第二十七話:破綻した怪物
北の拠点「黒鉄の峰」が陥落してから三日。王都セントラルには、大本営発表のファンファーレが鳴り響いていた。
「逆賊カエサル軍、壊滅!我が軍の大勝利である!」
号外が舞い、広場には戦勝を祝う旗が掲げられた。だがその旗の下を歩く市民たちの顔は、死人のように青ざめていた。勝利したはずなのに、パンの値段は昨日の倍になっている。市場には商品がなく、あるのは「戦時特別徴収」の張り紙だけ。
王城の玉座の間。セドリックは、報告書を片手に震えていた。歓喜の震えではない。枯渇への恐怖だ。
「勝った?これのどこが勝利だ!」
彼は報告書を引き裂いた。
「北の拠点を落としたのに、押収できた物資はゼロだと!?カエサルめ、逃げる前に食料庫を焼き払い、金庫を空にしていきおったか!」
セドリックの目論見は外れた。戦争に勝てば、敵の資産を奪って懐を潤せるはずだった。だが手に入れたのは焦土と化した廃墟と、維持費のかかる広大な占領地だけ。戦車部隊を動かす魔導燃料の請求書が、山のように積み上がっている。
「閣下。国庫は空です。これ以上の軍事行動は」
財務大臣が土下座して懇願する。だがセドリックの瞳には狂気じみた光が宿っていた。ここで止まれば自分はただの「国を破産させた無能な王」になる。進むしかない。たとえその燃料が自らの手足であろうとも。
「金がないなら、作ればいい」
セドリックは、財務大臣を見下ろして冷酷に告げた。
「『愛国国債』を発行しろ。全世帯に購入を義務付けろ。拒否する者は非国民として資産を没収する。それと、教会にある金や装飾品もすべて溶かして金貨にしろ」
「そ、そんな!神への冒涜です!市民が暴動を起こします!」
「構わん。暴動を起こす元気があるなら、兵士として前線へ送れ」
セドリックは玉座の肘掛けを爪が食い込むほど握りしめた。彼の背後に、黒い影のような「何か」が蠢いているように見えた。それは国家というシステムが理性を失い、ただ生存本能のみで暴走する「怪物」の姿だった。
一方、北の山岳地帯。吹雪の中をボロボロになった一団が進んでいた。カエサル率いる敗残兵たちだ。
「寒い。腹減った」
兵士たちがうめき声を上げる。装備の大半を失い、食料も尽きかけている。だが彼らはまだカエサルを見捨てていなかった。あの地獄の坑道から王女を背負って脱出した男の背中に、最後の希望を見出していたからだ。
そりの上でエレナが目を覚ました。毛布にくるまれた彼女の顔色は悪いが、あの禍々しい竜の瞳は消え、透き通った青い瞳に戻っていた。
「カエサル」
「気がつきましたか、殿下」
カエサルが歩きながら振り返る。彼自身も片腕を包帯で吊り、顔には生々しい傷跡が残っている。
「ごめんなさい。私のせいで、みんな」
「謝罪は不要です。貴女があの時力を解放しなければ、我々は全滅していました。貴女は『切り札』を切った。それだけのことです」
カエサルは淡々と言ったが、その声には温かみがあった。彼は懐から凍りついた乾パンの欠片を取り出し、エレナに渡した。
「食べてください。怪物はまだ追いかけてきています。生きるために、カロリーを摂取してください」
彼らを追うのは、ゲオルグ将軍率いる戦車部隊だった。だが、その進軍速度は極端に落ちていた。
「将軍!第3中隊の戦車が止まりました!燃料切れです!」「第5小隊より入電!兵士たちが寒さで凍傷になり、動けません!」
無線機から悲鳴のような報告が飛び交う。ゲオルグは、指揮車の窓から雪原を睨みつけた。
「物資が届かん、だと?」
「はっ。王都からの輸送部隊が途中の村で襲撃されたようです。襲ったのは敵兵ではなく、飢えた自国民の暴徒だと」
副官の言葉にゲオルグは押し黙った。最強の戦車部隊も、燃料がなければただの鉄の箱だ。そして、その燃料を運ぶべき補給線が、国内の経済崩壊によってズタズタに寸断されている。
「皮肉なものだな。カエサルの軍を潰したというのに、我々は『貧困』という見えない敵に包囲されている」
ゲオルグは自嘲気味に笑った。だが、軍人としての冷徹さは失っていなかった。
「現地調達だ。近くの村から、食料と燃料になりそうなものを徴収しろ。家の柱でも、家具でも構わん。燃えるものはすべて奪え」
「し、しかし将軍!それでは略奪です!」
「我々は正義の軍ではない。生き残るための集団だ。行け。やらねば、お前たちが飢えて死ぬぞ」
それは、軍隊としての誇りの死だった。王国の守護者たる軍が、国民を襲い、生き血をすする寄生虫へと変貌した瞬間だった。
