社内クイズの迷宮
会社のエレベーターを降りた瞬間、空気が違った。
「なんか…雰囲気おかしくない?」
私、粘田透は廊下に立ち尽くした。昨日までの普通のオフィスビルが、どこか異質な雰囲気を醸し出している。壁紙の色は同じなのに、何かが違う。
「透くん、感じる?」
背後から勇田花子の声がした。彼女のブレスレットが微かに光っている。
「うん、なんだか…魔力が充満してる」
「魔王部長、また何か仕掛けたわね」
私たちが部署のドアに手をかけた瞬間、それは大きく開き、中から眩い光が溢れ出した。
「うわっ!」
反射的に目を閉じる。再び開けると、そこはもう普段のオフィスではなかった。
「これは…クイズ大会?」
広々とした空間には、部署ごとに色分けされた台が並び、社員たちが困惑した表情で立っていた。天井からは派手な照明が降り注ぎ、壁には巨大なスコアボードが設置されている。
「皆さん、おはようございます!」
高らかな声が響き渡った。振り返ると、間苧谷部長が黒いマントをはためかせて、司会者のような台の上に立っていた。
「本日より三日間、『社内知識力強化週間』を実施する!」
「は?」
「各部署対抗のクイズ大会だ。優勝チームには特別ボーナス、最下位チームには…特別な罰ゲームが用意されている」
部長の目が不気味に赤く光った。
「滅びよ、無知なる者たちよ!」
典型的な部長の乾杯の言葉に、社員たちは半ば呆れ、半ば恐怖していた。
「第一問!」
突然、床から煙が噴き出し、部長の隣に巨大なモニターが現れた。
「営業部の皆さん、こちらへどうぞ」
私たち営業部のメンバーは、青色に光る台へと誘導された。経理部は赤、総務部は緑、開発部は黄色の台だ。
「なんか学生時代の番組みたいね」花子が小声で言った。
「でも、これ明らかに魔力で作られてるよ」私は周囲を見回した。「現実改変の痕跡がある」
「第一問!」部長が再び叫んだ。「我が社の創業年は?」
「え、これ普通のビジネスクイズなの?」
花子が驚いた顔で私を見る。確かに拍子抜けするほど普通の質問だ。
「正解は…1986年!」
各チームが答えを出し、スコアボードに点数が表示された。私たちのチームは正解だった。
「第二問!」
モニターに映し出されたのは、複雑な数式だった。
「この式を解け!制限時間30秒!」
「え、これ微分方程式じゃない?」花子が困惑した声を上げる。
「いや、これ…」私は目を凝らした。「魔法陣の一種だ」
「えっ?」
「数式に見せかけた魔法陣。解くんじゃなくて、魔力を注入すべきだと思う」
私はスライム化した指先をボタンに押し当て、わずかな魔力を流し込んだ。すると、モニターが青く輝き、「正解!」の文字が浮かび上がった。
「なるほど、ただのクイズではないのね」花子が理解した様子で頷いた。
問題は次第に難解になっていく。一見すると普通のビジネスクイズや一般常識問題に見えるが、よく観察すると異世界の知識や魔力の操作が必要なものばかりだった。
「第七問!」
部長が手を振ると、床から奇妙な装置が現れた。それは巨大な迷路のようなもので、中には小さな光の玉が浮かんでいる。
「この装置内の光を、出口まで導け!各チーム代表一名!」
「これ、私行きます!」花子が即座に手を挙げた。「勇者時代に似たような試練がありました」
花子が装置に近づき、手をかざすと、光の玉が反応して動き始めた。しかし、迷路の途中で突然、床が開いた。
「きゃっ!」
花子が落ちそうになったが、私は咄嗟に腕をスライム化して伸ばし、彼女を捕まえた。
「危なかった…」
「ありがとう、透くん」
花子が安堵の表情を見せる。しかし、私の腕は伸びたまま元に戻らなくなっていた。
「あの、ちょっと…」
「どうしたの?」
「腕が…戻らない」
私の腕は完全にスライム状態で、壁にぺたりと張り付いていた。
「あ、またやっちゃった…」
「粘田くん、大丈夫?」小振田が心配そうに駆け寄ってきた。
「うん、ちょっと集中力が…」
