さ」によるものであり、奴隷たちの貢献など、すでに記憶の片隅にもない些事だった。


しかし、基地の片隅、泥濘ぬかるみの中に隔離された第十三奴隷兵団の居住区だけは、異様な静けさに支配されていた。


「……カエサルさん。俺たち、どうなるんでしょうか」


少年兵トビが、不安げに膝を抱えて尋ねた。 彼らは奇跡の生還を果たした英雄のはずだ。だが、与えられたのは約束されていた「肉」の配給だけで、称賛の言葉も、休息のための天幕もない。 それどころか、周囲には武装した監視兵が増員され、まるで脱走を防ぐかのような厳戒態勢が敷かれている。


カエサルは、配給された干し肉を噛み砕きながら、錆びた剣の手入れをしていた。


「……どうもしないさ。商品は納品された。あとは、支払いの査定を待つだけだ」


カエサルの声は淡々としていたが、その内心は氷のように冷徹だった。 彼は理解していた。今回の功績は、セドリック・アルビオンにとって「都合が悪すぎる」のだ。 捨て駒として送り出した奴隷が、正規軍も逃げ出すようなルートを踏破し、完璧な戦術情報を持ち帰って勝利を演出した。 これは、正規軍の無能さを露呈させたことに他ならない。


(もしセドリックが凡庸な貴族なら、俺たちを『口封じ』のために処刑するだろう)


カエサルは磨き上げた剣身に映る、自分の瞳を見つめた。 首にはまだ、冷たい鉄の首輪が嵌まっている。これが存在する限り、彼の命は飼い主の一存で決まる。


(だが、セドリックはただの無能じゃない。プライドは高いが、利益メリットには敏感な男だ。……彼が感情を取るか、実利を取るか。ここが勝負所だ)


その時、居住区の入り口で怒号が響いた。


「奴隷兵404番! カエサル・ヴァレリアン! 前へ出ろ!」


現れたのは、セドリックの近衛兵たちだ。彼らはフルプレートの鎧に身を包み、剣の柄に手をかけている。 トビたちが恐怖で身をすくませる中、カエサルはゆっくりと立ち上がり、剣を腰に佩いた。


「……お迎えご苦労様です」


「口を慎め、囚人! 貴様には『軍規違反』および『命令不服従』の容疑がかかっている!」


近衛兵の一人が、カエサルの手首に荒縄をかけ、乱暴に締め上げた。 トビが叫ぼうとするのを、カエサルは目線だけで制した。 これは処刑の呼び出しではない。もし殺す気なら、ここで斬り捨てているはずだ。わざわざ縛り上げて連行するということは、まだ「尋問」の意思があるということ。


「案内をお願いします。……閣下をお待たせしてはいけませんから」


カエサルは近衛兵に小突かれながら、泥の道を歩き出した。 すれ違う正規兵たちが、嘲笑と軽蔑の視線を投げてくる。 「見ろよ、英雄気取りの奴隷だ」「命令を無視したらしいぜ」「ざまあみろ」


カエサルは彼らの顔を一人一人、記憶に刻み込んだ。 今は笑うがいい。 俺がこの首輪を外した時、その笑みがどう歪むか、楽しみにしておく。


連行された先は、やはりセドリックの天幕だった。 だが、前回とは空気が違う。 天幕の周囲には魔法障壁が張られ、入り口には二人の巨漢の騎士が立ちはだかっている。 中からは、話し声一つ聞こえない。完全な密室。


「入れ」


背中を蹴られ、カエサルは天幕の中へと放り込まれた。 床に膝をついた彼の視界に入ってきたのは、美しく磨き上げられた軍靴だった。


カエサルが顔を上げると、そこには椅子に深く腰掛け、不機嫌そうに腕を組むセドリック・アルビオンの姿があった。 その美貌は、怒りと屈辱で微かに歪んでいる。 机の上には、カエサルが提出した「魔獣配置図」と、第三採掘所の守備隊長からの「感謝状」が無造作に投げ出されていた。


「……よくも恥をかかせてくれたな、道具ツール


セドリックの声は、地獄の底から響くような低音だった。 カエサルの背筋に、冷たい戦慄が走る。 ここが、生死を分ける分岐点ターニングポイント。 一言間違えれば、即座に首が飛ぶ。


「申し開きがあるなら聞こう。……ただし、言葉を選べ。その舌が動くのは、これが最後になるかもしれんぞ」


セドリックが指を鳴らすと、控えていた騎士たちが抜刀した。 カエサルは、喉元に突きつけられた刃の冷たさを感じながら、深く息を吸い込んだ。


(さあ、商談ネゴシエーションの時間だ)


