機械仕掛けの秘密
会社の機器トラブルって本当に困る。特にプリンターだ。紙詰まりだの、インク切れだの…でも今日のトラブルは、そんな生易しいものではなかった。
「粘田さん!コピー機が暴走してます!」
花子さんの悲鳴で、私は昼食後の眠気を一気に吹き飛ばされた。
「え?何が起きたの?」
駆けつけてみると、コピー機から大量の紙が吐き出され、床一面に散乱していた。しかも印刷されているのは、なぜか全て「滅びよ人間」という文字だけ。
「部長の呪いですかね…」小振田がコーヒーをすすりながらつぶやいた。
コピー機の様子を見ると、画面には異様な文字列が流れている。普通のエラーコードではない。まるで魔法の呪文のような…
「これは…魔導言語?」
私はスライム時代に見たことのある文字を思い出していた。迷わず、指先から粘液を出し、コピー機の隙間に流し込む。
「粘田さん、また体を溶かすんですか?」
「いや、今回は腕だけで済むはず」
粘液が機械内部を探索する感覚は奇妙だった。電子回路と金属の冷たさが伝わってくる。そして…
「あった!」
異物を感じた。先日の展示会の件を思い出す。あの時も機械の中に異世界の物質が…
「取れた!」
引き抜いたのは、小さな金属片。表面には電脳寺ドリルの会社のロゴが刻まれている。
「これは…電脳寺さんの会社の部品?」
花子さんが不思議そうに眺めた。「どうしてこんなものが?」
コピー機は正常に戻ったが、胸に残る違和感。一つや二つならまだしも、この一週間で三台目の機械トラブルだ。しかも全て電脳寺関連の部品が混入していた。
「なんか…おかしいよね」
「粘田さん」
振り返ると、間苧谷部長が立っていた。額に角が少し出かかっている。怒っているサインだ。
「会議室に来てくれ。全員だ」
会議室には社内の機械トラブル記録が壁一面に貼られていた。部長は腕を組み、眉間にしわを寄せている。
「最近の機械トラブル、全て電脳寺テクノロジーの部品が関係している」
「偶然では?」小振田が首を傾げた。
「偶然にしては多すぎる」部長の声は低く重かった。「魔王時代の勘だが…これは仕組まれたことだ」
「でも、なぜ電脳寺さんが?」花子さんが疑問を投げかける。
「それを調べるぞ」部長が立ち上がった。「粘田、君の能力が必要だ」
「え?僕が?」
「社内のネットワークサーバーを調査してほしい。君ならできる」
「でも…」
「滅びよ人間!いや、頼む!」
部長の真剣な眼差しに、断る選択肢はなかった。
サーバールームは冷たく静かだった。無数のケーブルとLEDランプの点滅だけが、この空間に生命があることを示している。
「ここのメインサーバーを調べるんだ」
部長の指示に従い、私は深呼吸した。体の一部を粘液化する技術は、最近少しずつ上達してきた。右手から粘液を伸ばし、サーバーラックの隙間に侵入させる。
「うっ…」
内部は予想以上に複雑だった。ケーブルの迷宮、回路基板の森…そして、異質な存在を感じた。
「何か…見つけた」
それは小さな黒い箱。現代技術とは明らかに違う、異世界の魔法技術で作られたデバイスだった。
「これは…データ収集装置?」
粘液を伸ばし、慎重にデバイスを取り外す。引き抜くと、小さなディスプレイが点滅した。
「まずい!自爆装置かも!」
部長が叫んだ。私は反射的に粘液でデバイスを包み込んだ。
「ドーン!」
小さな爆発が粘液の中で起きた。痛みはなかったが、衝撃で粘液が四方に飛び散った。
「粘田さん!」花子さんが駆け寄る。
「大丈夫…」
粘液を元に戻すと、手の中には焼け焦げたデバイスの残骸だけが残っていた。しかし一部のメモリーチップは無事だった。
「これを解析すれば…」
部長が残骸を受け取った。「IT部門に回す。何とか情報を引き出せるはずだ」
数時間後、会議室に再び集合した私たちの前に、IT部門の分析結果が提示された。
「これは…」
画面には世界中の企業名と、その横に「制御率」という数値が並んでいた。私たちの会社も含まれている。制御率は現在38%。
「電脳寺テクノロジーが…企業を乗っ取ろうとしている?」
花子さんの声が震えていた。
「魔法と技術を融合させたデバイスで、会社のシステムを少しずつ支配下に置いているんだ」部長が説明する。「古典的な手法だが効果的だ。魔王時代にもよくやった」
「でも、なぜ?」
「わからん。だが、このままでは我々の会社も完全に制御される」
部長の言葉に、重苦しい沈黙が流れた。
「あの…」小振田が手を挙げた。「電脳寺さんに直接聞いてみては?」
「バカな!敵に正面から…」
「いや、それがいいかも」私は思いついた。「罠と知りながら、あえて踏み込む。そして内部から…」
