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成り上がり王譚 ~奴隷から国王への成り上がり~  作者: 竜神


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第二十三話:インフレという名の攻城兵器

王都セントラルの中央市場。 朝の喧騒の中、一人の小柄な少年――変装したリンが、果物屋の屋台でリンゴを手に取っていた。


「おいおい、オッサン。このリンゴ、先週は銅貨二枚だったろ? なんで今日は五枚なんだよ」


「すまねえな、坊主。仕入れ値が上がっちまってよ。北からの輸送が止まってるし、関所の通行税も上がったんだ」


店主は困り顔で頭を掻く。リンは懐から、ピカピカに磨かれた「新王金貨」を取り出した。セドリックが発行したばかりの、肖像画入りの金貨だ。


「じゃあ、これで払うよ。お釣りはいらねえ」


「お、おい!待ってくれ!」


店主は慌ててリンの手を押し戻した。


「その『セドリック金貨』は勘弁してくれよ。最近、混ざり物が多いって噂でな。両替商に持ってっても、額面の半分でも引き取ってくれねえんだ」


「へえ?腐っても金貨だろ?」


「それがよ、昨日隣の肉屋が、この金貨を溶かしてみたんだと。そうしたら、中身はほとんど鉛だったらしいぜ」


リンはニヤリと笑った。その噂を流したのは、他ならぬカエサルの工作部隊だ。だが、それは完全な嘘ではない。セドリックが戦費調達のために、貨幣の質を落としているのは事実だ。カエサルたちは、その事実を針小棒大に吹聴し、市場の不安を煽っているのだ。


「仕方ねえな。じゃあ、こっちはどうだ?」


リンが次に取り出したのは、厚手の羊皮紙に精巧な印刷が施された「自由国証券」だった。北の政府が発行した、鉄や塩との交換を保証する手形だ。


店主の目の色が変わった。


「おっ!『北の札(キタフダ)』じゃねえか!これなら歓迎だ!これ一枚ありゃ、闇市で塩が一袋買えるからな」


「商談成立だな」


リンは証券を渡し、リンゴを受け取った。市場を見渡せば、似たような光景があちこちで見られる。王都の市民たちは、自分たちの政府が発行する金貨よりも、敵であるはずの北の反乱軍が発行する紙切れを信用し始めていた。


これが、カエサルの狙い。「グレシャムの法則」の逆用だ。信用のある良貨(自由国証券)は手元に残され、信用のない悪貨(セドリック金貨)だけが市場に溢れる。結果、金貨の価値は暴落し、物価は天井知らずに跳ね上がる。


その夜。王都の波止場にある巨大倉庫。闇に紛れて、数人の男たちが荷車を動かしていた。彼らは北の工作員ではなく、王都の悪徳商人たちだ。


「急げ! 小麦を全部運び出せ!」「行き先は?」「北の国境だ!向こうじゃ、小麦一袋が金貨十枚分の証券に化けるぞ!」


カエサルは、北の国境で「小麦を高値で買い取る」という情報を流していた。王都の商人たちは、利益に聡い。彼らは愛国心など持っていない。王都で安く買い叩かれるより、北へ横流しして儲けることを選んだのだ。


結果、王都から食料が消えていく。供給が減り、貨幣の価値が下がる。この二つが組み合わさった時、起きるのは「インフレ」などという生易しいものではない。「ハイパーインフレ(超物価高騰)」という名の、経済的自爆だ。


翌日、王城の執務室。セドリックは、報告書を床に叩きつけていた。


「パン一つが金貨一枚だと!?ふざけるな!」


「は、はい。市民の間では『セドリック金貨は石ころより軽い』などという言葉も流行っており……」


財務大臣が震えながら答える。


「取り締まれ!商人どもを逮捕しろ!価格を吊り上げる奴は死刑だ!」


「それが……処刑すればするほど、店が閉まり、さらに物がなくなって価格が上がっております。それに、兵士たちの不満も限界です。給料として渡した金貨で、酒一杯飲めないと……」


