第二十九話:契約の剣
カッ!!
目も眩むような閃光が、黄金に歪んだ玉座の間を白く染め上げた。光の中心にいたのはエレナだった。カエサルが投げ渡した「鉄の棒」――それは今、彼女の手の中で、青白く輝く光の刃へと姿を変えていた。
それは通常の剣ではなかった。刀身にあたる部分は純粋な魔力光であり、その表面にはカエサルが刻み込んだ複雑な魔導回路が、まるで法典の条文のようにびっしりと浮かび上がっている。
「なんだ、そのふざけた玩具は!」
セドリックが絶叫する。彼が融合していた黄金の玉座から無数の棘が触手のように伸び、エレナに襲いかかった。物理法則を無視した亜空間からの刺突。本来なら防御不能の攻撃だ。
だがエレナは動じなかった。彼女は静かに剣を振り抜いた。
ザンッ!!
音が遅れて聞こえた。触手がエレナの体に触れる寸前で、まるで存在を否定されたかのように霧散した。
「斬れた?馬鹿な、私の攻撃は物理干渉ではない!概念そのものだぞ!」
「ええ。だから斬れたのです」
エレナは光の剣を構え直した。その瞳はもはや暴走した獣のものではなく、冷徹な裁定者のそれだった。
「この剣は、カエサルが私のために用意してくれた『王権執行』の端末。貴方のデタラメな論理を、正当な王の権限で『否定』するための鍵です!」
エレナが踏み込む。彼女の背後に青白い光の翼が広がる。セドリックが展開する何重もの黄金の障壁が、エレナの剣が触れた瞬間にガラス細工のように砕け散っていく。
(見事だ)
瓦礫の陰で、動けないカエサルはその光景を見つめていた。あの剣は彼が兵站部時代から構想していた、対魔導士用の試作兵器だ。使用者の魔力を「法的な強制力」へと変換し、対象の術式を強制解除する。だが、その起動には膨大な魔力と、強靭な精神力が必要だった。
それを使いこなせるのは、この世界でただ一人。真の王の資格を持つ者だけだ。
「納品完了ですね、殿下」
カエサルは満足げに微笑み、意識を失いかけた。
一方、玉座の間へと続く大階段。ここでもまた、一つの決着がつこうとしていた。
「ガァァァァァッ!」「オラァァァァッ!」
ヴォルグの戦斧とゲオルグ将軍の機械義手が激突し、火花を散らす。階段は崩壊し、二人は宙吊りになりながら、互いの信念をぶつけ合っていた。
「なぜ分からん、ヴォルグ!セドリック様の力は絶対だ!個人の感情で抗えるものではない!」
ゲオルグの半身を覆う黄金が、彼の生命力を食らいながら増殖していく。彼の目には、もはやかつての名将の知性はない。あるのは、システムへの盲目的な信奉だけだ。
「へッ!哀れだなぁ、将軍!」
ヴォルグは血まみれになりながらも、獰猛に笑った。
「あんたは昔、俺に言ったはずだ。『戦場で信じられるのは、己の肉体と、隣にいる戦友だけだ』ってな!それがどうだ!その金ピカの鎧は!魂まで担保に入れて、得た力がそれかよ!」
「黙れェッ!これこそが進化だ!効率化だ!」
ゲオルグのガトリング砲が火を噴く。ヴォルグはそれを避けようともせず、正面から突っ込んだ。弾丸が彼の体を貫く。だが止まらない。
「効率?知ったことかよ!俺のボスはな、いつだって損得勘定で動くケチな野郎だが絶対に仲間を切り捨てねえ!だから俺は、あいつに賭けたんだよ!」
ヴォルグの戦斧が、ゲオルグの機械の腕を叩き斬った。断面から火花とオイルが噴き出す。
「な、馬鹿な!貴様の斧は、ただの鉄だろう!なぜ、私の黄金装甲が!」
「言ったろ。俺のは、混ぜ物なしの『本物』だってな!」
ヴォルグは雄叫びと共に、渾身の頭突きをゲオルグの顔面に叩き込んだ。ゴォン!!黄金の仮面が砕け、その下の老いた素顔が露わになる。
ゲオルグはよろめき、崩れた階段の縁から足を滑らせた。彼の体は、黄金の重みに引かれるようにして、奈落の底へと落ちていった。
ヴォルグは肩で息をしながら、その最期を見届けた。
「あばよ将軍。地獄で戦友たちに詫びてきな」
玉座の間では、セドリックの狂気が頂点に達していた。エレナの剣によって、儀式の制御が効かなくなっていたのだ。
「おのれぇぇッ!なぜだ、なぜ私の計算が狂う!」
セドリックの体が肥大化する。制御を失った賢者の石のエネルギーが逆流し、彼の肉体を醜い怪物の姿へと変えていく。黄金の鱗に覆われた巨体。背中からは、王都中のパイプと繋がった触手が伸び、都市そのものを食らい尽くそうとしていた。
「足りぬ!命が足りぬ!もっとだ!もっと寄越せぇぇッ!」
王都の空に浮かぶ紫色の雲が渦を巻き、市民たちの「魂」を直接吸い上げ始めた。家々で倒れていた人々が、苦悶の声を上げて干からびていく。
「もう、やめなさい」
エレナはその光景に心を痛めながらも、剣を構え直した。セドリックはもはや人間ではない。都市に寄生し、すべてを食らい尽くす「癌細胞」だ。
「貴方を止める。それが生き残った王族としての、最後の義務です」
エレナが飛翔する。青白い光の翼を広げ、黄金の怪物の懐へと飛び込んでいく。目指すは、怪物の胸部――賢者の石が埋め込まれた、制御核。
「来るなァァァッ!私の国だ!私のモノだァァッ!」
セドリックが全方位から黄金の棘を放つ。だがエレナは止まらない。傷つくことも、墜落することも恐れない。彼女の脳裏には、雪原で散っていった兵士たち、飢えに苦しむ村人たちの顔が浮かんでいた。
(彼らの未来をここで終わらせはしない!)
