転生商談の狂騒曲
「年度末最大案件!エレメンタル・コラボ商談の担当に決定した!」
間苧谷部長の声が会議室に響き渡った。全員の視線が一斉に私——粘田透に集中する。
「え?私ですか?」
思わず床に張り付きそうになるのを必死で堪えた。スライム時代の悪癖だ。緊張すると体が溶けそうになる。
「そうだ、粘田」部長は目を細め、不気味な笑みを浮かべた。「電脳寺の件で見せた粘り強さ——いや、粘液的強さを買ってのことだ」
「冗談きついっす…」
「冗談ではない」部長の声が一段と低くなった。「この案件、失敗すれば我が社の年度予算の30%が吹き飛ぶ。つまり——」
部長の額に小さな角が浮かび上がる。
「失敗したら、お前も吹き飛ぶということだ」
会議室の温度が一気に下がった気がした。
「エレメンタル・コラボとは?」小振田がいつもの冷静な声で尋ねる。彼はゴブリン時代の知恵なのか、いつも要点を押さえている。
「四大元素企業との共同プロジェクトだ」部長はプロジェクターを起動した。「火炎工業、水流商事、大地建設、そして風空テクノロジー。これら四社との商談を一度にまとめるんだ」
スライドには各社のロゴが表示される。よく見ると、それぞれのロゴには微妙に異世界の紋様が織り込まれていた。
「もしかして、この四社も…?」
「気づいたか粘田」部長が頷く。「元素の力を操る異世界出身者たちが立ち上げた企業群だ。電脳寺の件もあるし、転生者同士の連携強化も兼ねている」
「なるほど」
私は必死でメモを取る。手が少し粘つくが、今は気にしている場合ではない。
「商談は明後日。準備は今日から始める」部長は厳しい表情で全員を見回した。「粘田、お前はプレゼン資料を作れ。花子、市場調査を頼む。小振田は契約書のチェックだ」
「了解です!」
三人で声を揃えた瞬間、部長の角が完全に姿を現した。
「滅びよ、競合他社!我らがシェアを奪い取るのだ!」
思わず全員が背筋を伸ばした。元魔王の威圧感は伊達じゃない。
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「粘田さん、大丈夫ですか?」
打合せ室で資料作成に取り組んでいると、花子さんが心配そうに声をかけてきた。私はデスクに頬がくっついているのに気づき、慌てて体を起こした。
「あ、すみません。集中しすぎて…」
「無理もないです。この案件、プレッシャーすごいですもんね」
花子さんはコーヒーを差し出してくれた。彼女の手からは、かすかに勇者時代の聖なるオーラが漏れている。
「ありがとうございます」
「私も手伝いますよ!」花子さんは元気よく宣言した。「勇者時代は魔法の書物を読み解くのが得意だったんです!」
「えっと、今回はExcelとPowerPointですけど…」
「それくらい余裕です!」
彼女は自信満々に私のパソコンに向かった。しかし、マウスを握った瞬間、画面が青く点滅し始めた。
「あれ?なんで?」
花子さんが困惑した顔でマウスをクリックすると、さらに画面の乱れが激しくなる。
「花子さん、その…勇者の力が電子機器に干渉してるかも」
「えっ!そんな…」
彼女が手を引っ込めると、不思議とパソコンは正常に戻った。
「すみません…」花子さんは肩を落とした。「じゃあ、コピーだけでも手伝います!」
「あ、それは助かります」
私は資料の原稿を渡した。花子さんは張り切ってコピー機へ向かった。
「よーし!コピー機よ、今日こそ負けないぞ!」
遠くから彼女の気合いの声が聞こえる。そして次の瞬間——
「きゃああああ!」
悲鳴と共に、紙吹雪のような白い破片が打合せ室まで舞ってきた。
「花子さん!?」