「ええい、黙れ黙れ!」


セドリックは頭を抱えた。彼は軍事と政治の天才を自負していたが、経済に関しては素人だった。「金貨を刷れば金が増える」と信じていたツケが、最悪の形で回ってきたのだ。


そこへ、ゲオルグ将軍が入室してきた。


「閣下。即刻、北への進軍をご決断ください」


「なんだと?まだ雪が残っているぞ」


「悠長なことは言っていられません。この物価高騰は、カエサルの仕掛けた罠です。時間をかければかけるほど、我が国の経済は失血死します。兵士たちが食えなくなる前に、北の拠点を叩き潰し、彼らの物資を奪うしかありません」


ゲオルグの目は血走っていた。戦わずして負ける恐怖。15万の大軍という維持費の塊が、今や自分たちの首を絞める鎖となっていた。


「分かった」


セドリックは立ち上がった。


「全軍に出撃命令を出せ!目標は黒鉄の峰!カエサルの首を刎ね、奴らが隠し持っている食料と富を全て奪い尽くせ!」


それは、戦略的な進軍ではなかった。飢えた獣が、餌を求めて雪原へ飛び出すような、無謀な突撃だった。


セドリック軍15万の北上が始まった。だが、その行軍は悲惨を極めた。春の雪解けでぬかるんだ街道。車輪が泥に取られ、馬が倒れる。何より深刻なのは、補給の不足だった。


「おい、今日の配給はこれだけかよ?」「固いパンが一個だけだ。スープも具が入ってねえ」


兵士たちの会話には、覇気がない。出発前に約束された「特別手当」の金貨は、インフレのせいで紙屑同然になっていた。故郷に残した家族は食べていけているのか?そんな不安が、兵士たちの足を重くさせる。


「逃げるか?」「馬鹿言え。脱走兵は即刻処刑だぞ」


監視役の憲兵たちが目を光らせているため、表立った反乱は起きていない。だが、軍隊という巨大な生き物の「心臓」は、既に止まりかけていた。


軍が北の国境地帯に入ると、異変に気づいた。村々が無人なのだ。家畜も、食料も、井戸のつるべさえもない。あるのは、燃え尽きた家屋と、井戸に投げ込まれた汚物だけ。


「焦土作戦」。カエサルは、敵の進軍ルート上にある村人を全て避難させ、物資を一切残さないように徹底していた。


「水がない!近くの川を使え!」「駄目です!上流で魔獣の死骸が投げ込まれてます!毒水です!」


部隊長たちの悲鳴が上がる。現地調達(略奪)を当てにしていたセドリック軍にとって、これは致命的だった。後方からの補給線は、雪解けの泥道と、神出鬼没のゲリラ部隊によって寸断されている。


「カエサルめ。どこまでも腐った真似を」


馬上のゲオルグ将軍は、歯ぎしりをした。これは戦争ではない。「兵站殺し」だ。敵と刃を交える前に、寒さと飢えと病気が、兵士たちを削り取っていく。


一方、迎え撃つ「黒鉄の峰」。作戦室の暖炉の前で、カエサルは優雅にコーヒーを飲んでいた。壁の地図には、敵軍の動きを示す赤い駒が、ゆっくりと、しかし確実にこちらへ近づいてくるのが示されている。


「敵の先鋒部隊、消耗率は推定20%。脱走兵の数は、日に日に増えています」


参謀役の青年が報告する。


「順調ですね。インフレ爆弾と焦土作戦のコンボは、予想以上の効果だ」


カエサルは満足げに頷いた。隣に立つエレナは、複雑な表情を浮かべていた。


「南の兵士たちが哀れです。彼らもまた、この国の民なのに」


「同情は禁物です、殿下。彼らは武器を持って殺しに来ている。それに、ここで彼らを徹底的に叩きのめすことが、結果として最も多くの命を救うことになる」


カエサルは立ち上がり、窓の外を見た。雪原の彼方、地平線が黒く染まり始めていた。敵の大軍がついに姿を現したのだ。


「ヴォルグ。客人の到着だ。歓迎の準備は?」


「おうよ。とっくに出来てるぜ」


ヴォルグが愛用の戦斧を担ぎ上げる。彼の背後には、十分な食事と休息を取り、士気が最高潮に達した「救国軍」の精鋭たちが控えていた。彼らの装備は、敵から横流しされた新品の武器であり、彼らの腹には温かいスープが入っている。