エレナの剣がまばゆい光を放った。それはカエサルとの契約、民との約束、そして彼女自身の決意が込められた、断罪の一撃。
「契約執行!!」
エレナの光の剣が、セドリックの巨体の胸部に突き刺さった。
ズドォォォン!!
物理的な衝撃音ではない。世界の理が書き換わるような、甲高い音が空間全体に響き渡った。
「ギィィィャャャャァァァッ!!」
セドリックの絶叫が轟く。剣が刺さった場所から、青白い亀裂が全身へと走る。それは、彼の存在を維持していた「錬金術の術式」そのものが、強制的に解体されていく光景だった。
「馬鹿な、馬鹿な馬鹿なァッ!私は神だぞ!無限の黄金と、永遠の命を手に入れたはずだ!」
セドリックが暴れるたびに、玉座の間が崩壊していく。無限に広がっていた黄金の宇宙にヒビが入り、現実の石造りの壁が露見し始める。
「貴方の計算は、最初から間違っていたのです」
エレナは剣を突き立てたまま、静かに告げた。
「貴方は、民を『数字』としか見ていなかった。だから、彼らの心の重みを見誤った。1+1は2ではない。人の想いが重なれば、それは無限の力になる。貴方には、それが理解できなかった」
「黙れェッ!小娘が、知った風な口を!」
セドリックは最後の力を振り絞り、エレナを握りつぶそうとした。巨大な黄金の手が迫る。
だがその手はエレナに届く前に、砂のように崩れ落ちた。賢者の石の制御核が破壊され、エネルギーの供給が断たれたのだ。
「あ、あぁ」
セドリックの巨体が、急速に縮んでいく。黄金の鱗が剥がれ落ち、醜く膨れ上がった肉体が萎んでいく。そして最後には、元の玉座の残骸の上に、一人の男が転がり落ちた。
空間の歪みが完全に消滅した。黄金の雨は止み、紫色の空はいつもの曇り空へと戻った。
玉座の間は見る影もなかった。天井は崩れ落ち、壁はひび割れ、床には黄金が変質した黒いヘドロが溜まっている。その中央でセドリックは倒れていた。
彼は急速に老化していた。賢者の石の反動だ。無理やり引き伸ばした生命力が、利子をつけて回収されたのだ。白髪になり、皮膚は老婆のように皺だらけになり、呼吸も浅い。
「私の、国。私の、黄金」
彼はまだ虚空に手を伸ばしていた。その手には、何も掴めていなかった。
エレナは光を失い、ただの鉄の棒に戻った「契約の剣」を腰に収め、ゆっくりとセドリックに歩み寄った。
「終わりです、セドリック」
彼女の声には、憎しみも、憐れみもなかった。ただ事務的な事実の通告だけがあった。
「貴方の夢は、ここで潰えました」
セドリックは、ぼんやりとした目でエレナを見上げた。彼の目には、もう彼女が誰なのかも分かっていないようだった。彼はただ、何かを恐れるように体を震わせていた。
「寒い。暗い。誰か、灯りを。金を、金をくれ」
それは、かつて絶対権力者として君臨した男の、あまりにも惨めな末路だった。
瓦礫の山からリンに肩を借りて、カエサルが歩いてきた。彼は全身ボロボロだったが、その瞳は冷静に事態の収拾を図ろうとしていた。
「リン。被害状況は?」
「ひどいもんだよ。王都の人口の二割が金粉病で動けない。建物も半分が倒壊の危機だ。復興には何十年かかるか」
リンが顔をしかめる。勝利の代償はあまりにも大きかった。
カエサルは、瀕死のセドリックを見下ろした。
「見事な『破産』ですね、閣下」
カエサルの声に、セドリックが微かに反応した。
「カエ、サル?貴様、か。私の、すべてを奪った、男」
「奪ったのではありません。貴方が、支払えもしない借金に手を出した結果です」
カエサルは冷たく言い放った。
「貴方は国という巨大な市場を私物化し、インサイダー取引で暴利を貪ろうとした。だが、市場は貴方一人で回っているわけではない。貴方は、市場の復讐を受けたのです」
セドリックは何か言い返そうとしたが、口から泡を吹くだけだった。彼の命の灯火は、今にも消えようとしていた。
