研修地下の魔陣
「はーい、みなさんこんにちぇーっす!」
甲高い声が研修室に響き渡った。全員の視線が声の主に集中する。そこには派手なピンク色のスーツに身を包んだ細身の男性が立っていた。
「珍妙成繁でーす!今日の研修講師を務めさせていただきまーす!」
男性は片手にタピオカドリンクを持ち、もう片方の手で華麗なポーズを決めた。間苧谷部長の隣に立つ彼は、まるでアイドルのようなテンションで続ける。
「今日のテーマは『チームワークでダンジョン攻略♪』でーす!」
社員たちの間から小さなざわめきが起こった。僕は隣に座る花子の方を見た。彼女は眉をひそめている。
「なんか変だよね」と僕は小声で言った。
「ええ...」花子は真剣な表情で答えた。「私の勇者センサーが反応してる」
「勇者センサー?」
「異世界の気配を感じ取る能力よ。この部屋、普通じゃない」
改めて周囲を見回すと、確かにこの研修室は普通ではなかった。狭い地下通路のような空間に、無理やり椅子が並べられている。そして壁には...
「あれ、なに?」
壁一面に刻まれた複雑な文様が、かすかに青白い光を放っていた。まるで魔法陣のような模様が、部屋全体を取り囲んでいる。
「みなさーん、今から特別演習を始めまーす!」
珍妙講師がタピオカを一口すすりながら言った。
「まずは自己紹介ゲームからいきましょー!自分の名前と、秘密を一つ教えてくださーい!」
「秘密?」誰かが不安そうに呟いた。
「そうでーす!例えば私なら『珍妙成繁、実は地下アイドルやってまーす』みたいな感じでー」
彼はウインクしながら言った。その瞬間、壁の魔法陣が一瞬強く光った。
「おい、透」後ろから緑朗の声が聞こえた。「この部屋、異世界の匂いがする」
振り返ると、緑朗が鼻をピクピクさせていた。元ゴブリンの彼は嗅覚が鋭い。
「本当?」
「ああ。ゴブリン時代に嗅いだことのある匂いだ。魔力の香りがする」
部屋の中の空気が急に重くなったように感じた。僕の右手がまたぷるぷると震え始める。
「はーい、じゃあ前から順番にどうぞー!」
珍妙講師の声に、最前列の社員が恐る恐る立ち上がった。
「田中です。秘密は...特にないです」
「つまんなーい!もっとビビッドに行きましょー!」
講師が手を叩くと、壁の魔法陣が反応してチカチカと光った。
「次の方どうぞー!」
「佐藤です。秘密は...実は猫アレルギーなのに猫カフェでバイトしてます」
「おー!それはいいですねー!」
講師が手を叩くたびに、魔法陣の光が強くなっていく。花子が僕の袖を引っ張った。
「透くん、あの魔法陣...封印の印だわ」
「え?封印?」
「何かを封じ込めるための魔法陣よ。異世界では、強大な力を持つ存在を閉じ込めるのに使われるの」
僕はギクリとした。壁の模様をよく見ると、確かに見覚えがある。スライムだった頃、ダンジョンの最下層で見た模様に似ている。
「はーい、次はあなたー!」
講師が僕を指さした。慌てて立ち上がる。
「粘田透です。秘密は...」
一瞬迷った。スライムだったことは言えない。
「特技は床や壁に長時間くっつけることです」
言った瞬間、魔法陣が急に明るく光り、部屋全体が青白い光に包まれた。
「おおっ!素晴らしいですねー!」
講師は妙に興奮した様子で手を叩いた。その瞬間、床が微かに震えた。
「どうなってるの...」
隣で花子が立ち上がった。
「すみません、講師さん。この部屋の壁にある模様は何ですか?」
珍妙講師はニヤリと笑った。その表情が一瞬、別の顔に見えた気がした。
「ただの装飾ですよー。雰囲気作りですー」
明らかに嘘だった。講師の声が少し変わった。低く、どこか不気味な響きを帯びている。
「はい次!緑のコンビニ服のあなた!」
緑朗が立ち上がった。
「小振田緑朗です。秘密は...」
彼は一瞬躊躇した後、「実はコンビニのおにぎりを握る時、素手です」と言った。
「えっ!」と数人が驚いた声を上げる。
「冗談です」緑朗は笑った。「衛生管理はバッチリですよ」
講師は少し残念そうな顔をした。
