第二十八話:愚者の計算式
王都セントラルは異様な静寂に包まれていた。空は紫色に変色し、雲の切れ間からは雨ではなく、キラキラと輝く「金粉」が降り注いでいた。
「綺麗だ」「金だ、金が降ってきたぞ!」
路上で飢えていた市民たちが、歓喜の声を上げて金粉をかき集める。だが、その歓喜はすぐに悲鳴に変わった。金粉に触れた老人の指先が、見る見るうちに黄金色の金属へと変質し、動かなくなったのだ。
「体が固まる!助けてくれ!」
それは恵みの雨ではない。物質変換の余剰エネルギーが漏れ出した、猛毒の廃棄物だ。都市全体が巨大な錬金術の「坩堝」となりつつあった。命を吸い上げ、物質を黄金に変え、そのすべてを王城の頂点へと供給するシステム。
「ひどい有様だな」
王都の地下下水道。カエサルたちは、膝まで泥水に浸かりながら進んでいた。頭上のマンホールから差し込む光さえも、不気味な紫色を帯びている。
「セドリックの奴、都市の『構成定義』を書き換えてやがる。人間を『資源』に、石ころを『通貨』に。インフレどころの話じゃない。価値観の強制書き換えだ」
カエサルは魔導測量機を見ながら顔をしかめた。数値はデタラメに跳ね上がっている。物理法則が狂い始めている証拠だ。
「カエサル。あの光の中心に、セドリックがいるのですね」
エレナが尋ねる。彼女は泥に汚れながらも、その瞳には強い光を宿していた。以前のような迷いも、暴走の気配もない。ただ、王としての使命感だけがそこにあった。
「ええ。奴は王城の『玉座の間』で、自分自身を賢者の石の核にしようとしています。完成すれば奴は不老不死となり、指先一つで世界を金に変える『神』になる」
「そんなこと許しません。民をモノのように扱う王など、王ではありません」
「その通りです殿下。だからこそ、貴女が『ウイルス』になるのです」
カエサルは歩きながら、作戦の最終確認を行った。
「セドリックの儀式は、一つの大前提の上に成り立っています。それは『この国に王は一人しかいない』という前提です」
錬金術による国土錬成陣は、その土地の支配者が持つ「全権委任」のパスワードによって起動する。現在、セドリックは恐怖と暴力によってその権利を独占している状態だ。
「奴は『独占企業』です。だから価格(命の価値)を好き勝手に決められる。ですが、もしそこに『競合他社』が現れたらどうなるか?」
「市場が混乱し、価格決定権を失う」
エレナが即答する。カエサルの教育の成果だ。
「正解です。貴女が玉座の間に入り、セドリックの目の前で『私が真の王だ』と世界に宣言する。そうすれば、儀式は『二人の管理者』の間で命令が競合し、エラーを起こす」
「エラーを起こした瞬間、奴の無敵のバリアが消える。そこを俺たちが叩くってわけだな」
ヴォルグが拳を鳴らす。作戦はシンプルだが、実行は困難を極める。儀式の影響下にある王城は、今や物理法則すら歪む魔境と化しているからだ。
「行きましょう。これが、最後の商談です」
一行はマンホールを開け、王城の裏庭へと飛び出した。そこには生気を失い、ただ儀式の番犬として徘徊する近衛兵たちの姿があった。
「侵入者排除」
近衛兵たちが、うわごとのように呟きながら襲いかかってくる。彼らの鎧は体と融合し、皮膚の一部が黄金化していた。人間としての意識はなく、ただ動く自動人形だ。
「眠らせてやるのが慈悲ってもんだな!」
ヴォルグが戦斧を振るう。だが手応えがおかしい。「ぬあっ!?」斧が兵士の体に当たった瞬間、ゴムのように弾き返されたのだ。
「物理防御じゃない!空間が歪んでいる!」
カエサルが叫ぶ。セドリックの儀式の影響で、王城周辺の空間座標がデタラメになっている。真っ直ぐ斬ったはずが右に逸れ、銃弾がブーメランのように戻ってくる。
「クソッ!どうすりゃいいんだ!」
「リン!『偽ミスリル』を撒け!」
カエサルの指示で、リンが懐から大量の銀色の棒をばら撒いた。前話で兵士たちに売りつけたのと同じ、鉄にメッキをした偽物だ。だが、これにはカエサルの仕掛けがあった。