「なるほど!」部長の目が輝いた。「スパイ作戦か!」
計画は立てられた。電脳寺テクノロジーに商談を申し込み、私が粘液能力で内部のシステムを調査する。花子さんと小振田は交渉役として電脳寺の注意を引きつける。
「作戦開始は明日だ。準備を整えろ」
部長の命令に、全員が頷いた。
翌日、電脳寺テクノロジー本社。
「お待ちしておりました、粘着テクノロジーの皆様」
電脳寺ドリル本人が出迎えてくれた。彼の笑顔は完璧だったが、目は笑っていなかった。
「こちらこそ。御社の最新技術に興味があって」
花子さんが自然な笑顔で応じる。元勇者の演技力は侮れない。
「ぜひご案内しましょう。特に我が社の『神鍛冶OS』の最新版を」
私たちはオフィス内を案内された。最新設備が整った近代的なオフィスだが、どこか異世界の雰囲気も漂っている。壁には魔法陣のような模様が施されていた。
「お手洗いはどちらですか?」
私が尋ねると、電脳寺は廊下の奥を指さした。「あちらです」
「すぐ戻ります」
トイレに向かうふりをして、私は別の廊下に曲がった。サーバールームを探す。監視カメラに映らないよう、天井に粘液を伸ばして移動する。
「ここか…」
重厚なドアの前に立つ。電子ロックがかかっているが、粘液なら隙間から…
「誰だ!」
背後から声がした。振り返ると、警備員が立っていた。
「あ、トイレを探してて…」
「ここは立入禁止区域だ。身分証を見せろ」
窮地に立たされた時、突然館内放送が鳴り響いた。
「全スタッフに告ぐ!カフェテリアにて無料ドーナツ配布中!早い者勝ちです!」
警備員の顔が輝いた。「ドーナツ!?」
彼は一瞬迷った後、「すぐに戻るから動くな!」と言い残し、走り去った。
「…小振田の仕業か」
彼の異世界流の交渉術に感謝しつつ、急いでドアに向かう。粘液をロックの隙間に流し込み、内部の機構を操作。カチリと音がして、ドアが開いた。
サーバールームは想像以上に広かった。中央には巨大な装置があり、青い光を放っている。
「これは…」
魔導コアと現代技術が融合した巨大なシステム。画面には世界地図が映し出され、無数の点が光っていた。各企業の制御状況を示しているのだろう。
「見つけたぞ…」
私は急いで粘液を伸ばし、メインサーバーに接続した。内部のデータを探る…
「おや、お客さんがネズミのように這い回っているとは」
凍りつくような声。振り返ると、電脳寺ドリルが立っていた。彼の瞳は冷たく光っていた。
「電脳寺さん…これは一体…」
「世界再編計画さ」彼はにこやかに答えた。「異世界と現代の融合。より効率的な世界の構築だよ」
「でも、なぜ企業を…」
「企業は現代社会の心臓部。ここを制御すれば、世界は自ずと従う」
彼の言葉に恐怖を感じた。しかし、既に私の粘液はシステムの核心部に到達していた。
「残念だが、君の探索はここまでだ」
電脳寺が手を上げた瞬間、警報が鳴り響いた。だが、予想外の警報だった。
「緊急避難指示。全システムシャットダウン開始」
電脳寺の顔から血の気が引いた。「何だ?私は命令していない!」
その時、入口から声が聞こえた。
「粘田さん!急いで!」
花子さんと小振田、そして…間苧谷部長が立っていた。部長の額からは立派な角が生えていた。完全に魔王モードだ。
「我が名にかけて、この愚かな計画を止める!」
部長が腕を上げると、サーバーから火花が散った。
「どうやって!?」電脳寺が叫ぶ。
「君の計画書を読んだよ」部長が笑った。「古い魔王の戦術だ。対策は簡単だった」
混乱する電脳寺を尻目に、私たちは急いで脱出した。建物を出ると、サーバールームの窓から青い光が漏れ、やがて消えていった。
「これで終わりか…」
部長が安堵のため息をついた。しかし、その表情はどこか物足りなさを含んでいた。
「いや、始まりだ」
私は言った。「電脳寺の野望は止めたけど、彼の言っていた『異世界と現代の融合』…それ自体は起きている」
みんなが無言で頷いた。私たち自身がその証拠だった。
「とりあえず、今日の仕事は終わりだ。一杯やるか」部長が提案した。
「乾杯は『滅びよ人間』ですか?」小振田がニヤリと笑う。
「いや、今日は違うさ」部長は珍しく柔らかい表情を見せた。「『共に生きよう、人間と異世界』だ」
私たちは笑いながら、夕暮れの街へと歩き出した。体の一部から少しだけ粘液が滴り落ちる。まだまだ、スライムの名残は消えない。
そして、遠くの屋上から私たちを見つめる一つの影…電脳寺ドリルの姿があった。彼の計画は挫折したが、彼自身は消えていない。この戦いはまだ終わっていないのかもしれない。