「つまらないですねー。もっと刺激的な秘密を期待してましたー」
講師がタピオカをストローで吸い上げる。するとストローから異様な音が響いた。「ズズズドゥルルルル...」
その音が合図だったかのように、魔法陣が一斉に輝き始めた。部屋の照明が消え、魔法陣だけが青白く光る。
「みなさーん、実は今日の研修は特別なんですよー」
講師の声が変わった。もはや甲高い声ではなく、低く響く不気味な声になっている。
「この魔法陣は、かつて異世界で使われていた『召喚の陣』の再現なんですー」
「召喚?」花子が身構えた。彼女の目が勇者の輝きを取り戻している。
「そう、召喚!この中に異世界からの転生者がいるはずなんですー」
講師の目が僕に向けられた気がした。右手が制御不能にぷるぷると震える。
「特に...スライムだった者がいるはずですー」
部屋の空気が凍りついた。どうしてバレた?僕は震える手をポケットに隠した。
「さあ、自分から名乗り出る方はいますかー?」
誰も反応しない。緊張が高まる中、突然ドアが勢いよく開いた。
「何をしている!」
間苧谷部長の怒声が響く。彼は講師に向かって歩み寄った。
「研修の内容はこんなはずではなかったぞ!」
「あら、間苧谷さん。お約束と違いますねー」
講師は部長を見据えた。二人の間に火花が散るような緊張感が走る。
「みなさーん、実は間苧谷部長は元魔王なんですよー!」
講師の宣言に、社員たちから驚きの声が上がった。
「黙れ!」部長の声が雷のように響いた。その瞬間、彼の目が赤く光った。「お前は契約違反だ!」
「契約?魔王様、人間界でのルールに従いすぎじゃないですかー?」
講師が不敵に笑う。その姿がゆらめき、徐々に変化し始めた。ピンクのスーツが黒い霧のようなものに変わっていく。
「みなさん、落ち着いてください!」
花子が前に出た。彼女の周りに微かな光が宿り始める。勇者の力が目覚めつつあるようだ。
「透くん、この部屋から出ましょう」
彼女が僕の手を引っ張った。しかし、ドアに向かった瞬間、魔法陣が強烈に光り、出口を塞いだ。
「誰も出られませんよー」
講師の姿は完全に変わっていた。黒い霧に包まれた細長い影のような存在に。
「間苧谷様、約束通り、スライムの転生者を差し出してくださいー」
部長は歯ぎしりした。
「お前との約束など守る義理はない!」
「そうですかー。では...」
黒い霧が部屋中に広がり始めた。社員たちが悲鳴を上げる。
「みんな、床に伏せて!」
花子の叫び声。彼女の手から光の剣が現れた。勇者の力が完全に目覚めたのだ。
「もう、隠す必要はないわね」
彼女は黒い霧に向かって剣を構えた。その時、緑朗も前に出た。
「俺も手伝うぜ」
彼の手には、コンビニのおにぎりが握られていた。しかし、そのおにぎりが緑色に光り、次第に短剣に変わっていく。
「ゴブリンの知恵は、ここでも役立つさ」
混乱の中、僕は右手を見つめた。もはや隠しようがない。手全体がスライムのように透明な青色に変化しつつあった。
「粘田くん...」
隣の社員が驚いた顔で僕を見ている。
その時、間苧谷部長が前に出た。
「珍妙!お前の狙いはなんだ!」
「魔王様、人間界で平和に暮らすなんて、退屈じゃないですかー?」
黒い霧の中から声が響く。
「かつての部下として、あなたを目覚めさせに来たんですよー」
部長の表情が変わった。何かを決意したような、厳しい表情に。
「私はもう魔王ではない。ぷるぷる商事の部長だ!」
彼の宣言と同時に、部屋の空気が変わった。魔法陣の光が弱まり始める。
「みんな、力を合わせるんだ!」
部長の号令に、社員たちが立ち上がり始めた。花子の剣、緑朗の短剣、そして...
僕は決意した。もう隠す必要はない。右手をかざすと、スライムの青い粘液が手から流れ出し、床に広がり始めた。
「僕は...元スライムです!」
その瞬間、魔法陣が激しく反応し、黒い霧と交錯し始めた。
「面白くなってきましたねー」
講師の声が響く中、研修室は異世界と現実の境界が溶け合う不思議な空間へと変貌していった。