天幕の中は、張り詰めた殺気に満ちていた。 セドリックの背後には二人の近衛騎士。カエサルの首筋には剣が突きつけられ、わずかでも動けば頸動脈を断たれる状況だ。


「第三採掘所の守備隊長から、熱烈な感謝状が届いているぞ」


セドリックは、机の上の羊皮紙を指先で弾いた。紙が乾いた音を立てて床に落ちる。


「『奴隷兵カエサルの独断専行によるルート変更、および的確な情報提供により、我が軍は勝利した』……だと? ふざけるな」


セドリックが立ち上がり、カエサルの目の前まで歩み寄った。 革手袋に包まれた手が、カエサルの顎を乱暴に掴み、無理やり上を向かせる。 至近距離で交錯する視線。セドリックの紫色の瞳にあるのは、優秀な家畜が人間に牙を剥いたことへの嫌悪感だった。


「貴様は私の命令を無視した。『赤線』ルートを通れという絶対の命令をな。これは反逆だ。軍法会議にかけるまでもなく、この場で処刑されても文句は言えんぞ」


「……お言葉ですが、閣下」


カエサルは、顎を掴まれたまま、瞬き一つせずに答えた。


「私は命令を無視したわけではありません。命令の『本質』を遂行したのです」


「詭弁を弄するな!」


セドリックの手がカエサルの頬を張った。乾いた音が響き、カエサルの口角から血が流れる。 だが、カエサルは表情を崩さず、静かに続けた。


「閣下の命令は二つ。『結晶を届けること』、そして『本隊の進軍を有利にすること』でした」


カエサルは、床に落ちた感謝状へと視線を落とした。


「もし私が『赤線』を通っていれば、我々は全滅し、結晶は失われ、魔獣は活性化したまま本隊と遭遇していたでしょう。それは閣下にとって、結晶という資産の損失ロスと、兵士の損耗を招く『赤字』の結果です」


カエサルは再びセドリックの目を見据えた。


「私はルートを変更することで、結晶を無傷で届け、さらに魔獣の背後を取るための情報を本隊に提供しました。結果として、閣下の軍の損耗率はゼロ。資源地帯は解放され、閣下の武名は『最小の犠牲で最大の戦果を挙げた名将』として王都に轟くことになります」


カエサルの論理は完璧だった。 セドリックのプライドを傷つけないよう配慮しつつ、彼が得た利益の大きさを提示する。 「私が勝手をした」のではなく、「貴方のために最善を尽くした」という体裁を整える。


「……結果オーライで済むと思っているのか?」


セドリックの声から、わずかに殺気が引いた。 彼はカエサルの顎から手を離し、カエサルの首に巻かれた錆びた鉄の首輪――奴隷の証――を指でなぞった。


「貴様は賢い。……賢すぎる。道具というのはな、性能が良すぎると使い手の指を切り落とすことがある」


セドリックは、カエサルという人間を再評価していた。 こいつはただの兵士ではない。戦場全体を俯瞰し、損得を計算し、リスクを管理する能力がある。 それは、血統だけで威張り散らしている無能な貴族将校たちには絶対にない才能だ。


「殺すのは惜しい。……だが、飼い慣らせるか?」


セドリックの独り言が漏れる。 カエサルは、ここが攻め時だと判断した。


「私は道具です、閣下。使い手次第で、名刀にもなれば、ただの鉄屑にもなる」


カエサルは床に額を擦り付けた。


「今の軍部をご覧下さい。兵站へいたんは滞り、物資は横流しされ、前線の兵士は飢えています。……数字も読めず、地図も描けない豚どもが、血筋だけで席を埋めているのが現状です」


セドリックの眉がぴくりと動いた。それは、彼自身が日々感じている苛立ちそのものだったからだ。


「私なら、計算ができます。泥水を啜った経験から、現場のリアルな数字が見えます。……私を生かしてくだされば、閣下の軍隊を、王国内で最も効率的で、最も富を生む組織に変えてみせましょう」


「……ほう?」


セドリックは口元を歪め、嫌悪感と愉悦が混ざったような笑みを浮かべた。 彼は腰から鍵束を取り出した。 チャリ、という金属音が、天幕の中に冷たく響く。


「貴様のその汚れた頭脳には、豚よりはマシな使い道があるかもしれんな」


セドリックの手が、カエサルの首輪の鍵穴へと伸びた。


(来た……!)


