プレゼン戦争の幕開け
会議室に集められた社員たちの表情は一様に緊張していた。昨日の異空間移動事件から一夜明け、緊急社内コンペの開催が突如告げられたのだ。
「各位、本日は我が社の命運を左右する重要な日となる」
間苧谷部長の声が響き渡る。彼の額には小さな角がわずかに顔を覗かせていた。
「四大元素企業との戦いに勝つため、今日は各自が企画提案を行う。最優秀案を採用し、明日の反撃作戦に臨む」
私——粘田透は床に身体を半分溶かしたまま、部長の言葉を聞いていた。緊張のあまり知らず知らずのうちにスライム化が進行している。
「まずは私から模範を示そう」
部長がリモコンを手に取ると、会議室の照明が一斉に消え、不気味な赤い光だけが残った。
「これより伝説の秘呪式プレゼンテーションを開始する!」
突如、部長の背後に巨大な魔法陣が浮かび上がった。それは紫の光を放ち、ゆっくりと回転している。
「我が提案は『異世界能力活用型組織再編計画』!」
部長の声は反響し、会議室全体が振動した。スクリーンには奇妙な文字が次々と浮かび上がる。それは現代の日本語でも英語でもなく、明らかに異世界の魔導言語だった。
「この計画により、我々は四大元素企業の結界を打ち破り、社員を救出する!」
魔法陣が加速して回転し始め、部長の周りには黒い霧が立ち込めた。彼の角は完全に現れ、背中からは翼の影が見え隠れする。
「そして彼らの野望を打ち砕き、我が社の栄光を取り戻す!」
最後の言葉と共に、部長は両手を天井に向けて掲げた。すると、会議室の中央に小さな火の玉が現れ、それが爆発して火花を散らした。
「滅びよ、人間どもッ!」
部長の叫びと共に、プレゼンは終了した。照明が戻り、会議室には重い沈黙が流れた。
「え、あの…質問いいですか?」
勇田花子さんが恐る恐る手を挙げた。
「どうぞ」部長は満足げに頷いた。
「具体的にどうやって結界を破るんですか?」
「簡単だ」部長は不敵に笑う。「我々全員の力を結集し、私の魔王の力で増幅する」
「でも、それって…」
「次!」
部長は花子さんの質問を遮り、次の発表者を指名した。
「小振田、お前だ」
コンビニのユニフォームを着たままの小振田が立ち上がった。彼の緑がかった肌は蛍光灯の下で微かに輝いている。
「はい!私の提案は『コンビニ式接客で敵を骨抜きにする作戦』です!」
彼は明るく笑顔で説明を始めた。
「四大元素企業の幹部が来たら、まず『いらっしゃいませ!』と元気よく挨拶。そして『ポイントカードはお持ちですか?』と畳みかける。混乱した隙に『今ならおでん一個買うともう一個無料です!』と告げれば、もう勝ちです!」
会議室は静まり返った。
「…以上です!」
小振田は満面の笑みで締めくくった。
「却下」部長は即答した。
「えぇっ!?でも私のコンビニでは毎日これで売上トップなんですよ!?」
「次!」
部長は再び話を切り、花子さんを指名した。
「勇田、お前だ」
花子さんは緊張した面持ちで立ち上がった。彼女の手には一瞬、聖なる光の剣が形成されかけたが、慌てて消した。
「私の提案は『平和的交渉による解決策』です」
彼女はプロジェクターに図表を映し出した。
「四大元素企業との対話の場を設け、互いの利益になる協力関係を築くことで——」
「却下」部長は再び即答した。
「え?まだ説明終わってないんですけど…」
「勇者らしからぬ弱腰な提案だ。次!」
部長の視線が私に向けられた。床に溶けていた私は思わず体を縮こませた。
「粘田、お前だ」
「え?私ですか?」
私は慌てて人型に戻ろうとしたが、緊張で逆に溶ける速度が加速した。
「立てないなら、そのままでいい。発表しろ」
部長の冷酷な命令に、私は震えながらも小さな声で話し始めた。
「あの…私の提案は…『普通の企業交渉』です…」
「何だと?聞こえん!」
「普通の企業交渉です!」
思わず大声を出してしまった。会議室が静まり返る。
「つまり…魔法や特殊能力を使わず、普通のビジネスの手法で交渉するんです。契約書や法的手段を用いて…」
「馬鹿な」部長が遮った。「奴らは既に異世界の力を使っているのだぞ?」
「だからこそです!」
思いがけず、自分の中から勇気が湧いてきた。私は床から這い上がり始めた。
「彼らが予想しないのは、私たちが普通のビジネスマンとして立ち向かうことです。法律、契約、コンプライアンス——これらは現代社会の"魔法"なんです!」
私の体が徐々に人型に戻っていく。
「私はスライムでした。底辺モンスターです。でも、だからこそわかるんです。強さだけが全てじゃないって」
完全に立ち上がった私は、真っ直ぐに部長を見据えた。
「普通の交渉で、普通の契約を結び、普通に勝ちましょう」
会議室に沈黙が流れた。部長の表情は読めない。
「面白い…」
ついに部長が口を開いた。
「かつて魔王だった私が、人間界のルールに従うというのか…」
その瞬間、突如として会議室の一角が歪み始めた。空間が捻じれ、紫色の光を放つ裂け目が現れる。
「なっ…何だこれは!?」
部長が驚愕の声を上げた。裂け目はみるみる大きくなり、そこから不思議な魔力が渦巻いている。
「結界の残響だ!」花子さんが叫んだ。「昨日の異空間移動の影響が…」
「皆、下がれ!」
部長の指示で全員が壁際に退いた。裂け目からは奇妙な音が聞こえ始めた。それは…歌声?