「あの偽物の中には、『魔力阻害石』の粉末が混ぜてある!純粋な魔力循環の中に、不純物を混ぜ込めば!」
カエサルが魔導銃で偽ミスリルの一つを撃ち抜いた。パァァァン!!粉砕された偽物から、不協和音のような魔力波が発生する。完璧だった儀式の魔力回路にノイズが走り、空間の歪みが一瞬だけ正常に戻った。
「今だ!突破しろ!」
ヴォルグがその隙を見逃さず、兵士たちをなぎ倒す。一行は黄金の粒子が舞う王城の回廊を、玉座の間目指して疾走した。
玉座の間へと続く大階段。その踊り場に巨大な影が待ち構えていた。
「やはり来たか、カエサル」
そこに立っていたのはゲオルグ将軍だった。だが、かつての武人の面影は半分しか残っていなかった。彼の左半身は、戦車の装甲板と魔導パイプによって醜く機械化され、右半身も黄金化が進行していた。
「ゲオルグ。あんた、そこまでして」
ヴォルグが絶句する。
「セドリック閣下の儀式には、膨大な生体エネルギーが必要でな。私も半分ほど捧げたよ」
ゲオルグは機械の義手――ガトリング砲が内蔵された腕を上げた。
「ここは通さん。閣下が神となれば、この国は永遠となる。個人の命など、その偉業の前では塵に等しい」
「それが軍人の誇りかよ!民を守るはずのあんたが、民を燃料にくべる手伝いをしてんのか!」
「秩序なき生よりも、秩序ある死を。それが私の正義だ!」
ゲオルグのガトリング砲が火を噴いた。凄まじい弾幕が階段を削り取る。
「先に行け、大将!ここは俺が食い止める!」
ヴォルグが盾を構えて前に出た。「ヴォルグ!しかし相手は」
「俺の元上官だ。ケジメは俺がつける!お姫様を連れて、早く行けぇッ!」
ヴォルグの背中が、かつてないほど大きく見えた。カエサルは一瞬だけ立ち止まり、そして頷いた。
「頼んだぞ。死ぬことは許可しない!」
カエサル、エレナ、リンの三人は、弾幕の隙間を縫って脇の通路へと駆け込んだ。残されたのは二人の戦士のみ。
「ふん。野良犬風情が、英雄の真似事か」ゲオルグが嘲笑う。
「へっ。首輪付きの番犬よりはマシだぜ!」
ヴォルグは吠え、真正面から突っ込んだ。機械と黄金に侵食された将軍と、生身の元傭兵。火花散る激突が、崩壊する城内で幕を開けた。
長い廊下を抜け、ついにカエサルたちは「玉座の間」の大扉の前に立った。扉の向こうからは、耳鳴りがするほどの高密度の魔力が溢れ出している。
「準備はいいですか、殿下」
カエサルがエレナを見る。エレナは、かつてカエサルが彼女の頭に乗せた「鉄のサークレット」を強く握りしめた。
「ええ。行きましょう。王冠の重さを、彼に教えてあげます」
ギィィィィ。重厚な扉が開かれた。
そこはもはや部屋ではなかった。壁も、床も、天井も消え失せ、無限に広がる黄金の宇宙のような空間。その中心に、巨大な錬成陣が浮かび、一人の男が磔のように浮遊していた。
セドリックだ。だが、その姿は異様だった。下半身は玉座と融合し、背中からは無数の黄金の管が伸びて、王都中の「命」を吸い上げている。
「遅かったな、カエサル」
セドリックが目を開けた。その瞳は黄金に輝き、瞳孔は存在しなかった。
「見ろ。美しいだろう?私の体には、今、三十万人の民の命が流れている。私は彼らと一つになったのだ。これこそが究極の統治『国家との合一』だ!」
セドリックが笑うと、空間全体が震え、黄金の雨が激しくなった。カエサルは吐き気を催した。これは統治ではない。捕食だ。
「気持ち悪い計算式だ」
カエサルは軽蔑を隠さずに吐き捨てた。
「貴様は『1+1=2』を理解していない。三十万の命を足し合わせても、それは巨大な『1』にはならない。ただの『寄せ集めのゴミ山』だ!」
「黙れ!持たざる者の嫉妬など耳障りだ!」
セドリックが指を振るう。床から黄金の槍が無数に隆起し、カエサルたちを襲った。「リン!防壁を!」「無理!魔力が強すぎて弾かれる!」
絶体絶命の危機。その時、エレナが一歩前に出た。
