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暗闇の対決

暗闇に沈んだオフィスフロア。残業の疲れか、それとも元スライムの体質のせいか、私は床にぺたりと座り込んでいた。


「粘田さん、大丈夫ですか?」


勇田花子が心配そうに声をかけてくる。彼女の手には先ほどまで剣に変化していたシャープペンシルが握られていた。


「ああ、なんとか…」


返事をしながら、体を引き剥がすように立ち上がる。床にはうっすらと透明な跡が残った。


「まだ完全に人間の体に慣れてないみたいですね」


花子は優しく微笑む。元勇者の彼女は、今はすっかり普通のOLの姿に戻っていた。しかし、その瞳の奥には何か鋭いものが宿っている。


「みんな帰っちゃいましたね…」


「ええ。煙田さんは『明日に備えて休む』って。小振田さんもコンビニの夜勤があるって」


二人きりになったオフィス。窓の外では、夜空の亀裂がさらに広がっていた。


「あの亀裂、大きくなってますよね…」


花子の言葉に頷きながら、ふと気づいた。


「あれ、部長は?」


「さっきまでここにいたはずですが…」


二人で見回すと、会議室から微かな光が漏れていることに気づいた。


「あそこです」


そっと近づき、ドアの隙間から覗き込む。


会議室の中央に間苧谷部長が立ち、床に描かれた魔法陣が赤く輝いていた。部長の体からは黒い靄のようなものが立ち上り、部屋全体を満たしつつある。


「滅びよ人間…我が力よ、完全なる姿に戻れ…」


部長の呟きは低く、しかし確かな力を宿していた。魔法陣はますます明るく輝き、ビル全体が微かに震え始める。


「これ、マズいんじゃ…」


私の言葉を遮るように、花子が決然とした表情でドアを開けた。


「部長!何をしているんですか!」


突然の声に、間苧谷は振り向いた。その目は赤く光り、額からは小さな角が生えていた。


「邪魔するな、元・勇者よ。今こそ我が真の姿に戻る時…」


「だめです!異世界の力をこの世界に持ち込むなんて!」


花子の手のシャープペンシルが再び光り、長い剣へと変化した。


「ほう、まだその力を使えるのか」


間苧谷は嘲笑うように口角を上げる。


「粘田さん、逃げてください!」


花子の叫びに、私は一瞬迷った。しかし…


「逃げません」


私は一歩前に出た。体が少しずつ透明になり、床にぬるりと広がっていく。


「ぷる男…いや、粘田くん。お前に何ができる?」


間苧谷の嘲笑に、私は答えなかった。代わりに、近くのホワイトボードに手を伸ばす。


「これです!」


掴んだのは、明日のプレゼン用資料だった。


「資料…だと?」


「これには部長の弱点が全て書かれています!」


完全なハッタリだが、間苧谷の顔が一瞬引きつった。


「何…だと?」


「そうですよ!」花子が即座に私の嘘に乗っかる。「これは『魔王の弱点100選』という資料です!」


間苧谷の周りの黒い靄が揺らめいた。


「馬鹿な…そんなものがあるはずない…」


「例えば、『魔王は締め切り前のエクセル資料に弱い』とか!」


私は適当に言ってみた。すると驚くべきことに、間苧谷が「ぐっ」と膝をつく。


「な、なぜそれを…」


「あとは『魔王は突然の部署異動に弱い』とか!」


花子も続ける。間苧谷の体から立ち上っていた黒い靄が、さらに弱まった。


「や、やめろ…」


「そして最大の弱点は…」


私と花子は顔を見合わせ、声を合わせた。


「『魔王は年度末の決算報告書に致命的な弱点がある』!」


「ぎゃああああ!」


間苧谷が悲鳴を上げる。魔法陣の光が弱まり、床に描かれた線が薄れていく。


「よし、効いてる!」


「もっとビジネス用語を!」


「KPI!PDCA!コストカット!リストラ!」


私たちの叫びに、間苧谷は両耳を塞いで床に転がった。


「や、やめてくれ…そんな言葉を聞くと、魔力が…」


魔法陣はほとんど消えかけていた。私たちは勝利を確信し、さらに追い打ちをかける。


「決裁書類!稟議書!経費精算!」


「ぐああああ!」


間苧谷の体から黒い靄が急速に消えていく。しかし、その瞬間—


「お前たち、何をしている!」


突如、間苧谷の声が変わった。先ほどまでの弱々しさはなく、強い威厳を帯びている。


「部長?」


「愚かな…本気で私を封じようというのか」


間苧谷がゆっくりと立ち上がる。その姿は先ほどとは明らかに違っていた。背が伸び、肩幅が広がり、角は完全に生え揃い、背中からは黒い翼が広がっていた。


「我が名はサタン・マオダ・キョウイチ!異世界最強の魔王なり!」


部長の宣言と共に、会議室全体が黒い靄に包まれる。私と花子は後ずさった。


「どうしよう…」


「逃げましょう!」


二人で会議室を飛び出そうとした瞬間、ドアが勢いよく開いた。


「待ったァァァァ!」


現れたのは、コンビニの制服を着た小振田緑朗だった。


「小振田さん!?」


「俺様の出番だぜ!」


小振田は軽やかに宙を舞い、天井から吊るされた蛍光灯にぶら下がった。その動きは、まるでアクロバットのようだ。


「ゴブリン長、お前も我に逆らうというのか」


間苧谷の怒声に、小振田は不敵に笑う。


「魔王様、いつまでもそんな子供じみた力に頼ってちゃダメっすよ」


「何だと?」


「俺様はな、今やコンビニ店員として『人間界最強の接客力』を手に入れたんだぜ!」


小振田は蛍光灯から飛び降り、間苧谷の前に着地した。


「いらっしゃいませー!」


その声は、まるで魔法のように響き渡る。間苧谷の体が一瞬ひるんだ。


「な、何だこの力は…」


「ポイントカードお持ちですかー?」


さらに小振田は、コンビニで鍛えた笑顔で迫る。間苧谷の黒い靄がさらに弱まる。


「くっ…この力は…」


「温めますかー?」


「や、やめろ…」


「袋はご入用ですかー?」


「ぐぁああああ!」


間苧谷の体から黒い靄が急速に消えていく。魔法陣も完全に消滅した。


「今だ!」


花子が剣を構える。私も体を液状化させ、間苧谷に向かって流れていく。


「三人がかりとは…卑怯な…」


間苧谷の声が弱まる。しかし、その瞬間—


「まだだ!」


間苧谷の体が突然光り輝き、強烈な衝撃波が会議室全体を包んだ。


「きゃあ!」

「うわっ!」

「ぐえっ!」


私たち三人は壁に叩きつけられた。


「愚かな…本気の私を止められると思ったか」


完全な魔王の姿となった間苧谷が、ゆっくりと私たちに近づいてくる。


「さあ、お前たちの魂を吸収し、我が力をさらに高めよう」


間苧谷の手が私たちに伸びる。逃げられない。体が動かない。


その時—


「部長!明日の会議資料、まだできてないんですけど!」


突然、会議室のドアが開き、煙田マドロスが現れた。


「なに?」


間苧谷が振り向いた瞬間、煙田の体から灰色の煙が噴き出し、会議室全体を包み込んだ。


「これで…」


私たちは視界を失った。しかし、その中で確かに感じた。次の戦いへの予感を。


そして、間苧谷の怒りの叫び声が煙の中から響いてきた。


「明日…必ず決着をつけてやる!」

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