混沌の説明会
会議室の空気が一瞬で凍りついた。
「本日の社内説明会を始めます」
間苧谷部長の声が響き渡る。新入社員候補たちは緊張した面持ちで着席している。私、粘田透はというと、壁にぴったりとくっついていた。スライム時代の習性が出てしまったのだ。
「透くん、何してるの?」花子が小声で呼びかける。「早く席に戻って!」
「あ、ごめん…」
私は全力で体を引き剥がそうとするが、背中が壁から離れない。まるで強力な粘着テープで固定されたかのようだ。
「滅びよ人間ども…じゃなかった、集まってくれた皆さん!」
間苧谷部長が不気味な笑みを浮かべながら演台に立つ。その手には大きな紙袋が握られていた。
「我が社の強さを証明するため、特別な資料を用意した!」
部長が紙袋を高々と掲げる。袋からは紫色の煙のようなものが漏れ出していた。
「これぞ我が軍団…いや、我が社の実力だ!」
バッと袋を開けた瞬間、会場全体がどよめいた。
「ぎゃああああ!」
女性社員の悲鳴が響く。袋の中からは、緑色の何かの首が出てきたのだ。それは明らかに人間のものではなく、異世界のクリーチャーの首としか思えない。
「これは先日討伐した…いや、競合他社から奪取した案件の証だ!」
部長の目が異様に輝いている。新入社員候補たちは青ざめた顔で出口を探し始めた。
「部長!それはマズいです!」
花子が立ち上がって叫ぶ。「普通の説明会でそんなもの見せちゃダメですよ!」
「なぜだ?我が軍の栄光…いや、我が社の実績を示すものだぞ?」
その時だった。私の体に異変が起きたのは。
「あ、ヤバい…」
全身がムズムズし始め、体が膨張していく感覚。スライムとしての本能が暴走し始めたのだ。
「透くん?どうしたの?」
花子の声が遠くに聞こえる。私の視界が曇り、体がどんどん大きく、柔らかくなっていく。
「うわああああ!」
気づいたときには、私の体は巨大なスライム状に変化し、会議室の壁一面を覆っていた。透明な青緑色の体を通して、室内の人々の恐怖に歪んだ顔が見える。
「な、何だこれは!?」部長が叫ぶ。
「きゃあああ!壁がスライムになってる!」
パニックに陥る社員たち。私は必死に自分をコントロールしようとするが、体はどんどん広がっていく。
「み、皆さん落ち着いてください!」
花子が立ち上がり、場を仕切ろうとする。「これは…その…特殊効果です!当社の最新テクノロジーの実演なんです!」
嘘がヘタすぎて誰も信じていない。
「部長、その首をしまってください!透くんが反応してます!」
部長は首を袋に戻そうとするが、その動きが遅い。私のスライム体はさらに膨張し、今度は天井にまで到達し始めた。
「すごい…これが本当のスライムの力か…」
部長の目が輝きを増す。「我が軍団に加われば…いや、我が社の戦力になれば…」
「部長!今はそんな場合じゃありません!」
花子が叫ぶが、既に遅い。私のスライム体は会議室全体を覆い始め、人々は柔らかいゼリー状の物質に包まれていく。
奇妙なことに、パニックだった場の雰囲気が少しずつ変わっていった。
「なんか…気持ちいい?」
若い社員の一人が呟く。私のスライム体は不思議な安心感を与えるらしい。体に触れた人々が次々とリラックスしていく。
「これは…魔法か?」部長が驚いた表情で言う。
「透くん、コントロールできてるの?」花子が私のスライム体に向かって話しかける。
私は必死に意識を集中させる。すると、スライム体の一部が人型に変形し始めた。
「な、なんとか…」
私の声が会議室に響く。「みんな、落ち着いて…僕は粘田透です…」
新入社員候補たちは呆然と私を見つめている。
「これも当社の…特殊能力者です!」花子が急いでフォローする。「他社にはない人材育成の結果なんです!」
「そうだ!」部長が突然乗り気になる。「我が軍団…いや、我が社にはこのような特殊能力者が多数在籍している!入社すれば君たちもこうなれるかもしれん!」
完全に間違った方向に話が進んでいる。
「部長、それは言いすぎです…」
私のスライム体は少しずつ収縮し始め、人間の形に戻りつつあった。しかし、床にはまだ私の体の一部が粘液状に広がっている。
「これこそ我が社の真の姿だ!人間の姿をした者たちが、実は異世界からの来訪者なのだ!」
部長が興奮して叫ぶ。「入社すれば、君たちも新たな世界を見ることができる!」
新入社員候補たちの表情が変わる。恐怖から好奇心へ。
「マジですか?」一人の男子学生が手を挙げる。「それって、異世界転生モノみたいな?」
「そうだ!まさにその通り!」
部長の目が輝く。「我々は人類解放同盟…いや、人材解放企業として、君たちの可能性を解き放つ!」
「部長、それは企業秘密です…」花子が焦って制止しようとする。
しかし、部長は止まらない。「明日からこの会社は、真の姿を世に現す!人間界と異世界の架け橋となるのだ!」
私はようやく人間の形に戻りつつあったが、足元はまだスライム状態で、床にぴったりとくっついている。
「すみません…これが僕の本当の姿なんです…」
私が恥ずかしそうに言うと、意外にも新入社員候補たちから拍手が起こった。
「超クールじゃないですか!」
「これって、特殊メイクとかじゃなくて本物なんですか?」
「触っても大丈夫ですか?」
突然の人気に戸惑う私。花子は呆れた表情でため息をつく。
「まさか、こんな展開になるとは…」
部長は満足げに腕を組む。「見たか!彼らは我々の真の姿を受け入れたのだ!」
その時、会議室のドアが勢いよく開いた。
「遅れてすみません!」
小振田緑朗が息を切らせて入ってくる。元ゴブリンの彼は、今やコンビニ店員として働きながら当社の臨時スタッフもしている。
「あ、もう始まってたんですね。それにしても…」
小振田は会議室の状況を見て言葉を失う。床に半分埋まった私、興奮する部長、困惑する花子、そして妙に盛り上がる新入社員候補たち。
「…何かあったんですか?」
「ロクロウ!」部長が叫ぶ。「お前も我が軍の一員として、力を見せてやれ!」
「え?いや、僕はただのコンビニ店員ですよ…」
小振田が困惑する中、部長の態度がさらにエスカレートする。
「我々は隠す必要はない!今こそ真の力を解放するのだ!」
部長が紫色のオーラを放ち始める。これはマズい。完全に魔王モードに入ってしまった。
「部長、やめてください!」花子が止めようとするが、既に遅い。
「滅びよ人間ども!…いや、輝け新入社員たち!」
部長の叫びとともに、会議室全体が紫色の光に包まれた。
そして、予想もしなかった事態が始まろうとしていた。