第二十五話:鉄の棺桶
「総員、衝撃に備えろォッ!!」
カエサルの叫び声が、爆音にかき消された。
ドガァァァァァァァン!!
重魔導戦車の一斉射撃が、黒鉄の峰の城壁を直撃した。数百年もの間、帝国の侵攻を阻み続けてきた石造りの壁が、まるでビスケットのように砕け散る。破片が降り注ぎ、逃げ遅れた兵士たちがその下敷きになった。
「ひ、ひぎゃああっ!」「腕が!俺の腕が!」
阿鼻叫喚の地獄絵図。さっきまで勝利に酔いしれていた兵士たちは、今や恐怖に顔を引きつらせ、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑っていた。
「くそッ!なんだあのデタラメな威力は!」
ヴォルグが瓦礫の山から這い出し、戦斧を構える。彼の目の前で、城門を突破した戦車の巨体が、黒い排気ガス(マナの残滓)を吐き出しながら侵入してくる。
「オラァッ!鉄クズが!」
ヴォルグは咆哮と共に跳躍し、戦車の装甲板に全力の一撃を叩き込んだ。ガギィンッ!!火花が散る。だが、それだけだ。分厚い複合装甲には、浅い傷一つつかない。
「マジかよ。俺の全力だぞ?」
ヴォルグが愕然とする間に、戦車の砲塔がゆっくりと旋回し、彼に狙いを定めた。
「ヴォルグ、避けろ!」
カエサルの援護射撃が、戦車のセンサーアイ(魔導眼)を撃ち抜く。着弾の衝撃で照準が狂い、砲弾はヴォルグの横を掠めて背後の塔を吹き飛ばした。
「大将!刃が通らねえ!魔法も弾かれる!どうすりゃいいんだ!」
「後退だ!ここはもう支えきれない!」
カエサルは歯噛みした。インフレで敵の補給を断ち、人狼部隊を焼却した。盤面は完璧だったはずだ。 だが、セドリックは盤面そのものをひっくり返しに来た。既に製造され、燃料を充填された兵器の前には、「今の」経済状況など無関係だ。これが、カエサルが最も警戒していた「理屈の通じない暴力」だった。
「城塞を放棄する!全軍、地下坑道へ退避せよ!」
カエサルの命令が飛ぶ。だが、それは簡単なことではない。パニックに陥った三万の兵と、避難民たちが狭い通路に殺到すれば、将棋倒しが起きる。
「落ち着きなさい!順序よく!」
エレナが剣を掲げ、群衆の整理に当たる。彼女の声には、不思議な強制力があった。恐怖で理性を失いかけていた人々も、女王の凛とした姿を見て、わずかに落ち着きを取り戻す。
「殿下、貴女も早く!」
「私は最後に行きます!民を置いては行けません!」
エレナは一歩も引かない。その頭上を、砲弾がヒュンヒュンと飛び交う。城塞都市は今や、火の海に沈もうとしていた。
「リン!殿下を頼む!」
カエサルはリンに目配せをした。「了解!恨まないでよ、お姫様!」
リンは素早くエレナの背後に回り込み、その首筋に手刀を打ち込んだ。「っ……!?」 エレナがカエサルの腕の中に崩れ落ちる。
「すまない、殿下。貴女に死なれては、この革命が終わってしまう」
カエサルはエレナを抱きかかえ、ヴォルグたちと共に地下坑道への入り口を目指して走った。背後では、城塞のシンボルだった時計塔が、轟音と共に崩れ落ちていた。
地下坑道の入り口にある分厚い鉄扉が、重々しい音を立てて閉ざされた。外の爆音が、くぐもった遠雷のように聞こえる。
「なんとか、逃げ込んだか」
薄暗い坑道の中で、カエサルは荒い息を吐いた。ここはかつてドワーフたちが掘り進めた、迷路のような鉱山跡だ。巨大な戦車が入ってこられる広さはない。
「生存者は?」