雪深い山村「コニファー」。平和だった村は、地獄と化していた。
「やめてくれ!それは冬越しのための食料なんだ!」「うるさい!国家への反逆だぞ!」
王軍の兵士たちが民家に押し入り、小麦粉の袋や干し肉を強奪している。泣き叫ぶ子供、抵抗して殴り倒される老人。かつて「守ってくれる」と信じていた兵士たちの蛮行に、村人たちは絶望していた。
その様子を、村外れの森から見つめる影があった。カエサルたちだ。
「ひでえな。腐りきってやがる」
ヴォルグが悔しそうに拳を木に叩きつける。彼らの手勢は少なく、正面から助けに入れば返り討ちに遭うだけだ。
「あれが、セドリックの『新しい国』の姿だ」
カエサルは双眼鏡を覗きながら、冷静に言った。彼の目は、兵士たちの装備や動きを観察している。
「見ろ。兵士たちの靴は破れ、銃の手入れもされていない。彼らもまた被害者だ。飢えと恐怖で動かされているだけの、哀れな駒だ」
「同情してる場合かよ!なんとかしねえと村が全滅するぞ!」リンが詰め寄る。
「ああ。助けよう。ただし、剣ではなく『価値』で戦う」
カエサルは、ヴォルグとリンに奇妙な指示を出した。それは奇襲攻撃ではなく、「商談」の準備だった。
村の中央広場。略奪品を荷車に積んでいた部隊長の前に、一人の男がふらりと現れた。ボロボロのコートを着たカエサルだ。
「誰だ貴様!殺されたいのか!」兵士たちが銃を向ける。
「まあ待ちなさい。私は通りすがりのそう、相場師です」
カエサルは両手を上げて、ニッコリと笑った。
「あなた方、その小麦を持って帰って上官に褒められると思っているのですか?馬鹿げている。その小麦は途中で別の部隊に横取りされるか、上層部が独り占めして終わりですよ」
「な、なんだと?」部隊長の眉が動く。図星だったのだ。軍内部でも物資の奪い合いが起きていた。
「私ならもっと良い取引ができる。その小麦と引き換えに、『本物の価値』を差し上げましょう」
カエサルは懐から、一枚の輝くインゴット(延べ棒)を取り出した。金ではない。銀色に輝く、見たこともない金属だ。
「これは『ミスリル銀』。戦車のエンジンの触媒に使われる、超希少金属です。これ一本で、一生遊んで暮らせるだけの価値がある」
兵士たちの目の色が変わった。食料は食えばなくなる。だがこれがあれば脱走して、隣国で豪遊できるかもしれない。インフレで紙屑になった給料より、よほど魅力的だ。
「貴様、何者だ」
「ただの商人ですよ。どうです?小麦を置いて、これを持って消える。上官には『ゲリラに襲われて物資を奪われた』と報告すればいい」
カエサルは兵士たちの心の隙間――「体制への不信感」と「欲望」に、毒を流し込んだ。部隊長はゴクリと喉を鳴らし、周囲の部下と目配せをした。彼らの目にも、同じ色が宿っていた。
「取引成立だ」
部隊長はミスリルをひったくり、部下たちに合図した。「撤収だ!荷物は置いていけ!」
彼らは村人から奪った食料を放置し、逃げるように去っていった。カエサルが渡したのが、ただの「鉄にメッキをした偽物」だとも知らずに。
兵士たちが去った後、村人たちが恐る恐る家から出てきた。カエサルは、荷車の覆いを取り払った。
「さあ、皆さん。これは皆さんのものです」
「あ、ありがとう!あんた、命の恩人だ!」村長が涙を流してカエサルの手を握る。
そこへエレナが歩み出た。彼女はまだ衰弱していたが、その瞳には王族としての威厳が戻っていた。
「民よ、聞きなさい!」
エレナの声が広場に響く。
「今あなたたちを襲ったのは、守るべき王国の兵士でした。国は狂っています。民を食らい、未来を食らい、ただ延命するためだけの怪物に成り果てました」
村人たちは静まり返り、彼女を見つめる。
「私はエレナ・ライネール。かつて王女と呼ばれた者です。私は約束します。この怪物を必ず討ち果たすと。だからどうか生き延びてください。夜明けは必ず来ます!」
「エレナ様!生きておられたのか!」
村人たちの間に、驚きと感動が広がる。王都のプロパガンダでは「魔女」とされていた彼女が、実際には自らの危険を顧みず民を救った。その事実はどんな演説よりも強く、人々の心に「真実」を刻み込んだ。
カエサルはその様子を見ながら、ヴォルグに囁いた。
「これでいい。『怪物』の支配を崩すのは、軍事力ではない。民衆の『失望』と、新しいリーダーへの『期待』だ」