「♪〜転生したらスライムだった件について〜♪」
「な…何だこの歌は…」
私は思わず呟いた。どこかで聞いたことがあるような…
「これは…」小振田が目を見開いた。「異世界のアニメ主題歌だ!」
裂け目が完全に開き、そこから一人の男性が姿を現した。スーツ姿だが、胸元にはバッジが輝いている。
「四大元素企業、"火炎工業"取締役の火野です」
彼は優雅に一礼した。
「これは驚きました。まさか同じ時間軸で複数の『転スラ』派生世界が存在するとは」
「転…スラ?」
私は困惑したまま繰り返した。
「そう、君たちの世界も我々の世界も、全て『転生したらスライムだった件』という物語から派生した並行世界なのです」
火野の言葉に、会議室が騒然となった。
「馬鹿な…」部長が唸る。「我々は実在する。物語などではない!」
「もちろん、この世界では君たちは実在します」火野は穏やかに説明する。「しかし、全ての始まりは物語。そして我々四大元素企業は、その物語の力を利用して新たな商品を開発しようとしているのです」
「商品?」花子さんが訊ねた。
「そう、『異世界体験VRゲーム』です」
火野はポケットから小さなデバイスを取り出した。それは宝石のように輝いている。
「我々は各派生世界から"物語の力"を集め、究極のゲーム体験を作り出そうとしています。君たちの会社もその一部になるのです」
「断る!」
部長が怒りに震えて立ち上がった。彼の背後に魔王の影が濃くなる。
「我が社員を勝手に異空間に閉じ込めておいて、よくもそんな話ができたものだ!」
「いや、彼らは安全です」火野は微笑んだ。「むしろ、楽しんでいますよ」
彼がデバイスを操作すると、空中に映像が浮かび上がった。そこには会社の同僚たちが映っている。彼らは異世界のような場所で、思い思いの能力を使って遊んでいるようだった。
「見てください。彼らは自分たちの本来の姿を取り戻し、能力を存分に発揮しています」
確かに、皆楽しそうだった。
「だが、彼らを勝手に連れ去ったことに変わりはない」部長は譲らなかった。
「それは交渉の余地があります」火野は紳士的に頷いた。「実は、私が今日来たのは正式な提案をするためです」
彼は内ポケットから書類を取り出した。
「我々と共同事業を行いませんか?異世界体験VRゲームの開発パートナーとして」
その瞬間、私は部長と目が合った。彼の目には複雑な感情が浮かんでいた。
「粘田…お前の言っていた"普通の交渉"か…」
部長はゆっくりと私に近づき、小声で言った。
「だが、これは罠かもしれん。どう思う?」
私は深く考えた。そして、スライム時代の直感が告げていた。
「交渉しましょう。ただし、こちらの条件も飲んでもらいます」
部長は満足げに頷き、火野に向き直った。
「話を聞こう。だが、我が社の条件も聞いてもらう」
火野は微笑んだ。
「もちろんです。それが"普通の交渉"というものでしょう」
会議室の緊張が少し和らいだ。しかし、裂け目はまだ開いたままで、異世界の魔力が渦巻いている。
この交渉の行方は、私たちの運命を大きく左右することになるだろう。
そして私は、かつてのスライム時代の記憶が少しずつ鮮明になっていくのを感じていた。