「兵士が約一万五千。民衆が二万ってとこだな」 ヴォルグが沈痛な面持ちで答える。「半数がやられたか、散り散りになっちまった」
あまりの損害。たった一時間前まで「勝利」を確信していた軍勢が、半壊したのだ。坑道内には、負傷者のうめき声と、家族を失った人々のすすり泣く声が満ちている。
「カエサル」
意識を取り戻したエレナが、カエサルの胸倉を掴んだ。その瞳には涙が溜まっている。
「なぜ……なぜ止めたのですか!私は民を守ると誓ったのに!私だけ生き残って……何の意味があるのですか!」
「生きてこそです」
カエサルは静かに、だが強く言い返した。
「貴女が死ねば、セドリックの天下だ。ここで死んだ者たちの犠牲も、すべて無駄になる。泣いている暇はありません。敵は必ず、ここへ入ってきます」
カエサルの予想通りだった。 頭上の岩盤を伝わり、不気味な振動が響いてきた。ズズズ……ズズズ……。
「戦車部隊は入れないが、歩兵部隊なら入れる」カエサルは坑道の奥を見据えた。
「ここは『鉄の棺桶』だ。外に出れば戦車に撃たれ、中に留まれば生き埋めか、毒ガス攻撃を受ける。 戦場を変えるぞ」
カエサルは地図を広げた。鉱山の最深部、地熱を利用した巨大な空洞。そこが、最後の決戦の地となる。
カエサルたちの予想通り、セドリック軍は追撃の手を緩めなかった。巨大な戦車は坑道に入れないが、代わりに送り込まれてきたのは「機械化歩兵」だった。全身を魔導アーマーで覆い、暗視ゴーグルと火炎放射器を装備した、対閉所戦闘のエキスパートたちだ。
「ヒャハハ!ネズミ狩りだァ!」
坑道の暗闇に向けて、火炎放射器が放たれる。逃げ遅れた避難民が炎に巻かれる。
「畜生!こっちだ!俺が相手になってやる!」
ヴォルグが狭い通路を利用して奇襲をかける。戦斧の一撃でアーマーをへこませるが、狭すぎて武器を振り回せない。逆に、小回りの利く敵の短剣や散弾銃に苦戦を強いられる。
「くそっ、ジリ貧だぜ!」
「下がれ、ヴォルグ!」
カエサルとリンが、通路に仕掛けた罠を発動させる。天井が崩落し、敵の先頭集団を押し潰す。だが、敵は無数にいる。瓦礫を乗り越え、あるいは別のルートから、次々と湧き出てくる。
一行は、鉱山の最深部にある「第3採掘場」まで後退した。ここは天井が高く、巨大な地底湖と、マグマだまりがある広大な空間だ。
「ここなら戦える」
カエサルは、残存兵力を配置につかせた。そして、彼が懐から取り出したのは、武器ではなく、小瓶に入った液体だった。
「これは?」エレナが尋ねる。
「鉱山に残されていた『ニトログリセリン』の原料です。即席の爆弾を作ります」
カエサルと技術兵たちは、驚異的な速度で作業を始めた。坑道内に残されたトロッコのレール、採掘用の火薬、そして地熱発電用のパイプ。すべてを利用して、この空間そのものを巨大な「罠」に変える。
「金貨も、証券も、ここでは役に立たない。だが、『知識』だけは裏切らない」
カエサルの目は死んでいなかった。戦車の装甲は貫けなくても、熱力学と地質学を応用すれば、山一つを敵にぶつけることはできる。
だが、敵の指揮官ゲオルグもまた、ただの軍人ではなかった。彼は「カエサルなら罠を張る」と予測していたのだ。
地上にいるゲオルグは、地図を見ながら冷酷な命令を下した。
「坑道の入り口を爆破して塞げ。そして、空気孔から『神経毒』を流し込め」
「はっ?ですが、中には我々の歩兵部隊も」
「構わん。カエサルという男は、一匹残らず殺しておかねばならん危険因子だ。味方の犠牲など、安い経費だ」
ドォォン!!
