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混沌の契約

会議室の中は、針が落ちるほどの静寂に包まれていた。契約書が広げられたテーブルを囲む私たち四人と闇井義宗。空気が張り詰め、まるで透明な糸が張り巡らされているようだった。


「では、契約の最終確認をさせていただきます」


闇井義宗の声が静寂を破った。彼の指先が契約書の上をなぞる。黒いスーツに身を包んだその姿は、まるで影そのものだ。


私、粘田透は椅子に座ったまま、少しずつ床に溶け出していた。緊張すると昔のスライム習性が出てしまう。気づくと足首までが床とひとつになっていた。


「粘田さん、大丈夫?」勇田花子が小声で囁く。


「あ、はい…ちょっと緊張で…」


間苧谷部長は腕を組み、じっと闇井義宗を見つめている。その目には元魔王の威厳が宿っていた。


「第7条の『エネルギー提供』については修正通りでよろしいでしょうか」闇井義宗が尋ねる。


突然、間苧谷部長の机が大きな音を立てた。部長が拳で叩いたのだ。


「もういい!本当の目的を話せ!」


闇井義宗は一瞬だけ表情を引き締めたが、すぐに取り繕った。


「すでにお話しした通り、純粋なビジネスでして—」


「嘘だ!」間苧谷部長の声が会議室に響き渡る。「お前の本当の目的は何だ?」


闇井義宗の口元がゆっくりと歪んだ。それまでの紳士的な表情が一変し、不気味な笑みに変わる。彼の目が赤く光り始めた。


「さすが元魔王様…鋭いですね」


その声は先ほどまでの声とは違い、どこか反響するような不気味さを帯びていた。


「私の目的は…」


闇井義宗はゆっくりと立ち上がり、両手を広げた。


「元魔王様を再び闇の玉座へお導きすること!」


会議室の空気が一気に凍りついた。


「なっ…」間苧谷部長が言葉を失う。


「魔王間苧谷様、あなたは人間界での生活に埋もれてしまった。本来の力と威厳を取り戻し、再び闇の世界を統べる時が来たのです!」


闇井義宗の背後から黒い霧のようなものが立ち上り始めた。会議室の照明が薄暗くなる。


私は恐怖で完全に床に溶け始めていた。膝から下が完全にスライム状態になり、床にぺったりと張り付いている。


「や、やめてください!」思わず叫んだ。


闇井義宗が私を見下ろす。「元スライムが何を言うか。お前は魔王様の配下として仕えるべきだ」


「ちょっと!粘田さんに何言ってるの!」花子が立ち上がった。


「元勇者も黙っていろ。お前たちは皆、魔王様の配下として新たな闇の世界で生きるのだ」


闇井義宗の手から黒い炎のようなものが立ち上る。契約書が黒く変色し始めた。


「この契約書に魔王様が署名すれば、すべてが始まる。人間界と魔界の境界が溶け、新たな闇の時代が訪れるのだ!」


恐怖で体が震える。床に溶けた私の下半身からは、思いもよらぬことが起きていた。スライム状になった部分から、細い触手のようなものが伸び始めたのだ。


「な、なに…これ…」


私の混乱をよそに、触手は床を這い、テーブルの脚を伝って上へと伸びていく。


「粘田さん!」花子が驚きの声を上げた。


闇井義宗は契約書を間苧谷部長の前に押し出す。「さあ、魔王様。あなたの運命を受け入れてください」


部長は動揺を隠せない様子で、契約書を見つめている。


「粘田さん、今よ!」花子が突然叫んだ。


「え?」


「あなたの触手!契約書を取って!」


花子の言葉に我に返り、自分の触手が契約書のすぐ近くまで伸びていることに気づく。意識を集中すると、触手がさらに伸び、契約書に向かって動き出した。


「なっ…何をする!」闇井義宗が気づいて手を伸ばす。


その瞬間、私の触手が契約書をつかみ、グシャリと握りつぶした。


「やったー!」花子が喜びの声を上げる。


だが喜びもつかの間。契約書が黒い光を放ち、会議室全体が歪み始めた。壁が溶け、床が波打ち、天井が渦を巻く。まるで現実と異界が交錯するかのような光景だ。


「何が起きてる!?」私は叫んだが、声が遠くに吸い込まれていくような感覚。


間苧谷部長が立ち上がる。「契約書に封印された魔力が解放された!空間が歪んでいる!」


闇井義宗は狂ったように笑い始めた。「遅い!契約書が破壊されても、すでに儀式は始まっているのだ!」


会議室は完全に異界の空間へと変貌していた。床からは黒い炎が立ち上り、壁には得体の知れない文字が浮かび上がる。天井は星空のように輝く無数の赤い光で埋め尽くされていた。


「どうしよう…」完全に混乱する私。


その時、ドアが勢いよく開いた。


「お弁当の配達でーす!」


小振田緑朗がコンビニのユニフォーム姿で現れた。彼は状況を一瞬で把握したようだ。


「おや、異界空間に変わってますね。本日のスペシャルは『次元の歪み』ですか?」


「小振田さん!」花子が喜びの声を上げる。


小振田は手に持っていた弁当袋からスプレー缶のようなものを取り出した。「これは元ゴブリン族秘伝の『異界封印スプレー』です!」


「何だと!?」闇井義宗が驚きの声を上げる。


小振田はスプレーを空中に向かって噴射した。緑色の霧が広がり、異界の空間が少しずつ元に戻り始める。


「くっ…ここまでか」闇井義宗は歯ぎしりする。「だが、これで終わりではない。満月の夜、再び来よう!」


彼の姿が黒い霧に包まれ、消えていった。


会議室は徐々に元の姿を取り戻していく。床に溶けていた私の体も元に戻り始めた。触手も引っ込んでいく。


「み、みんな…大丈夫?」私は震える声で尋ねた。


「なんとかね」花子が頷く。


間苧谷部長は椅子に深く腰掛け、頭を抱えていた。「まさか、私を魔王に戻そうとするとは…」


小振田が部長に近づき、手を差し伸べる。「部長、大丈夫ですか?」


「ああ…」部長はゆっくりと顔を上げた。「だが、これで終わりではない。闇井は必ず戻ってくる」


「満月の夜…」花子が窓の外を見る。「あと10日ですね」


私は自分の手を見つめた。さっきまで触手になっていた部分だ。「僕、あんなことができるなんて…」


「元スライムの能力が目覚めたんだね」花子が微笑む。「これは強みになるよ」


間苧谷部長が立ち上がり、私たちを見渡した。「闇井義宗、そして闇井グループは、異界の勢力と繋がっている。彼らの目的は私を利用して、人間界と魔界の境界を壊すことだ」


「そんな…」


「だが、我々にも対抗する力がある」部長の目が赤く光る。「元魔王、元勇者、元ゴブリン、そして…元スライム」


小振田が拳を上げる。「私たちで闇井の野望を阻止しましょう!」


窓の外では、雲間から月が顔を覗かせていた。次の満月までの時間は刻々と迫っている。私たちの戦いは、まだ始まったばかりだった。

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