「敵は15万。こちらは3万。だが、数字の中身が違う」


カエサルは冷徹に言い放った。


「飢えた巨象と、満腹の狼。どちらが勝つか、賭けるまでもありませんね」


黒鉄の峰の麓、広大な雪原。ついに、セドリック軍の前衛部隊3万と、カエサル軍の主力部隊1万が対峙した。


「突撃ぃぃッ!敵を蹴散らせ!」


セドリック軍の指揮官が剣を振るう。飢えと寒さで極限状態にある兵士たちは、ヤケクソのような雄叫びを上げて突進した。彼らにとって、目の前の砦は「食料庫」に見えていた。あそこに行けば飯がある。その本能だけで動いていた。


だが、その突撃はあまりにも無秩序だった。


「撃て」


砦のやぐらの上で、カエサルが静かに手を振り下ろした。


ヒュンヒュンヒュンヒュンッ!


空を裂く音と共に、数千本の矢が降り注いだ。それはただの矢ではない。 やじりに「炸裂魔法石」が取り付けられた、高価な魔導矢だ。本来なら高すぎて配備できない兵器だが、インフレで敵の物資を買い叩き、資金力で逆転したカエサル軍には、惜しみなく使う余裕があった。


ドォォォォォン!!


雪原に爆炎の花が咲く。密集していたセドリック軍の歩兵たちが吹き飛ぶ。統制を失った彼らは、パニックに陥り、我先にと逃げ惑った。


「ひるむな!進め!退く者は斬るぞ!」


督戦隊が逃げる味方を斬り捨てるが、崩壊は止まらない。


さらに、カエサルの次なる一手が発動した。戦場の真っ只中に、奇妙なものが撃ち込まれたのだ。それは、矢文だった。何千本もの矢文が、敵陣に降り注ぐ。


そこに書かれていたのは、シンプルな勧告文。


『投降せよ。武器を捨てて来た者には、熱いスープと焼きたてのパン、そして家族に送るための「自由国証券」を約束する。無駄死にするか、未来を取るか。選べ』


その効果は劇的だった。督戦隊の剣よりも、パンの方が強かった。


「もう嫌だ!俺は降りるぞ!」「おい待て!俺も連れて行け!」


一人、また一人。武器を捨て、両手を上げて砦の方へ走り出す兵士が現れた。それは雪崩のように伝播し、前衛部隊の3割が、戦わずして投降するという前代未聞の事態となった。


「おのれぇぇッ!貴様ら、誇りはないのかッ!」


後方で戦況を見ていたゲオルグ将軍は、拳を震わせた。正面からの力押しは通じない。兵の士気は地に落ちている。このままでは、15万の大軍が雪の中で瓦解する。


「切り札を使うしかないか」


ゲオルグは、懐から黒い通信宝石を取り出した。それは、セドリックから預かっていた、禁断の部隊への命令権。人間の尊厳を捨て、殺戮のみを目的とした「強化兵団」の投入許可だ。


「第7実験小隊、『人狼部隊』を前線へ出せ。敵味方の区別はしなくていい。動くものは全て喰い殺せ」


それは、軍人としての最後の矜持さえも捨てた、悪魔の命令だった。


戦場の空気が変わった。投降しようとしていた兵士たちの背後から、異様な殺気が迫る。獣の咆哮。雪煙を上げて疾走する、人間とは思えない速度の影たち。


「大将!ヤバいのが来るぞ!」


ヴォルグが警告を発する。モニター魔法の映像には、四つん這いで走り、投降兵を背後から食い千切る異形の兵士たちが映っていた。薬物と禁呪で理性を焼かれ、戦闘本能だけを極大化された怪物たち。


カエサルは眉をひそめた。


インフレ(経済)では殺せない敵か。ここからは、計算式ではなく、純粋な暴力の時間ですね」


カエサルは外套を翻し、ヴォルグと、そして抜刀したエレナを見た。


「総員、戦闘配置。雪原を、血で染める準備を」


地平線の彼方から、飢えた獣の群れが、雪崩のように押し寄せてくる。経済戦争は終わり、凄惨な死闘の幕が上がる。

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