遠くで爆発音が響いた。坑道内の気流が変わる。そして、どこからともなく、甘い匂いのする紫色の煙が漂い始めた。
「毒ガスか!」
カエサルが叫ぶ。「全員、濡らした布で口を覆え!高い所へ逃げろ!毒ガスは空気より重い!」
だが、逃げ場はない。入り口は塞がれ、毒ガスはじわじわと水位のように上がってくる。そして正面の通路からは、ガスマスクをつけた機械化歩兵の大部隊が突入してくる。
「終わりだ、反乱軍!」
敵兵の一斉射撃。盾を持った兵士たちがバタバタと倒れる。ヴォルグも肩を撃ち抜かれ、膝をつく。リンが投げたナイフも、厚い装甲に弾かれる。
「ここまで、か」
カエサルは、最後の火薬樽に火をつけようとした。自爆してでも、エレナだけは別の隠し通路から逃がす。そのための時間を稼ぐために。
だが、その火種すらも、敵の狙撃によって消し飛ばされた。カエサル自身も、腕を撃たれ、その場に倒れ込んだ。
広大な地底空間は、虐殺の場となっていた。生き残った兵士たちが囲まれ、武装解除される。毒ガスの影響で、多くの者が痙攣し、意識を失っている。
敵の隊長が、倒れているカエサルの髪を掴み、無理やり顔を上げさせた。
「へっ、これが懸賞首の顔か。随分と情けないツラをしてやがる」
隊長は軍靴でカエサルの傷口を踏みつけた。
「ぐっ」カエサルが苦悶の声を漏らす。
「やめなさい!!」
エレナが叫び、飛び出そうとするが、二人の兵士に取り押さえられた。彼女の顔は涙と煤で汚れ、鉄のサークレットも歪んでいる。だが、その目だけは、まだ死んでいなかった。
「ほう。これが噂の『偽王女』か。殺すのは惜しい美人だが……命令なんでな」
隊長はカエサルに向けた銃口を、ゆっくりとエレナの方へ向けた。
「カエサル。貴様の目の前で、貴様が担ぎ上げた神輿を壊してやる。それが、我々に逆らった罰だ」
「や、やめろ!彼女だけは!」
カエサルが這いずり、手を伸ばす。だが、届かない。自分の無力さが、五臓六腑を焼き尽くす。金も、知恵も、策も、この圧倒的な暴力の前には無力だったのか。
「あばよ、お姫様」
隊長の指が、引き金にかかる。時間は、永遠のように引き伸ばされた。
その瞬間。エレナの内側で、何かが「割れる」音がした。
恐怖?絶望?いや、違う。それは、もっと根源的な怒り。自分のために傷つく仲間たち。理不尽に踏みにじられる命。そして、大切なパートナーであるカエサルが、自分の目の前で辱められていることへの、激しい憤怒。
ドクン。
エレナの心臓が、鐘のような音を立てて脈打った。
(力が欲しいか?)
誰かの声が聞こえた気がした。それは神の声か、悪魔の囁きか。あるいは、彼女の血管に流れる、数百年の歴史を持つ「ライネール王家」の先祖たちの怨念か。
(力が欲しいならくれてやる。ただし、その代償は『人』であることを捨てることだ)
「構わない」
エレナは無意識に呟いた。
「この人たちを守れるなら私は、悪魔にだってなってやる!!」
カッ!!
エレナの全身から、紅蓮の光が噴き出した。それは魔力ではない。純粋な「覇気」と、物理的な衝撃波を伴ったエネルギーの奔流だった。
「な、なんだ!?」
エレナを取り押さえていた兵士たちが、紙切れのように吹き飛ばされた。銃を構えていた隊長も、その衝撃に耐えきれず後退する。
「ひ、ひぃッ!なんだその目は!」
エレナが顔を上げた。その瞳は、いつもの澄んだ青色ではなかった。鮮血のように赤く、そして獣のように縦に割れた瞳孔――「龍の瞳」が、そこにあった。
「ガァァァァァァァッ!!」
エレナの口から、可憐な彼女からは想像もできない、猛獣のような咆哮が迸った。その声だけで、周囲の空間がビリビリと震え、天井から鍾乳石が落下する。
「殿下?」
カエサルは呆然と見上げた。エレナの体を包む赤い光は、次第に形を変えていく。それは、翼のような、あるいは巨大な顎のような形状を成し、彼女を守るように展開した。
伝説に語られる、建国王ライネール1世の逸話。『始祖は、古の竜の血を飲み、その力を得て国を平らげた』
それは単なるおとぎ話ではなかった。隔世遺伝によって、数代に一人現れるという「竜血の覚醒者」。 それが、極限のストレスと怒りを引き金にして、今ここに顕現したのだ。
「消えろ」
エレナが、低く、冷たい声で呟いた。次の瞬間、彼女は素手で虚空を薙いだ。
ズバンッ!!
魔法でも剣技でもない。ただの「腕を振る」という動作だけで、真空の刃が発生した。前方にいた機械化歩兵の小隊が、鎧ごと両断され、背後の岩盤ごと斬り裂かれた。
「ば、バケモノだ! 逃げろ!撃て!いや逃げろ!」
パニックに陥る敵兵たち。だが、覚醒したエレナは止まらない。彼女は理性を失いかけていた。ただ目の前の「敵意」を排除する破壊の化身として、赤く輝く瞳で次の獲物を探す。
カエサルは戦慄した。これは「救世主」の力ではない。制御不能な「災厄」だ。このままでは、敵だけでなく、味方も、そして坑道そのものも崩壊する。
赤いオーラを纏ったエレナが、ゆっくりと振り返る。その視線が、カエサルと交錯する。そこには、かつての慈愛に満ちた彼女はいなかった。
「王血の暴走」。その不吉な予感が、カエサルの背筋を凍らせた。




