表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

45/289

混沌の兆し

社内の監視カメラが増え、部長直属の「安全対策チーム」なる黒スーツ集団が廊下を行き交う中、私は溶けるように机に張り付いていた。スライムの習性は抜けないものだ。


「粘田さん、また机と一体化してますよ」


花子の声に慌てて体を起こす。


「すみません、緊張すると無意識に…」


「今夜のことですか?」


彼女は小声で耳打ちしてきた。そう、今夜は地下駐車場から先の未知の階層を探索する予定だ。


「花子さん、ちょっといいですか」


声をかけたのは黒スーツの一人。彼は無表情で花子のデスクに近づいた。


「はい、なんでしょう?」


「コピー機が紙詰まりを起こしています。対処をお願いします」


「え?またですか?あの機械、私を呼び寄せてるとしか思えないんですけど」


花子は剣を抜くような仕草で立ち上がった。かつての勇者の風格が漂う。


「行ってきます!」


黒スーツと花子が去った後、私はこっそり地下駐車場の図面を広げた。花子が「コピー機必殺技・紙詰まり解消斬り」で偶然出力した機密資料だ。


「地下5階…」


会社の公式図面には存在しない階層。そこに何があるのか、考えるだけでぞくぞくする。


「粘田くん、何見てるの?」


小振田がコンビニの制服姿でそっと現れた。


「小振田さん!どうしてここに?」


「俺、今日休みなんだ。ちょっと様子を見に来た」


彼は周囲を警戒しながら小声で続けた。


「地下のことを調べてるなら、これも見たほうがいい」


差し出されたのは古びた羊皮紙。以前見せてもらった迷宮図の続きのようだ。


「これって…」


「ドノ堕ム・ゲン吉の玉座の先にある部屋の図面だ。コンビニのゴミ箱から出てきた」


「ゴミ箱から?」


「うん。ファミチキの袋に包まれてた。俺、仕事柄ゴミも丁寧にチェックするんだ」


コンビニ店員の鑑である。羊皮紙を広げると、複雑な魔術陣が描かれていた。


「これ、何の魔術陣なんだろう…」


「わからない。でも、ここに文字がある」


小振田が指差した場所には、かすれた古代文字が刻まれていた。


「読めますか?」


「ちょっと待って…」


私は無意識のうちに指を伸ばし、文字の上をなぞった。すると指先が青く光り、文字が浮かび上がる。


「え?なんで…」


「スライムの特性だ。古代文字を解読できるんだよ」


小振田の説明に驚きつつも、私は文字を読み上げた。


「『闇の結界ここに解かれし時、新橋に真の混沌を』…」


その瞬間、会社全体が微かに揺れた。


「なんだ今の?」


「読んじゃダメだったのかも…」


小振田が心配そうに窓の外を見る。空は通常通りだが、どこか違和感がある。


「粘田、小振田」


振り返ると間苧谷部長が立っていた。いつの間に?


「部長!これは…」


「説明は不要だ。私も感じた」


部長の目が赤く灼熱している。魔王モードだ。


「何を感じたんですか?」


「結界の揺らぎだ。お前が古代文字を読んだな?」


「はい…すみません」


「謝るな。むしろ良かった」


意外な言葉に目を丸くする。


「古代文字を読めるのは、お前がただのスライムではない証拠だ。『選ばれし粘液』かもしれん」


「選ばれし…粘液?」


「伝説にある存在だ。異世界と人間界の境界を自在に行き来できる唯一の存在」


小振田が補足する。


「だから俺はお前を追いかけてきたんだ。ぬる山、いや粘田。お前には特別な力がある」


「でも僕は…ただの底辺スライムで…」


「底辺だからこそ、どこにでも潜り込める。それがお前の力だ」


部長の言葉に、なぜか誇らしい気持ちになった。底辺が褒められるなんて!


「部長!大変です!」


花子が息を切らして駆け込んできた。


「コピー機から…魔物が…!」


「なに?」


私たちが驚く間もなく、廊下から悲鳴が聞こえた。急いで見に行くと、コピー機から黒いインクのような液体が溢れ出し、床を這いまわっている。


「インクスライム!」


部長が叫んだ。黒い液体は次第に人型に変形し、コピー用紙を手に持った。


「資…料…コピー…残業…」


インクスライムは呻くように言いながら、オフィスの社員たちに資料を配り始めた。


「残業地獄の使者だ!」


部長が剣を抜くような仕草をした。が、現実には何も持っていない。


「くそ、魔剣がない…」


「部長、これを!」


花子がホチキスを手渡した。部長はそれを受け取り、叫ぶ。


「我が魔剣ホッチキス・デスブリンガーよ!敵を貫け!」


ホチキスを構えた部長だが、インクスライムには効かない。黒い液体はどんどん増殖し、社員たちを飲み込んでいく。


「このままじゃ会社が…」


私は迷った。何ができるだろう?


「粘田、お前ならできる!」


小振田の励ましに、ふと思いついた。


「そうだ、僕はスライムだった…」


私は床に伏せ、意識を集中する。体がじわじわと溶け始め、半透明の粘液に変化した。


「うわ、本当に溶けた…」


花子が驚いた声を上げる。


「部長、あの魔術陣の意味がわかりました」


私は粘液状態で言った。声が出るのも不思議だ。


「闇の結界が解かれると、異世界と人間界の境界が曖昧になる。だから私はスライム化できたし、コピー機からインクスライムが…」


「そういうことか!」


部長が納得した様子で頷く。


「では、お前の力で奴らを吸収しろ!」


「え?吸収?」


「スライム同士なら可能だ。お前は上位種だ!」


上位種と言われて舞い上がる私。底辺スライムから出世したのだ!


意を決して、私はインクスライムに向かって這っていった。接触すると、黒い液体が私の体に吸い込まれていく。


「うっ…こいつ、意識がある…」


インクスライムの断片的な記憶が流れ込んでくる。コピー機の中で長年溜まったストレス、紙詰まりの恨み、トナー切れの絶望…


「残業…資料…コピー…終わらない…」


インクスライムの呻きが私の中で響く。共感してしまう…これは会社の怨念だ!


全てのインクスライムを吸収し終えると、私は人型に戻った。体の中で黒いエネルギーがうごめいている。


「大丈夫か?」


部長が心配そうに尋ねる。


「はい…なんとか」


「粘田さん、すごい!」


花子が駆け寄ってきた。


「でも、これって一時的な対処でしかないですよね」


小振田が冷静に指摘する。


「そうだ。根本的な問題は解決していない」


部長は深刻な表情で続けた。


「『新橋に真の混沌を』…これは始まりに過ぎない。我々の世界は、異世界との境界が崩れつつある」


窓の外を見ると、空がわずかに歪んでいる。遠くの高層ビルが揺らめき、時折幻のように消えては現れる。


「部長、地下の調査は急いだほうがいいかも」


「ああ。今夜予定通り行くぞ」


「えっ、知ってたんですか?」


「当然だ。この会社で私の知らぬことはない」


そう言って部長はニヤリと笑った。魔王の笑みだ。


「では今夜、地下駐車場に集合だ。正体不明の敵が我々を待ち構えている」


「はい!」


私たちは力強く返事をした。スライムだった私、勇者だった花子、ゴブリンだった小振田、そして魔王だった部長。この奇妙な組み合わせで、迫り来る混沌に立ち向かう。


「そういえば部長、なぜホチキスを魔剣と…」


「黙れ粘田!会議室に戻るぞ!」


部長は赤面しながら早足で歩き出した。


今日も会社は異世界の気配に満ちている。窓の外では、空がさらに歪み始めていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