収束と新たなる兆し
会場内は完全にパニック状態だった。
間苧谷部長から放たれた紫色の光が会議室を埋め尽くし、新入社員候補たちは混乱して右往左往している。私の体はまだ半分スライム状態で、床にへばりついたまま。
「これが我が軍団の真の姿だ!」
部長の声が轟く。紫色の光の中から、彼の姿が徐々に変貌していく。肩幅が広がり、頭からは小さな角が生え、背中からは翼のような何かが伸びている。
「ちょっと部長!社内ルールでしたよね?『魔王化は就業時間外に限る』って!」
花子が叫ぶが、もはや手遅れだった。
「ルールなど知らん!我が軍団に規則などいらぬ!」
完全に魔王モードになった部長は、手のひらから紫色の炎を放ち始めた。天井のスプリンクラーが作動し、水が降り注ぐ。
「ぎゃあああ!」
「助けて!」
「でもこれってVRイベント?すごいリアル!」
新入社員候補たちの反応はバラバラだ。中には興奮して写真を撮り始める者もいる。
その時、花子が立ち上がった。
「ここは私に任せて!」
花子はブースのポスターを手に取ると、何やら呪文のような言葉を唱え始めた。ポスターが輝き、透明なバリアが形成される。
「皆さん、こちらに!このバリアの中なら安全です!」
学生たちが次々とバリアの中に避難していく。さすが元勇者、咄嗟の判断が素晴らしい。
「透くん!あなたも早く!」
「う、うん…でも…」
私は必死に床から体を引き剥がそうとするが、スライム状態の足がなかなか離れない。
その混乱の中、会議室の隅で不審な動きをする男性がいることに気づいた。スーツを着た細身の男性が、パニックに乗じて学生たちのバッグから何かを抜き取っている。
「あれは…斜面巻人だ!」
彼は我が社のライバル企業、斜面商事の諜報部員。どうやら混乱に乗じて情報収集をしているようだ。
「小振田さん!あの人!」
私が指さすと、小振田はすぐに状況を把握した。
「任せてください!」
コンビニ店員の制服を着たまま、小振田は斜面巻人に近づいていく。
「お客様、何かお探しですか?」
完璧なコンビニ店員スマイルで話しかける小振田。その笑顔は異様なほど輝いている。
「な、何だ君は?関係ない、邪魔するな」
斜面巻人が払いのけようとするが、小振田の接客スキルは並ではない。
「本日は特別セールで、『ライバル企業の秘密情報収集パンフレット』が半額となっております。こちらの方が効率的かと」
完全に意表を突かれた斜面巻人は言葉に詰まる。
「そ、それは本当か?」
「はい!さらに今なら、『諜報活動バレバレ防止マニュアル』もついてきます!」
小振田の笑顔と説得力に、斜面巻人は完全に混乱している。
一方、部長の暴走は続いていた。
「我が軍団の前に跪け!契約書にサインせよ!」
紫色の炎を手に、部長が新入社員候補たちに迫る。花子のバリアが彼らを守っているが、その強度も限界に近づいていた。
「部長!いい加減にしてください!このままでは採用どころか、会社の存続も危うくなります!」
花子の叫びに、部長はハッとした表情を見せる。
「ん?なんだと?会社の存続が…?」
魔王の目に、一瞬だけ理性の光が戻る。
「そうです!このままでは株主総会で説明できません!」
その言葉が効いたようだ。部長の体から紫色のオーラが徐々に薄れていく。
「株主…総会…」
魔王の角が縮み、翼も消えていく。部長の顔に人間らしい表情が戻ってきた。
「ふむ…確かにそれは困る」
完全に正気に戻った部長は、咳払いをして姿勢を正す。
「諸君、先ほどのは当社の特殊演出だ。驚かせてすまなかった」
突然の豹変に、会場は静まり返る。
「透くん、今だ!プレゼン資料を!」
花子の合図で、私はようやく床から体を引き剥がし、急いでパソコンを立ち上げる。
「え、えーと、当社の事業概要についてご説明します」
画面に会社のロゴが映し出される。私は必死に通常のプレゼンを始めた。
「当社は人と異世界の架け橋となる…いや、人と企業の架け橋となるビジネスソリューションを提供しています」
緊張で言葉が噛み合わない。しかし、不思議なことに学生たちは真剣に聞いている。
「さっきのエフェクトすごかったですね!」
「就活イベントでこんな演出するなんて、攻めてますね!」
彼らは全てを演出だと思い込んでいるようだ。
部長は咳払いをして、再び話し始める。
「そうだ、全ては計画通りだ。我が社は常識にとらわれない発想力を重視している。今日の演出もその一環だ」
見事な手のひら返しに、花子と私は呆れつつも安堵の息をつく。
小振田は斜面巻人を巧みに会場の外へ誘導していた。
「お客様、こちらでしたら『競合他社の機密情報収集セット』を特別価格でご提供できます」
完全に混乱した斜面巻人は、小振田に言われるがままに会場を後にしていく。
プレゼンは何とか軌道に乗り、通常の会社説明会へと戻っていった。部長も普通のスーツ姿で、穏やかに質疑応答に答えている。
「当社の福利厚生は充実しており、異世界転生保険も…いや、傷害保険も完備しております」
時折言葉に魔王時代の名残が見えるものの、なんとか説明会は進行していく。
私はホワイトボードの前で説明を続けながら、ふと気づいた。自分の体の一部が透明になり、ボードに同化しかけている。慌てて体を引き離す。
「そして当社の強みは、どんな状況にも適応できる柔軟性です」
思わず自分の状態を言い訳にしてしまった。
説明会が終わり、学生たちが退出していく。彼らの表情は満足げで、中には「最高に面白い会社だ」と言いながら出ていく者もいた。
「なんとか乗り切りましたね」
花子がため息をつく。
「ああ、わが軍団の栄光は守られた」
部長も安堵の表情。
「部長、もう『軍団』とか言わないでください」
小振田が戻ってきて報告する。
「斜面商事の者は追い返しました。特製パンフレットも渡しておきました」
「パンフレット?」
「はい、中身は全部コンビニのチラシです」
小振田のずる賢さに一同失笑。
私は椅子に座り、ようやく全身が人間の形に戻ったことを確認する。
「今日はお疲れ様でした…」
そう言いかけた時、部長の携帯電話が鳴った。
「もしもし?…なに!?明日、本社から視察だと?」
部長の顔が青ざめる。
「しかも、異世界対策特別委員会の者が同行する?」
一同の表情が凍りついた。
「どういうことですか?」花子が尋ねる。
「どうやら、今日の騒動が本社に伝わったようだ…」
部長は携帯を閉じ、重々しく言う。
「明日から、本格的な調査が始まる。我々の正体が暴かれるかもしれん…」
会議室に緊張感が走る。
「でも部長、僕たちは何も悪いことはしていませんよね?」
私の問いかけに、部長は複雑な表情を浮かべた。
「それが…実は本社に報告していない『特殊能力者採用枠』があってだな…」
また新たな問題が浮上した。明日はどうなるのだろうか。
窓の外では、夕日が沈みかけている。異世界と現代が交差する不思議な一日が終わろうとしていた。