カエサルは、彼にトドメを刺すことはしなかった。その必要すらなかった。
「行こう、リン、殿下。ここにはもう、何の価値もない」
カエサルは背を向けた。その直後、セドリックの喉から最期のひゅっという音が漏れた。かつて大陸一の富と権力を誇った男は、誰にも看取られることなく、瓦礫と汚泥の中で息絶えた。
戦いは終わった。だが訪れたのは歓喜ではなく、死のような静寂だった。
王城の外に出たカエサルたちは、変わり果てた王都の姿を目にした。黄金の雨の影響で、街路樹は金属化して枯れ、建物は奇妙な色に変色している。路上には金粉病に侵され、彫像のように固まった人々が倒れていた。
生き残った市民たちも、家から出てこようとしない。彼らは疲れ果て、恐怖し、そして何よりも「希望」を失っていた。
「これが、私たちが取り戻したかった国ですか」
エレナが呟く。彼女のドレスは泥と血で汚れ、美しい銀髪も煤けていた。
「セドリックは倒しました。でも失われたものは、もう戻らない」
彼女の視線の先には、崩壊した王城の尖塔があった。そこはかつて彼女が父王と過ごした思い出の場所であり、この国の象徴だった。
「ええ。マイナスからのスタートですね」
カエサルは痛む体を引きずりながら、エレナの隣に立った。彼は商人の目で、冷静にこの国の「残存価値」を査定していた。
「国庫は空。インフレは進行中。労働人口は激減。生産設備は壊滅。普通の会社なら、即日解散レベルの倒産状態です」
カエサルの言葉は残酷な現実を突きつけた。勝ったからといって、ハッピーエンドではない。むしろ、ここからが本当の地獄の始まりなのだ。
「それでもやるしかないんだろう?」
包帯だらけのヴォルグが、瓦礫に座り込んで言った。「俺たちが始めた喧嘩だ。後片付けも俺たちの仕事だぜ」
「そうだね。逃げるのは簡単だけど、それじゃあ今までの苦労が水の泡だ」
リンも、ため息をつきながら同意する。
彼らの視線がカエサルとエレナに集まる。この国の舵取りは、この二人に委ねられたのだ。
カエサルは、瓦礫の中に落ちていた一つのものを拾い上げた。それはセドリックが戴冠式で被るはずだった、豪華な宝石が散りばめられた王冠だった。だが黄金の雨の影響で、宝石はくすみ、土台の金は黒く変色していた。
「見てください、殿下」
カエサルは、その薄汚れた王冠をエレナに差し出した。
「これが今のこの国の王位です。輝きはなく、価値もなく、ただ重いだけの、鉄屑の塊」
エレナはその王冠を受け取った。ずしりと重い。その重さは、死んでいった者たちの怨念と、生き残った者たちの絶望の重さだ。
「宝石の価値など、最初から求めていません」
エレナはその汚れた王冠を、自らの頭にゆっくりと戴せた。彼女の銀髪と、泥だらけのドレス、そして黒ずんだ王冠。それはどんな着飾った肖像画よりも、今のこの国の現実を映し出す、真の女王の姿だった。
「カエサル。契約を更新します」
エレナはカエサルを真っ直ぐに見つめた。
「私はこのゼロ価値の国を、再び立て直します。民が安心して暮らせる、本当の国を作るまで私は王冠を脱ぎません」
カエサルは王冠を被ったエレナを見て、微かに笑った。それは、奴隷として買われた日のような卑屈な笑みでも、商売敵を陥れる時の冷酷な笑みでもなかった。同志に向ける、穏やかな信頼の笑みだった。
「了解しました、クライアント」
カエサルは、恭しく一礼した。
「とんだ不良債権を掴まされたものですが乗りかかった船です。この国が黒字回復するまで、私の知恵と命を、貴女に預けましょう」
瓦礫の山となった王都の真ん中で。何も持たない元奴隷の商人と、価値のない王冠を戴いた女王は、再び手を結んだ。
空には、まだ厚い雲が垂れ込めている。だがその雲の切れ間から、微かな、本当に微かな一筋の光が、二人の足元を照らしていた。