カエサルの心臓が早鐘を打つ。 これは解放ではない。新たな契約だ。 だが、これは対等な契約ではない。悪魔との契約だ。


カチリ。 乾いた音がした。 半年間、カエサルの呼吸を縛り続け、人間としての尊厳を奪い続けてきた鉄の輪が、重力に従って外れた。


ガコン、と鈍い音を立てて、首輪が床に落ちる。 首筋に風が当たる。空気が肺の奥まで入ってくる。 カエサルは震える手で自分の首を触った。そこには、消えない赤い痣が残っていたが、拘束具はもうない。


「勘違いするなよ」


セドリックの冷徹な声が、カエサルのささやかな感動を遮った。


「自由を与えたわけではない。鎖が見えなくなっただけだ」


セドリックは、外した鉄の首輪を軍靴の爪先で蹴り飛ばした。 鉄塊は無惨に転がり、天幕の隅へと追いやられる。


「カエサル・ヴァレリアン。貴様を奴隷兵団から除籍する」


セドリックは、机の上にあった辞令書――既に用意されていたものだ――をカエサルの前に放り投げた。


「本日をもって、我が連隊直属の『兵站へいたん管理見習い』に任ずる」


兵站。 補給、輸送、整備、医療などを管理する裏方の部署。 戦場の華である騎士や突撃兵とは対極にある、地味で、誰もやりたがらない泥仕事。 貴族たちが最も軽蔑し、無能な次男坊や、戦場に出る度胸のない臆病者が押し込められる「掃き溜め」のような場所。


「……兵站、でありますか」


カエサルは辞令書を拾い上げた。 セドリックの意図は明白だ。 カエサルを戦場から遠ざけ、栄光ある功績を上げさせないようにする。そして、数字と書類の山に埋もれさせ、便利な「計算機」として死ぬまでこき使うつもりなのだ。


「不服か?」


「いいえ。……感謝いたします、閣下」


カエサルは深く頭を下げた。 表情は見せない。見せてはいけない。 なぜなら、カエサルの顔は今、歓喜で歪んでいたからだ。


(兵站……! 最高のポジション(席)だ!)


貴族たちは知らない。 戦争の勝敗を決めるのは、個人の武勇でも魔法の威力でもない。「物流」と「経済」だということを。 どんなに強力な騎士も、飯を食わなければ剣を振れない。どんなに高位の魔法使いも、触媒となる宝石がなければただの凡人だ。 兵站を任されるということは、軍全体の物資、人員、金の流れ――その全てのデータにアクセスできる権利(アクセス権)を得たということだ。


それは、商人の息子であるカエサルにとって、敵の心臓部へ繋がる血管を握らせてもらったに等しい。


「貴様は今後、私の最も忠実な『計算機』として、死ぬまで数字の泥沼を這いずり回れ。……もし一度でも計算を間違えれば」


セドリックはカエサルの耳元で囁いた。


「その時は、物理的に首をすげ替えてやる。……代わりの計算機など、いくらでもいるのだからな」


「肝に銘じます」


「下がれ。明日から馬車馬のように働け」


「はっ」


カエサルは立ち上がり、完璧な敬礼をして天幕を出た。


外の空気は、先ほどまでとは違って感じられた。 夜風が心地よい。鉄の味がしない。 カエサルは天幕から十分な距離を取った後、夜空を見上げ、ニヤリと口角を吊り上げた。


「甘いな、お坊ちゃん」


セドリックは、カエサルを「牙を抜いた便利な道具」として手元に置いたつもりだろう。 だが、彼は気づいていない。 自分のふところに、王国の根幹を食い荒らす「猛毒」を招き入れてしまったことに。


カエサルは、自分の新しい職場となる兵站部の天幕の方角を見た。 そこは、戦場の最前線よりもさらに薄暗く、腐敗した臭いが漂っている場所だ。


「さあ、帳簿を見せてもらおうか。この国の腐りきった内臓を、全て丸裸にしてやる」


元奴隷、カエサル・ヴァレリアン。 階級、最下級平民兵。役職、兵站管理見習い。 所持金、ゼロ。 持っているのは、錆びついた短剣一本と、誰にも負けない計算高い頭脳だけ。


しかし、彼の「国盗り(バイアウト)」の計画は、この泥沼の部署から本格的に始まるのだ。


カエサルは、闇に沈む兵站部のテントの幕を開けた。 そこには、山積みになった書類の塔と、酒に溺れる腐敗した官僚たちの姿があった。

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