表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

201/289

朝の奇妙な出会い

壁に張り付いたまま居眠りするというのは、一般的な会社員のあるあるではない。だが、粘田透にとっては日常茶飯事だった。


「粘田さん…粘田さん!」


声が聞こえる。だが、意識は朦朧としていた。


「もう、また壁に張り付いてる…」


女性の声。おそらく勇田花子だろう。


「おい、透!いい加減にしろ!」


男性の声。間違いなく間苧谷部長だ。


私はゆっくりと目を開けた。視界には会社のオフィスが広がっている。そして、自分の体が壁にぴったりとくっついていることに気づいた。


「あ…すみません」


慌てて体を引き剥がそうとするが、なかなかうまくいかない。スライム時代の習性は、人間になっても抜けないものだ。


「まったく…」


間苧谷部長が呆れた表情で腕を組んでいる。その目には、かすかに赤い光が宿っていた。


「昨日の視察疲れてたんですね」


花子が優しく微笑みながら、私の背中を引っ張ってくれる。おかげで、ようやく壁から離れることができた。


「ありがとう…」


私は恥ずかしそうに頭を下げた。スーツの背中には、壁の模様がくっきりと付いている。


「今日は大事な日だぞ」


部長が厳しい口調で言った。「大口顧客が来るんだ。変なことするなよ」


「はい…」


私はポケットに入れていた名刺を思い出した。斜面巻人の名刺。裏には「魔界復活計画」と書かれていた。部長に見せるべきか迷ったが、もし部長自身が関わっているとしたら…。


「粘田さん、コーヒーどうぞ」


小振田が笑顔でカップを差し出してくれた。彼は今日も元気そうだ。元ゴブリンとは思えないほど、人間社会に馴染んでいる。


「ありがとう」


コーヒーを一口飲むと、体が少し引き締まる感覚があった。


「あの、部長」


勇気を出して尋ねてみる。「今日来る大口顧客って、どんな方なんですか?」


間苧谷部長は不思議そうな顔をした。


「知らないのか?馬鹿田爆郎だ。業界では有名な大物だぞ」


馬鹿田爆郎。聞いたことのない名前だ。


「どんな…」


質問を続けようとした瞬間、エレベーターのチャイムが鳴った。


「おっ、来たようだな」


部長が立ち上がり、エレベーターホールに向かう。私たちも慌ててそれに続いた。


エレベーターのドアが開くと、そこには巨漢の男性が立っていた。赤いスーツを着て、金色の時計をキラキラと輝かせている。


「や~っす!馬鹿田でーす!」


驚くほど大きな声だった。オフィス全体に響き渡る。


「ようこそ、馬鹿田社長」


間苧谷部長が丁寧に頭を下げる。普段の高圧的な態度はどこへやら。


「ホホホ!間苧谷くん、元気そうじゃないか!」


馬鹿田爆郎は豪快に笑いながら、部長の肩を叩いた。その衝撃で、部長の頭から一瞬、魔王の角が現れかけた。


「あ…」


私は思わず声を上げそうになったが、花子が素早く私の口を押さえた。


「しっ!」


花子の目が真剣だ。彼女も気づいているようだ。この馬鹿田爆郎という人物、ただ者ではない。


「さて、今日は例の件で来たんだがね…」


馬鹿田は周囲を見回し、声を少し落とした。「話せる場所はあるかね?」


「もちろんです。会議室をご用意しております」


部長が応対し、馬鹿田を会議室へと案内する。その背中を見送りながら、小振田が小声で言った。


「あの人…ドラゴンの気配がします」


「え?」


私は驚いて小振田を見た。


「間違いありません。私、ゴブリンだった頃にドラゴンに襲われたことがあるんです。あの独特の威圧感は忘れられません」


花子も頷いた。「私も感じました。勇者だった頃の感覚が蘇る…」


「まさか…」


私たちが話している間に、会議室のドアが閉まった。中では部長と馬鹿田爆郎だけの会話が始まっているはずだ。


「どうしよう…」


迷っていると、小振田が決然とした表情で言った。


「聞き耳のスキル、まだ使えますよ」


そう言って、彼は耳を会議室のドアに近づけた。その耳は、一瞬だけゴブリンの尖った形に変化した。


「何か聞こえますか?」


花子が緊張した面持ちで尋ねる。


小振田の表情が徐々に変わっていく。最初は集中、次に驚き、そして恐怖。


「ど、どうしたの?」


花子が心配そうに聞いた。


「大変です…」


小振田が震える声で言った。「あの馬鹿田という人、本当にドラゴンです。そして…魔界復活計画について話しています」


「やっぱり…」


私はポケットの名刺を握りしめた。斜面巻人と馬鹿田爆郎、そして間苧谷部長。彼らは皆、魔界復活計画に関わっているのか。


「もっと詳しく聞こえますか?」


私が尋ねると、小振田は再び耳をドアに当てた。


「3月15日…新製品発表会…次元の扉…」


断片的な言葉が聞こえてくる。


「次元の扉!?」


花子が驚いて声を上げそうになったが、私たちは慌てて彼女の口を押さえた。


その瞬間、会議室のドアが開いた。


「何をしている?」


間苧谷部長の厳しい声。その背後には、にこやかに笑う馬鹿田爆郎の姿があった。


「あ、いえ…」


言い訳を考えていると、馬鹿田が大声で笑った。


「ホホホ!熱心な社員たちじゃないか!気に入ったよ!」


彼は私たちを見回し、特に私に目を止めた。


「君、面白い匂いがするね」


「え?」


「スライムのような…懐かしい香りだ」


私の背筋に冷たいものが走った。彼は知っている。私の正体を。


「馬鹿田社長、こちらは粘田透、我が社の新人です」


部長が紹介した。


「へぇ~、粘田くんか」


馬鹿田は私の肩を叩いた。その手は、人間離れした熱さを持っていた。


「これからよろしくな!3月15日の発表会、楽しみにしているよ!」


そう言って、彼は豪快に笑いながらエレベーターへと向かっていった。


部長は彼を見送った後、私たちに向き直った。


「何を聞いていた?」


厳しい声だ。部長の目が、再び赤く光る。


「い、いえ…何も…」


「嘘をつくな」


部長の声が低く変わった。まるで魔王時代の声のようだ。


「部長、魔界復活計画って何ですか?」


勇気を出して尋ねた。部長の表情が一瞬凍りついた。


「お前…どこでその言葉を」


「これです」


斜面巻人の名刺を見せた。部長はそれを見て、深いため息をついた。


「話すべきときが来たようだな…」


部長はオフィスを見回し、決意を固めたように言った。


「今日の業務は中止だ。全員、会議室に集まれ」


私たちは不安と緊張で体が硬くなりながらも、言われた通りに会議室へ向かった。


部長が最後に入り、ドアをしっかりと閉めた。そして、彼の額から、ゆっくりと魔王の角が現れ始めた。


「話そう。魔界復活計画について…そして、なぜお前たちのような異世界からの転生者が、この会社に集まっているのかを」


窓の外では、雲が太陽を覆い始めていた。オフィスに不気味な影が落ち、私たちの運命が大きく変わろうとしている予感があった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