黄金の槍がエレナの目の前でピタリと止まった。彼女が手をかざし、静かに睨みつけただけで、セドリックの攻撃が無効化されたのだ。
「な、なんだ?なぜ止まる?」セドリックが狼狽する。
「この城は、歴代の王の魔力を記憶しています。貴方がどれだけ魔力を独占しようとも、正統な王家の血筋は消せません」
エレナは凛とした声で宣言した。彼女の背後には、かつて暴走した赤黒い竜の影ではなく、青白く輝く、透き通った光の翼が見えた。それは彼女が自身の血と運命を受け入れ、制御した証。
「セドリック!貴方は王ではない。ただの簒奪者です!今すぐ、その座から降りなさい!」
エレナの声が、魔力に乗って空間全体に響き渡る。『王』というシステムに対して、彼女は正規の手順で「異議申し立て」を行ったのだ。
<警告:管理者権限の競合を確認><警告:コマンドが矛盾しています>
空間に浮かぶ魔術文字が赤く点滅し始めた。セドリックの絶対的な支配領域に、亀裂が入る。
「馬鹿な!あり得ない!私はすでに神に近い存在だぞ!?なぜ、たかが小娘一人の言葉で、儀式が揺らぐのだ!」
セドリックが絶叫する。彼は物理的な力や魔力の量では圧倒的に勝っている。だが、儀式が止まらない震えを起こしている。
「それが貴様の計算ミスだ、セドリック!」
カエサルが、揺らぐ黄金の床を踏みしめて叫んだ。
「貴様の儀式は『独占』を前提に組みすぎた!『1÷0』つまり、自分以外の存在をゼロとして計算している。だが、ここにエレナという『1』が存在する限り、その式は成立しない!それは数学的に解なし(エラー)だ!」
「詭弁だ!ならばその『1』を消せばいいだけのこと!」
セドリックが暴走する。背中の管を引きちぎり、玉座から剥がれ落ちるようにして、肉の塊となって襲いかかってきた。神の威厳などない。ただの追い詰められた獣だ。黄金の衝撃波が乱れ飛び、空間が崩壊を始める。
「くっ!衝撃に備えろ!」
カエサルはエレナを庇ったが、デタラメなエネルギーの奔流に吹き飛ばされた。リンも壁に叩きつけられ気絶する。エレナだけが光の翼で辛うじて持ちこたえているが、防戦一方だ。
「死ね!死ねぇぇッ!私の完璧な世界に、異物は要らんのだぁぁッ!」
セドリックの攻撃はもはや魔術ですらない。純粋な質量の暴力。エレナの防御障壁にヒビが入る。このままでは彼女が押し潰され、エラーが解消されてしまう。
カエサルは瓦礫の中で血を吐いた。体は動かない。魔導銃も壊れた。手元にあるのは、何も書かれていない一枚の羊皮紙と、壊れた万年筆だけ。いや、もう一つあった。
彼が背負っていたリュックの中に、ずっと隠し持っていたもの。それは、武器商人カエサルの「最高傑作」であり、まだ誰にも売ったことのない「試作品」。
(ここで使うか。いや、ここで使わなきゃ商売人失格だ)
カエサルは最後の力を振り絞り、這いずりながらその包みを解いた。中から現れたのは剣ではない。一見するとただの鉄の棒に見える。だがその表面には、微細な魔導回路がまるで契約書のようにびっしりと刻まれていた。
「エレナ!!」
カエサルが叫んだ。セドリックの猛攻に耐えていたエレナが、一瞬だけ振り返る。
「契約の履行だ!貴女を王にするための、最後のツール(道具)を納品する!」
カエサルはその鉄の棒を、渾身の力でエレナに向かって放り投げた。回転しながら飛ぶそれは、空間の歪みを切り裂き、青白い光を放ち始めた。
「受け取れェェェッ!!」
セドリックがそれに気づき、迎撃しようとする。「なんだそのゴミは!」
だが遅い。エレナは防御を解き、手を伸ばした。彼女の指先が、その冷たい金属に触れた瞬間。
カッ!!
目も眩むような閃光が、黄金の世界を塗り潰した。システムのエラー音が、祝福のファンファーレへと変わる。
「契約、承認。」
エレナがその「剣」を握りしめた。それはもはや鉄の棒ではなかった。彼女の魔力と覇気を吸い上げ、実体化した光の刃。王の権威を物理的に確定させる、断罪の証。
「契約の剣」。その剣撃が、愚者の夢を断ち切るために振り上げられた。




