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オフィスの魔法夜話

暗くなったオフィスの片隅で、間苧谷部長が床に向かって何かを描いていた。蛍光灯の明かりをわざと消し、ペンライトだけを頼りに床にチョークで複雑な図形を描いている。


「滅びよ人間…いや、そうじゃない。戻れ我が力よ…」


部長の呟きは次第に大きくなり、描かれた図形からは不思議な光が漏れ始めた。魔法陣だ。間違いない。


その様子を、残業組の一人、煙田マドロスが偶然目撃した。


「部長…何やってるんですか?」


間苧谷は素早く立ち上がり、魔法陣の上に立って隠そうとした。


「な、何でもない!残業中か煙田くん。偉いぞ!」


「いや、部長が残業命じたんですけど…」


煙田の言葉は宙に浮いたまま、突然オフィス全体が揺れ始めた。コピー機から「ビリビリ」という音が響き、プリンターが勝手に動き出す。


「なんだこれ…」


煙田が呟いた瞬間、別室からの悲鳴が聞こえた。


---


コピー室では、勇田花子が奇妙な現象に直面していた。コピー用紙が突如宙に浮き、彼女の周りを舞い始めたのだ。


「ちょ、ちょっと!何これ!?」


パニックになった花子の手元で、シャープペンシルが光り始めた。そして一瞬で、それは長さ1メートルほどの輝く剣に変わった。


「え?これって…」


花子の目が変わる。普段の天然系OLの表情から、凛とした勇者の顔つきへ。


「魔を断つ!聖なる一閃!」


彼女は無意識に剣を振るい、宙に浮いていたコピー用紙を一瞬で切り裂いた。紙吹雪のようになった紙片が、ゆっくりと床に降り注ぐ。


「あれ?私、何してたんだっけ?」


我に返った花子は、自分の手にある剣を見て愕然とした。次の瞬間、剣は再びシャープペンシルに戻った。


「コピーを取るはずだったのに…あれ?紙はどこ?」


足元に散らばる紙片を見て、花子は首をかしげた。


---


その頃、私こと粘田透は自分のデスクで奇妙な感覚に襲われていた。体がどんどん柔らかくなり、椅子にめり込んでいく。


「あ、またか…」


スライム時代の感覚が戻ってきたのだ。慌てて体を引き剥がそうとするが、今回は違う。体が完全に液状化し始めている。


「ちょっと、マズいかも…」


パニックになりながらも、なぜか心の奥底では懐かしさを感じていた。これが本来の姿なのだと。


「粘田さん?粘田さん!?」


誰かが私を呼ぶ声が聞こえるが、もう返事もできない。視界がぼやけ、意識が遠のいていく…。


---


「粘田くん!しっかりしろ!」


目を覚ますと、間苧谷部長が私の顔を叩いていた。周りには煙田と花子も心配そうに立っている。


「あれ…僕、どうしたんですか?」


「気絶していたんだ。そして…」


部長の言葉に続き、花子が小声で付け加えた。


「粘田さん、床に溶けかけてましたよ?」


「え?」


見れば確かに、私の下半身は半透明のゼリー状になっていた。急いで意識を集中すると、何とか人間の形に戻る。


「す、すみません…」


「いや、気にするな」


部長は妙に優しい。そして彼の後ろの床には、先ほどの魔法陣の跡がうっすらと残っていた。


「部長、さっきの魔法陣は…」


「魔法陣?何の話だ?」


間苧谷は知らないふりをした。しかし彼の目は赤く光っている。


「あの、みなさん…」


花子が恐る恐る切り出した。


「私、さっきシャープペンが剣になって、コピー用紙を切り裂いちゃったんです」


「俺は煙が出せるようになった」


煙田が言うと同時に、彼の指先から灰色の煙がもくもくと立ち上った。


「何が起きてるんだ…」


私が呟くと、部長はため息をついた。


「どうやら、封印していた力が漏れ出してしまったようだな」


「封印?」


「実は私は…」


部長が話し始めようとした瞬間、エレベーターのドアが開き、コンビニの制服を着た小振田緑朗が現れた。


「やっぱりここか!魔力の波動を感じたぞ!」


「小振田さん!?」


私が驚いて声を上げると、小振田は私を指差した。


「ぷる男!お前がいたのか!」


「ぷる男って…」


「魔王様!」


小振田は間苧谷に向かって膝をつき、頭を下げた。


「よく来たな、ゴブリン長」


間苧谷の声が一段と低く響く。


「何が起きてるんですか!?」


混乱する私たちに、間苧谷はようやく真実を明かした。


「実はな、私は異世界の魔王だった。そして君たちも皆、異世界からの転生者だ」


「え?」


「粘田くんはスライムだった。勇田くんは勇者、煙田くんはドラゴン、そして小振田くんはゴブリンの長だ」


「ドラゴン!?」


煙田は自分の指から出る煙を見て、納得したように頷いた。


「でも、なぜ私たちは記憶を失ってるんですか?」


花子の質問に、間苧谷は重々しく答えた。


「それは転生の際の副作用だ。だが今夜、私が魔法陣を描いたことで、封印していた力が漏れ出してしまった」


「それで私たちの能力が…」


「そうだ。これからどんどん記憶も戻ってくるだろう」


小振田が私に近づいてきた。


「ぷる男、覚えてないのか?お前は我らゴブリン族の村を救ってくれたんだぞ」


「え?僕が?」


頭に断片的な記憶が蘇る。緑色の体で丘を転がり、小さな村に到着する自分。村人たちに歓迎される光景。


「少し…思い出してきた気がします」


「よし、それでいい」


間苧谷は満足げに頷いた。


「しかし、なぜ魔法陣を?」


「実はな…」


部長が話し始めようとした瞬間、ビルが大きく揺れた。窓の外を見ると、夜空に巨大な亀裂が走っている。


「ま、まずい!」


間苧谷の顔が青ざめた。


「何がまずいんですか?」


「異世界との境界が…薄くなってしまった」


「どういうことですか?」


「このままでは、異世界の存在がこちらの世界に流れ込んでくる」


私たちは言葉を失った。


「部長、どうすれば…」


「今夜は帰れ。明日、対策を考える」


間苧谷の声には焦りが混じっていた。


「でも…」


「いいから帰れ!明日の朝礼で説明する!」


渋々とオフィスを後にする私たち。エレベーターの中で、花子が小声で言った。


「粘田さん、怖くないですか?」


「怖いですよ…でも、なんだか懐かしいような…」


「私も…剣を持った時、体が勝手に動いて…でも、心地よかったんです」


煙田も頷いた。


「俺も、煙を出した時、なんだか自然な感じがした」


小振田だけは黙っていたが、彼の目はどこか遠くを見ていた。


ビルを出ると、夜空の亀裂はさらに大きくなっていた。そこから漏れる光は、異世界の色だった。


「明日、どうなるんだろう…」


家に帰る道すがら、私の体は時折透明になりかけた。スライムの本能が戻ってきているのだ。


明日からの生活は、きっと今までとは全く違うものになるだろう。


でも不思議と、恐怖よりも期待が大きかった。


これが本当の自分なのかもしれない。

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