システム支配計画
間苧谷部長が会議室から威風堂々と現れた。その表情には、いつもの魔王の風格に加えて、何か企みを秘めた怪しさが漂っている。
「諸君、我が社の次なる戦略を発表する!」
部長の声が会議室に響き渡る。スクリーンには「人間界支配計画 Phase 1: システム支配」と大きく表示されている。私は思わず椅子から滑り落ちそうになった。
「人間界を支配するには、まずシステム支配からだ!」
部長は拳を天井に向かって突き上げる。その瞬間、蛍光灯が一瞬ちらついた。
「先日の氷結の王事件で気づいたのだ。現代社会の真の力はITシステムにある。我々はこれを利用して、密かに世界征服を...」
突然、社内の非常ベルが鳴り響いた。
「なんだ?我が演説の最中に」
部長が眉をひそめる中、総務課長が慌てて駆け込んできた。
「部長!システム障害が発生しています!全社のパソコンが突然再起動し、画面に『魔力検知:危険レベル』と表示されています!」
「何!?」
部長の顔が青ざめる。
「システム部門の緊急メンテナンス要請を出しました。羽羽月システムの技術者が今向かっているそうです」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ドアが開き、白衣を着た女性が現れた。
「羽羽月システムの月島です。緊急対応に参りました」
彼女はクールな表情で会議室に入ってきた。髪を一つに結い、眼鏡の奥の瞳は鋭い。
「状況を教えてください」
部長が事態を説明する間、私は自分の席に戻ろうとしたが、またしても床に張り付いてしまった。スライムの習性は本当に厄介だ。
「粘田さん、また床にくっついてますよ」
勇田花子が小声で教えてくれる。彼女は元勇者だけあって、こういう非常事態でも冷静だ。
「すみません...緊張すると...」
ようやく体を引き剥がし、自分のデスクに向かう。パソコンの画面には確かに「魔力検知:危険レベル」の文字。さらに、「異世界接続:確立中」というポップアップも表示されている。
「これは...」
月島技術者がサーバールームから戻ってきた。彼女の表情は更に険しくなっている。
「診断結果が出ました」
全員の視線が彼女に集中する。
「これは単なるシステム障害ではありません。異世界魔法の暴走です」
会議室がざわついた。
「具体的には?」部長が問いかける。
「貴社のシステムに魔力が流入し、データベースが異世界と同期しようとしています。しかも、先日の氷結の王事件とは異なり、今回は意図的なものです」
「意図的だと?」
「はい。誰かが貴社のシステムを利用して、異世界と現実世界を繋ごうとしています」
その瞬間、私のパソコンから青い光が漏れ始めた。他の社員のパソコンも同様だ。
「全員、パソコンから離れてください!」月島が叫ぶ。
しかし遅かった。各デスクのパソコンから青い霧のようなものが立ち昇り、オフィス内に広がっていく。
「これは...魔力の具現化!?」花子が驚きの声を上げる。
霧の中から、小さな生き物のシルエットが見え始めた。スライムのような、ゴブリンのような...
「我が社が乗っ取られる!」部長が叫ぶ。「全員、非常事態対応プロトコルを実行せよ!」
混乱の中、私は自分の体が変化していくのを感じた。指先が透明になり、スライム化が始まっている。先日の氷結の王の力も同時に目覚め、指から冷気が漏れ出した。
「粘田さん!」花子が駆け寄ってくる。「あなたの力が必要です!」
「僕に何ができるんですか...」
「あなたはスライムの特性と氷結の王の力を持っています。魔力の流れを感知できるはず!」
そう言われて、私は意識を集中した。スライム化した手をパソコンに近づけると、魔力の流れが感じられる。確かに異常だ。しかし...
「これは...外部からの侵入ではない」
「何?」
「内部から発信されている魔力です。しかも...」
その時、オフィスのドアが勢いよく開いた。
「すみません!お邪魔します!」
コンビニ店員の制服を着た小振田緑朗が飛び込んできた。
「小振田さん?今日は休みじゃ...」
「重大な情報を持ってきました!」彼は息を切らしている。「私のコンビニに来たお客さんから聞いたんですが、この辺りで『システム支配計画』という怪しい話が広まっているそうです」
全員の視線が部長に向けられた。
「な、何を見ている!私は関係ない!」部長が慌てて否定する。
小振田は続ける。「そのお客さん、黒いマントを着て、『滅びよ人間』と言いながらおにぎりを買っていったんです」
「...」部長の顔が引きつる。
「部長...」花子が疑わしげに見つめる。「もしかして、この魔力の暴走...」
「違う!私は...」
その時、月島技術者が割り込んだ。「魔力の発生源を特定しました。間苧谷部長のパソコンからです」
「えっ!」
全員の視線が再び部長に集中する。
「仕方ない」部長はため息をついた。「認めよう。私だ」
「部長、いったい何を...」
「世界征服の第一歩としてシステム支配を計画した。先日の氷結の王事件で気づいたのだ。現代社会はシステムに依存している。それを支配すれば...」
「でも、魔力の暴走は計画外だったんですね?」私が尋ねる。
「ああ。単に社内システムを魔力で強化しようとしたら、予想外の反応が起きた」
「それが異世界との接続を引き起こしたんですね」月島が分析する。
「しかし、この状況を放置すれば...」花子の表情が暗くなる。
「異世界の存在が大量に現実世界に流れ込む可能性があります」月島が冷静に説明する。「最悪の場合、現実世界が異世界化するでしょう」
「それは...」
私はふと自分の手を見た。スライム化と氷の力。異世界と現実の融合。
「僕にできることがあるかもしれません」
全員の視線が私に向けられた。
「スライムの特性を使って、魔力の流れを遮断できるかも」
「できるのか?」部長が食いつく。
「やってみます」
私はサーバールームへ向かった。完全にスライム化した体で、メインサーバーに接触する。氷結の王の力も使い、魔力の流れを凍結させていく。
「魔力の流れが止まっています!」月島の声が聞こえる。
しかし、何かがおかしい。魔力が私の体に吸収されていく。情報の断片が脳裏に流れ込んでくる。
「これは...部長の記憶?」
魔王時代の記憶、人間界に来てからの孤独、そして...会社を通じて世界を支配したいという野望。
「粘田さん!」花子の声が遠くから聞こえる。「大丈夫ですか?」
意識が遠のきそうになる中、私は必死に踏みとどまった。
「部長...あなたの気持ち、わかります」
「何?」
「異世界から来て、この世界に適応するのは難しい。でも...」
私は魔力を完全に吸収し、人間の姿に戻りながら言った。
「世界征服よりも、この会社で一緒に働く方が...楽しいと思いませんか?」
部長は沈黙した後、小さく笑った。
「...バカな部下だ。だがそれも悪くない」
システムは正常に戻り、魔力の暴走は収まった。月島技術者は対策ソフトをインストールし、今後同様の事態が起きないよう設定してくれた。
「ただし」彼女は帰り際に言った。「異世界の存在が増えている御社は要注意です。定期的なメンテナンスをお勧めします」
オフィスに平穏が戻った午後、部長が私のデスクにやってきた。
「粘田」
「はい」
「今回の件は内密にしておけ」
「はい...」
「それと...」部長は少し照れくさそうに言った。「今度の飲み会の乾杯の音頭は『繁栄せよ我が社!』にしようと思うが、どうだろう」
「...素晴らしいと思います」
部長は満足げに頷き、自分のデスクに戻っていった。
窓の外を見ると、夕日が沈みかけている。今日も一日、異世界転生者たちの会社は何とか乗り切った。
私の指先から最後の冷気が消えていく。明日はどんな一日になるだろう。