慌てて駆けつけると、花子さんはコピー機と格闘していた。彼女の右手には、かすかに光る半透明の剣が形成されつつある。
「この魔物め!降伏しろ!」
「やめてください!それ新品のコピー機です!」
小振田が現れ、花子さんの腕を掴んだ。彼の肌はわずかにゴブリン特有の緑色に変化している。
「でも、この機械が先に仕掛けてきたんです!」
「いいえ、あなたが『神聖なる光よ、我が剣となれ』と唱えながらコピーボタンを押したから、機械が混乱したんですよ」
小振田の冷静な分析に、花子さんは赤面した。
「そ、そうだったかも…」
コピー機から煙が上がり始め、非常ベルが鳴り響いた。
「避難だ!」
小振田の声で全フロアが動き出す。私たちが廊下に飛び出した瞬間、コピー機から青白い光が噴出した。
「これは…魔力反応!?」
花子さんが驚いた声を上げる。光はまるで生き物のように廊下を這い、他の電子機器に飛び移っていく。プリンターが唸りを上げ、シュレッダーが無差別に紙を吸い込み始めた。
「なんてこった…」
私の体から思わず粘液が滴り落ちる。その瞬間、間苧谷部長が現れた。
「何が起きている!?」
「部長!機械が暴走して…」
説明する間もなく、部長の周囲に漆黒のオーラが立ち上った。
「ふざけるな、下僕どもが!」
完全に魔王モードになった部長が手を翳すと、暴走していた機械類が一斉に停止した。しかし同時に、ビルの電気系統も全てダウンした。
「あ…やりすぎました」
部長が我に返り、恥ずかしそうに咳払いをする。真っ暗なフロアに、非常灯だけが赤く点滅していた。
「ど、どうしましょう…」
花子さんが震える声で言う。「明後日の商談の資料が…」
私は深呼吸した。こんな時こそ、スライム時代の柔軟さが必要だ。
「大丈夫です。私のスマホにバックアップがあります」
「さすが粘田!」小振田が驚いた顔で言う。「どうやって?」
「スライムの習性で、大事なものは体内に保存するんです。今回はスマホという形で」
「なんだそりゃ」部長が呆れた声を上げる。「まあいい、とにかく商談は予定通り行う。今日中に資料を再構築するぞ!」
全員で頷いた瞬間、エレベーターホールから奇妙な音が聞こえてきた。
「あれは…?」
ドアが開き、青白い光に包まれた人影が現れた。
「やあ、転生者諸君」
見知らぬ声に全員が固まる。光の中から姿を現したのは、スーツ姿の男性だった。彼の名札には「火炎工業 営業部長 火野 炎」と書かれている。
「明後日の商談、楽しみにしているよ」男は不気味な笑みを浮かべた。「特に、元スライムくん」
私の名前は言っていないはずなのに、なぜ?
「どういうことだ?」間苧谷部長が一歩前に出る。
「簡単なことさ」火野は指先で小さな炎を灯した。「我々四大元素企業は、転生者の力を正しく活用するプロジェクトを進めている。君たちにも協力してもらいたい」
「正しく活用?」
「そう。この世界では、我々の力は制限されている。だが、それを解放する方法がある」
火野の瞳が赤く輝いた。
「明後日の商談で、全てを明らかにしよう。準備はいいかな?」
言い終わると、彼は炎に包まれて消えた。エレベーターだけが空っぽに残される。
「なんだったんだ…?」
私たちは顔を見合わせた。電脳寺の件も解決していないのに、新たな謎が生まれた。
「警戒を強めろ」部長が厳しい表情で言った。「明後日の商談は、ただの商談ではないようだ」
窓の外では、雨が降り始めていた。しかし、その雨粒は妙に青く光っている気がした。
「準備を急ごう」
私は決意を固めた。スライム時代には底辺だったが、今度は違う。守るべきものがある。会社も、仲間も、この世界も。
明後日の商談が、どんな結末を迎えるのか——誰にも分からない。