私は深呼吸して精神を集中させ、ようやく腕を元の状態に戻すことができた。
「皆さん、楽しんでいますか?」
突然、見知らぬ女性の声が響いた。振り返ると、エレガントなスーツを着た美しい女性が立っていた。
「私はキャラメリア。人事コンサルタントとして本日の研修を監修しております」
彼女が手に持った鐘を鳴らすと、会場全体に不思議な波動が広がった。
「あの人…普通の人間じゃないわ」花子が小声で言った。
「うん、魔力のオーラが強すぎる」私も頷く。
「さて、ここからは本格的な知識バトルです!」キャラメリアが高らかに宣言した。
モニターに映し出されたのは、「魔王特製ドSクイズ」という文字。
「第一問!我が社の経営理念とは?」
簡単な問題に思えたが、答えようとした瞬間、私たちの台が突然傾き始めた。
「わっ!」
バランスを取るのに必死になる。
「制限時間は30秒!答えられなければ、床下の特製スライムプールへダイブしていただきます!」
「スライムプール!?」私は思わず叫んだ。「それって…」
「そう、粘田さんの同族ですよ」キャラメリアがにっこり笑った。
「経営理念は…確か…」花子が必死に思い出そうとする。
「『顧客第一、革新的思考、持続可能な成長』!」小振田が即答した。
台の傾きが止まり、元の位置に戻った。
「正解です!さすがですね」
キャラメリアが拍手する。
「第二問!間苧谷部長の好きな飲み物は?」
「え、そんなの知らないよ…」
私が困惑していると、部長が不敵な笑みを浮かべた。
「知らなくて当然だ。これは異世界での私の好物だからな!」
「異世界での…」
花子と目を合わせる。彼女も困惑している。
「制限時間、残り10秒!」
「えっと…魔王だから…血?」小振田が恐る恐る言った。
「違う!」
「ワイン?」
「違う!」
「あ!」私はふと思いついた。「スライムの体液!」
「正解!」
部長が満足げに頷いた。
「魔王時代、私はスライムの体液を集めて研究していたのだ。その清涼感と栄養価の高さは格別だった」
「え…私の体液が?」私は思わず体を縮こませた。
クイズは続き、次第に難易度が上がっていく。各チームの得点が拮抗し、社員たちの間にも競争心が芽生え始めた。
「最終問題!」
キャラメリアが鐘を鳴らすと、会場の照明が一斉に消え、スポットライトだけが残った。
「この問題の正解者には、特別な権利が与えられます」
部長が前に進み出た。
「問題です。『現代社会と異世界の共存において、最も重要な要素とは何か?』」
沈黙が会場を支配した。難解な哲学的問いに、誰も即答できない。
「これ、正解あるの?」花子が首をかしげた。
私は考えた。スライムとして生きた日々、そして人間として生きる現在。二つの世界の狭間で感じてきたこと。
おそるおそる手を挙げた。
「はい、粘田さん」
「『相互理解と適応力』だと思います」
部長とキャラメリアが顔を見合わせた。
「理由は?」部長が尋ねた。
「異世界の存在と現代社会は、互いを理解し、適応していくことでしか共存できないと思います。私たちはスライムの性質を持ちながらも人間として生きています。それは適応の結果です」
長い沈黙の後、部長がゆっくりと拍手し始めた。
「正解だ」
会場に歓声が上がった。
「本日のクイズ大会はここまで!明日も続けるぞ!」
部長が宣言し、会場の魔法仕掛けが徐々に消えていく。普通のオフィスに戻りつつある中、キャラメリアが私に近づいてきた。
「素晴らしい答えでした、粘田さん」
彼女の目が一瞬、虹色に輝いた。
「あなたのような存在が、これからの時代には必要なのです」
彼女はそう言うと、煙の中に消えてしまった。
「あの人、一体何者…?」
花子が不思議そうに尋ねる。
「わからないけど…」私は首を振った。「何か大きな計画があるみたいだね」
オフィスに日常が戻りつつある中、私たちは新たな謎に直面していた。異世界と現代の境界は、思った以上に曖昧になりつつあるようだ。
そして明日も、魔王部長の奇妙なクイズ大会は続く…。