彼は、先ほどの兵士たちが持ち去った「偽ミスリル」のことを考えていた。あれが流通すれば、軍内部で「横領」と「詐欺」が横行し、相互不信が決定的になるだろう。小さな嘘が、巨大な組織を内側から腐らせるカビとなる。
その頃王都セントラル。セドリックは、豪華な食事を前にして、一口も喉を通らなかった。テーブルに並んでいるのは、最高級の肉やワイン。だが窓の外からは、飢えた市民の暴動の音が聞こえてくる。
「うるさい。どいつもこいつも」
セドリックはワイングラスを壁に投げつけた。赤い液体が血のように垂れる。
「陛下。ご報告が」影のような男――暗殺部隊の隊長が現れた。
「戦車部隊の一部が、命令を無視して脱走しました。『カエサルから財宝を奪った』という噂を信じ、国外へ逃亡を図ったようです」
「馬鹿な。カエサルにそんな金があるわけがない」
「しかし、兵士たちの間では『セドリックについて行っても餓死するだけだ』という空気が蔓延しています。このままでは、軍の統制が保てません」
セドリックは爪を噛んだ。金がない。物がない。信用がない。あるのは「恐怖」だけだが、飢えの苦しみは恐怖すら凌駕しつつある。
「なら、最後の手段だ」
セドリックは引き出しから、古びた鍵を取り出した。それは、王家の地下深くに封印されている、ある「禁忌」への扉の鍵。
「カエサルが『経済』で攻めるなら、私は『理』そのものを書き換えてやる。『賢者の石』の錬成を行う」
「賢者の石!?それは、都市一つの魂を生贄にするという!」さすがの暗殺隊長も息を呑む。
「国が滅びれば、市民も死ぬのだ。ならば、私の糧となって死ぬのも同じことだろう?準備をしろ。カエサルが王都に来る前に、私が『神』になる」
雪山の隠れ家にて。カエサルは、奪った敵の通信機を傍受し、さらに各地の相場表を分析していた。
「おかしい」
カエサルが呟く。「どうした、大将?」ヴォルグが尋ねる。
「セドリックの動きだ。経済は完全に破綻している。本来なら、とっくに政権が倒れていてもおかしい。だが奴はまだ強気だ。まるで『一発逆転の手』を持っているかのように」
カエサルは、王都周辺の魔力濃度の異常な上昇データに目を留めた。そして、古い文献の記憶と照らし合わせる。
「まさか。奴は、経済を捨てて、錬金術に逃げたか」
カエサルの顔色が変わった。インフレや物流などという人間界のルールを無視し、魔術的な奇跡で無理やり帳尻を合わせようとしている。それは、都市一つを燃料にして、無限の黄金と魔力を生み出す禁断の儀式。
「あいつ、国ごと心中する気か」
「どういうことだよ!」
「セドリックは、王都の市民全員を『賢者の石』の材料にするつもりです。そうすれば、金も魔力も無限に手に入る。究極の資産形成ですが、顧客(国民)がいなくなっては元も子もない」
カエサルは立ち上がった。もはや、ゲリラ戦で時間を稼いでいる場合ではない。儀式が完成すれば、世界は終わる。
「止めに行きますか?」エレナが静かに尋ねる。
「ええ。ですが、正面から行けば戦車部隊にすり潰される。儀式を止めるには、セドリックの『計算』を狂わせる必要があります」
カエサルは、雪の上に木の枝で数式を書き始めた。それは、経済学の数式と、魔術の術式を融合させた、奇妙な方程式だった。
「セドリックの儀式は、膨大な『魔力』と『人間の魂』、そしてそれを統御する『王の権威』で成り立っています。この三つの変数のうち、一つでもゼロになれば、儀式は失敗し、逆流したエネルギーが術者を滅ぼす」
カエサルは数式の一箇所に、強くバツ印をつけた。
「魔力と魂は、奴が物理的に押さえている。ですが、『王の権威』つまり、世界が奴を王と認めるかどうか。ここは、まだ揺らいでいる」
カエサルはニヤリと笑った。それは久しぶりに見せる、ふてぶてしい商人の笑みだった。
「奴の計算式には致命的なバグがある。『愚者の計算式』だ。奴は、自分が唯一の王だと思っている。だが、ここにもう一人、王の資格を持つ者がいることを忘れている」
カエサルはエレナを見た。
「殿下。貴女自身が、奴の儀式をぶち壊す『ウイルス』になるのです。これが、最後の賭けです」
カエサルは立ち上がり、南の空――王都の方角を指差した。
「見つけましたよ。奴の無敵の城壁に空いた、たった一つの穴を。そこへ、致命的な一撃を叩き込む」
怪物は自らの重みに耐えきれず、禁断の果実に手を出した。だが、その果実は毒入りであることを、カエサルだけが知っていた。




