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封印の決戦

研修室の中央に広がる魔法陣が不気味に脈動し、ひび割れた光が床から天井へと走る。勇者のブレスレットを持つ花子の力と小振田の接客オーラが予期せぬ干渉を起こし、空間そのものが歪み始めていた。


「これ、ヤバくない?」


私の言葉が震える空気の中に溶けていく。天井から小さな破片が降り注ぎ、社員たちは悲鳴を上げながら机の下に隠れ始めた。


「粘田くん!何か対策を!」花子が叫ぶ。彼女のブレスレットからは制御不能な光が溢れ、彼女自身も苦しそうに腕を押さえている。


「私に何ができるっていうんだよ!」


焦りで声が裏返る。でも、この状況、何とかしなきゃ。


「粘田!」間苧谷部長が私を睨みつけた。「お前はスライムだったんだろう?何か特技はないのか?」


「特技って言われても…」


そう言いながら、私は無意識に床にぺたりと張り付いていた。ああ、またやってしまった。スライム時代の癖が抜けない。


「あ!」キャラメリアが突然指を鳴らした。「粘田さん、スライムの吸収能力!それで魔法陣のエネルギーを…」


「無理です!」思わず大声で遮った。「そんな強力なエネルギー、吸ったら私、爆発しちゃいますよ!」


「爆発するくらいなら、会社ごと消滅するよりマシだ!」部長が容赦なく言い放った。


「それ、パワハラですよ!」


しかし、魔法陣のひび割れはどんどん広がり、研修室の壁が揺れ始めた。小振田はすでに他の社員たちを安全に誘導している。


「いらっしゃいませー!非常口はこちらでーす!」


彼の声には不思議な安心感があった。


「粘田くん」花子が苦しそうに私の袖を引っ張る。「私のブレスレットが暴走してる。このままじゃ…」


彼女の言葉が途切れた瞬間、魔法陣から強烈な光柱が立ち上った。


「くっ…」


反射的に私は体をスライム化し、床に広がった。そして、ある閃きが脳裏をよぎった。


「待って、もしかしたら…」


私は勢いよく立ち上がり、魔法陣に向かって走り出した。


「粘田、何をする気だ!」部長の声が背後で響く。


「自分でも分かりません!」


魔法陣の中央に飛び込んだ瞬間、体中に激痛が走った。まるで全身の細胞が引き裂かれるような感覚。


「うわああああ!」


私は意識を集中させ、体を限界まで広げた。スライムだった頃の感覚を思い出し、自分の体を魔法陣全体に広げていく。


「粘田くん!」花子の悲鳴が聞こえる。


私の体は薄く、薄く広がり、魔法陣のひび割れを埋めていった。痛みで意識が遠のきそうになるが、必死に踏みとどまる。


「こ、これが…スライムの…本領発揮…」


言葉を絞り出すのも困難だった。体が魔法陣と一体化していく感覚。エネルギーが私の中を駆け巡り、どこか懐かしい感覚が蘇る。


「粘田さん、すごい!」キャラメリアの声が遠くから聞こえる。「魔法陣が安定してきました!」


私の体は魔法陣全体を覆い、その暴走するエネルギーを少しずつ吸収していった。痛みは続いているが、何か不思議な充実感も湧いてくる。


「頑張れ、粘田!」


意外にも部長が応援している。彼の声には、魔王時代の威厳が戻っていた。


「滅びよ、魔法陣!」


部長の掛け声に力をもらい、最後の力を振り絞る。


「うおおおおお!」


一瞬、世界が白く染まった。


気がつくと、私は床に横たわっていた。周りには心配そうな顔の同僚たち。


「粘田くん、大丈夫?」花子が私の顔を覗き込んでいる。


「あ、はい…なんとか」


ゆっくりと起き上がると、魔法陣は完全に消えていた。代わりに床には私の体の形に沿った薄い膜が残っている。


「見事だ、粘田」部長が私の肩を叩いた。「スライムの特性を見事に活かしたな」


「ありがとうございます…」


弱々しく答えると、周りから拍手が沸き起こった。


「粘田さん、すごかったです!」小振田が駆け寄ってきた。「まるでコンビニの袋詰めの神業のようでした!」


「それ、褒め言葉ですか?」


笑いが起こり、緊張が和らいだ。キャラメリアが前に出て、静かに話し始めた。


「皆さん、今回の事態は想定外でしたが、見事に乗り切りました。特に粘田さんの機転は素晴らしかった」


「いやあ…」


照れくさくて床を見つめていると、自分の足元に小さなスライムの残滓が残っていることに気づいた。


「あれ?」


それは小さく震え、やがて床に溶け込むように消えた。


「粘田さん」キャラメリアが真剣な表情で私を見た。「あなたの中のスライムの力が、今回の封印を可能にしたのでしょう。素晴らしい適応力です」


「そうですか…」


実は私自身、何が起きたのかよく分かっていなかった。ただ、体が勝手に動いた感じだった。


「さて、今日の研修はこれで終了だ」部長が宣言した。「明日からの業務に備えろ!」


社員たちはどっと疲れが出たように肩を落とし、三々五々、研修室を後にしていった。


「粘田くん」花子が私の隣に並んで歩きながら言った。「ありがとう。あなたがいなかったら、大変なことになってたよ」


「いや、俺なんて…」


「粘田」


振り返ると、部長が立っていた。周りの社員たちはすでにいない。


「はい?」


「よく頑張った」部長は珍しく柔らかい表情を見せた。「だが、これで終わりではない」


「どういう意味ですか?」


「今日の異変は、始まりに過ぎない」部長の目が赤く光った。「魔界と人間界の境界が薄れている。これからもっと大きな波が来るだろう」


「そんな…」


「だが心配するな」部長が笑った。「我々には、粘田という秘密兵器がいる」


「え?私ですか?」


「ああ。スライムの適応力を持つお前は、両世界の架け橋になれる」


部長はそれだけ言うと、背を向けて歩き去った。


「明日も定時出社だぞ!遅刻するな!」


いつもの厳しい口調に戻っていた。


研修室に一人残された私は、自分の手のひらを見つめた。一瞬、透明なゼリー状に変化したように見えたが、すぐに元に戻る。


「架け橋か…」


窓の外を見ると、夕暮れの東京の風景。しかし、空の一角だけ、微かに色が違って見える。


そこには、二つの月が浮かぶ異世界の空が透けて見えていた。


「明日も会社か…」


ため息をつきながら、私は研修室を後にした。スライムだった俺が人間に転生し、今度は異世界と人間界の架け橋?


人生、いや転生生活、思い通りには行かないものだ。


研修室のドアを閉める時、後ろから小さな声が聞こえた気がした。


「また会おう、ぷる男…」


振り返ったが、そこには誰もいなかった。


ただ、床に小さな水たまりが残っていた。

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