ショックウェーブ商談会への招集
「粘田さん、緊急事態です!」
社内がざわつく中、勇田花子が私のデスクに駆け寄ってきた。彼女の表情には普段見せない焦りが浮かんでいる。
「どうしたの?コピー機が暴走した?」
「違います!もっと大変なことに…」
花子さんが言葉を続けようとした瞬間、部長室のドアが勢いよく開いた。間苧谷部長が両手を広げ、まるで魔王の如く立ちはだかる。
「粘田ぁっ!お前、明日からショックウェーブ商談会の担当だ!」
私の体が一瞬にして床に張り付いた。スライム時代の防御反応が出てしまう。
「え?シ、ショックウェーブ商談会ですか?」
「そうだ!当社の命運を左右する大イベントだ!」部長は目を血走らせながら続ける。「他の担当者が全員インフルエンザでダウンした。残るは…お前しかいない!」
オフィス中の視線が一斉に私に集まる。床から体を引き剥がし、立ち上がろうとするが、緊張で足がぷるぷると震えている。
「で、でも僕なんかに務まるんでしょうか…」
「滅びよ人間の弱気!」部長が机を叩く。「いや、違った。粘田、お前ならできる!」
部長の額から角が生えかけたが、すぐに引っ込めた。最近は感情が高ぶると魔王の姿が出そうになるらしい。
「資料はこれだ。明日までに全部頭に入れろ!」
ドサッと机の上に積まれた資料の山。その厚さは優に30センチを超えている。
「明日…ですか?」
「そうだ!会場は新橋のグランドホテル!朝9時集合だ!」
部長は最後に「滅びよ…いや、頑張れよ!」と言い残し、部長室に戻っていった。
「大変ですね…」花子さんが心配そうに言う。「私も手伝えることがあれば…」
「ありがとう。でも、ショックウェーブ商談会って何?」
花子さんは驚いた表情で私を見た。
「知らないんですか?IT業界最大の商談イベントですよ!各社が最新技術を持ち寄って、大口顧客と商談する場です。今年はライバル企業のデンノージシステムズがメインスポンサーなんです」
「デンノージ…」
その名前を聞いた瞬間、私の体が勝手に震え始めた。スライム時代の危険察知能力が反応している。
「彼らの代表、電脳寺ドリルさんは元・異世界の鍛冶職人なんですよ」花子さんが小声で続ける。「現代でも最強のシステムを作り上げる天才として有名です」
「まさか、あの電脳寺ドリルが…」
私の頭に異世界での記憶が蘇る。ヌル山の底辺スライムだった私が、一度だけ遭遇した伝説の鍛冶職人。彼が作った武器に触れただけで、スライムの体が半分蒸発した恐ろしい記憶。
「粘田さん?顔色悪いですよ?」
「ああ、大丈夫…」
その夜、私は資料の山と格闘していた。自宅のリビングテーブルが見えないほど書類が広がっている。
「うーん、これじゃ頭に入らない…」
スライム時代の習性で、つい資料の上に体を広げて吸収しようとしてしまう。もちろん、人間の体では知識を物理的に吸収することはできない。
「よし、別の方法で…」
私は資料を壁に貼り付け、全体像を把握しようとした。粘着質の指先が役立つ瞬間だ。
資料によると、ショックウェーブ商談会は単なる商談の場ではなく、各社のプレゼンテーション合戦でもある。そして明日、私たちの会社の代表として、500人の観客の前でプレゼンをしなければならない。
「無理だ…絶対に無理だ…」
床に転がり、天井を見つめる。スライム時代なら、こんな時はただ地面に溶け込んで隠れていただろう。でも今は違う。人間として、責任を果たさなければならない。
スマホが鳴った。小振田からのメッセージだ。
「明日の商談会、頑張れ!僕もコンビニ終わったら応援に行くよ。ちなみに電脳寺は超強敵だから気をつけて。元ゴブリンとしてのアドバイスだけど、正面からぶつかるより、隙を見つけるのが吉だよ」
彼の言葉に少し勇気づけられる。そうだ、私はもう底辺スライムではない。現代社会で生きる人間だ。しかも、異世界の経験を持つ特別な存在。
「よーし、やってやる!」
夜通し資料を読み込み、プレゼンの練習をした。気がつけば朝日が昇り始めていた。
翌朝、新橋のグランドホテルに到着すると、そこは想像以上の熱気に包まれていた。各社のブースが立ち並び、最新技術のデモンストレーションが行われている。
「おお、粘田!来たか!」
部長が私を見つけ、手招きした。彼の隣には見たことのない人物が立っている。
「こちらは我が社の秘密兵器、粘田透だ」
「はじめまして」私が挨拶すると、その人物は不敵な笑みを浮かべた。
「ほう、これが噂の…」
その瞬間、ホール全体に轟音が響き渡った。ステージ上に一人の男が現れる。鋭い目つきと、鍛え上げられた体。スーツを着ているが、その下に鎧を着ているかのような威圧感がある。
「皆様、お待たせしました。本日のメインスポンサー、デンノージシステムズ代表取締役、電脳寺ドリルです!」
会場から大きな拍手が沸き起こる。電脳寺は両手を広げ、まるで異世界の王のように堂々と立っていた。
「本日は各社の最新技術を拝見するのを楽しみにしております。特に…」
彼の視線が私たちの方向に向けられた。
「特に、粘着性に優れた技術を持つ会社の発表が楽しみです」
私の背筋に冷たいものが走った。彼は知っている。私がかつてのスライムだということを。
「粘田、お前のプレゼンは3時からだ」部長が耳打ちする。「それまでに最終調整を頼む」
「は、はい…」
会場を歩き回りながら、私は頭の中でプレゼンの内容を整理していた。そんな時、人混みの中に見覚えのある姿を見つけた。
「花子さん?」
勇田花子が人混みから顔を出した。彼女は普段のOL姿ではなく、まるで元勇者を思わせる凛々しい装いだった。
「粘田さん!応援に来ました!」
「えっ、会社は?」
「有給休暇です」彼女はウインクした。「それより、電脳寺さんに気をつけて。彼、あなたを狙っているみたいです」
「やっぱり…」
「異世界での因縁があるんですか?」
「ええ、まあ…」私は首をかしげた。「でも、彼がなぜ私のことを覚えているのか不思議です。ヌル山の底辺スライムなんて、誰も覚えていないはずなのに…」
「何か理由があるはずです。とにかく、プレゼンに集中しましょう!」
花子さんの励ましに勇気づけられ、私はプレゼンの準備に戻った。しかし、会場の隅から、電脳寺ドリルの鋭い視線を感じる。
彼は何を企んでいるのか。そして、なぜ私を狙っているのか。
プレゼンまであと2時間。私の人生最大の戦いが、今始まろうとしていた。