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魔王の覚醒

突然、会議室の床に魔法陣が浮かび上がった。


紫色の光が渦を巻き、次第に明るさを増していく。粘田透は思わず壁に身体を押し付け、半透明になりかけた。


「な、なんだこれ…?」


誰かが小さく呟いた声が、緊張感に満ちた空気の中に吸い込まれていく。魔法陣は床から壁へ、そして天井へと広がり、会議室全体を覆い尽くした。


「ついに、この時が来たか…」


間苧谷京一部長の声が、いつもより一段と低く響く。彼の瞳が赤く灼熱し、背後に黒い翼の影が揺らめいた。


「部長、これは…」


勇田花子が立ち上がろうとした瞬間、蛍光灯が一斉に爆ぜた。ガラスの破片が降り注ぎ、会議室は闇に包まれた。


「ひっ!」


粘田は思わず床に溶け込みかけた。スライムの習性が出る最悪のタイミングだ。


暗闇の中、間苧谷部長だけが浮かび上がるように輝いていた。その姿は人間の形を保ちながらも、どこか異質な威圧感を放っている。


「滅びよ、封印の鎖よ!我が真の姿を解き放て!」


部長の言葉と共に、非常ベルが鳴り響き始めた。けたたましい音が耳を刺す中、粘田は必死に人間の形を保とうとしていた。


「これが俺の本当の力を解放する儀式だ!」


間苧谷の声が轟き、魔法陣が激しく明滅する。その光の中で、部長の姿が変容していく。スーツが黒い鎧のような装いに変わり、背中からは本物の翼が生えてきた。


「お、おい…マジかよ…」


粘田の声が震える。隣では勇田花子が静かに立ち上がり、彼女の髪が金色に輝き始めていた。


「間苧谷…いや、魔王サタンよ。またお前か」


花子の声が、いつもの天然OLとは思えないほど凛々しく響く。


「ほう、勇者よ。お前も記憶を取り戻したか」


間苧谷…いや魔王の口元が歪んだ。


「記憶など戻っていない。だが、この身体が覚えている」


花子の手が光を帯び、そこから剣の形が浮かび上がる。


「みんな、下がって!」


花子の声に、他の社員たちが会議室の隅へと逃げ込んだ。粘田だけが、恐怖で動けずにいた。


「ふん、相変わらず弱き人間を守ろうとするか」


魔王の指先から黒い炎が生まれ、テーブルに触れた瞬間、家具が灰と化した。


「滅びよ人間!今度こそ、この世界を我が手に!」


魔王の咆哮と共に、黒い炎が部屋中に広がっていく。粘田は咄嗟に床に溶け込み、炎を避けた。


「やめろおおおっ!」


粘田は恐怖を振り切り、スライムの特性を活かして床から天井へと伸び上がり、間苧谷に向かって全力で突撃した。


「なに!?」


意表を突かれた魔王の顔に、粘田の半透明の体が直撃する。だが、


「無駄な抵抗だ!」


魔王の一振りで、粘田は壁に叩きつけられた。体が粘液状に変形し、床にべったりと広がる。


「くっ…」


痛みと共に、粘田は自分の無力さを感じた。スライムとして生まれ変わったはずなのに、結局何も変わっていない。いつも通り、流されるだけの存在…。


「粘田さん!」


花子の声が聞こえた瞬間、彼女の体から眩い光が放たれた。その光は会議室全体を包み込み、魔王の黒い炎を押し返していく。


「な、何だと!?」


魔王が腕で目を覆う。その隙に、花子は光の剣を握り締め、魔王に向かって駆け出した。


「受けて立つわ、魔王!」


勇者と魔王の力がぶつかり合い、衝撃波が会議室を揺るがす。結界が砕け、窓ガラスが粉々に割れた。


「はあああっ!」


花子の剣が魔王の胸を貫く…かに見えた瞬間、魔王の姿が霧のように消え去った。


「幻影…?」


花子が呟く中、真の姿の魔王が彼女の背後に現れ、黒い炎の球を放った。


「花子さん、後ろ!」


粘田の警告も空しく、炎は花子に直撃…するはずだった。


「甘いぞ、魔王」


花子が振り向き、光の剣で炎を真っ二つに切り裂いた。その切れ味に、魔王も一瞬たじろぐ。


「やるな、勇者。だが、これでどうだ!」


魔王が両手を広げると、会議室の床から無数の黒い触手が生え、花子を捕らえようとする。


「こんなの、前にも…!」


花子は見事に触手を避け、一つ一つを切り払っていく。その動きは、まるで何度も戦いを経験したかのように洗練されていた。


粘田は床から這い上がり、自分にできることを必死に考える。そうだ、スライムの特性を活かせば…!


「魔王!こっちだ!」


粘田は自分の体を伸ばし、天井から垂れ下がるように変形した。その不気味な姿に、魔王の注意が一瞬だけ逸れる。


「その隙あり!」


花子の剣が閃き、魔王の翼の一方を切り落とした。黒い血液のようなものが床に飛び散る。


「がああっ!」


魔王の絶叫が会議室に響き渡り、残った翼を羽ばたかせて後退する。


「よくも…よくも我の翼を…!」


魔王の怒りが頂点に達し、部屋全体が揺れ始めた。天井から塗料が剥がれ落ち、床には亀裂が走る。


「このままじゃ、ビル全体が…!」


粘田の言葉を遮るように、魔王が両手を高く掲げた。


「滅びよ、人間界!我が怒りを知れ!」


その瞬間、魔法陣が魔王の足元から広がり、紫色の光柱が天井を突き破って空へと伸びていった。


「止めなきゃ!」


花子が叫び、光の剣を構えて突進する。粘田も最後の力を振り絞り、床から飛び上がって魔王に向かって飛びかかった。


「無駄だ!もう誰にも止められん!」


魔王の周りに渦巻く闇のエネルギーが、二人を弾き飛ばす。


粘田は床に叩きつけられ、半分液状化した体で呻いた。もう何もできない…。


その時、不意に会議室のドアが開いた。


「すみません、お邪魔します〜」


明るい声と共に、小振田緑朗がコンビニの袋を片手に入ってきた。


「今日はおでんじゃなくて、アイスクリームの差し入れで…え?」


小振田は目の前の光景に言葉を失った。半壊した会議室、天井を突き破る光柱、そして魔王と化した部長と、勇者の姿の花子。


「あ、小振田くん、危ない!」


粘田が警告したが、小振田はニコニコと笑いながら魔王に近づいていく。


「部長さん、アイスどうですか?暑い日には冷たいものが一番ですよ〜」


「邪魔するな、愚かな人間!」


魔王が小振田に向かって黒い炎を放った。だが、小振田は驚くべき俊敏さで避け、魔王の目の前に立った。


「ほら、バニラですよ〜。魔界にはないでしょ?」


小振田の無邪気な笑顔に、魔王の動きが一瞬止まった。


「バ、バニラ…?」


「そうですよ〜。人間界最高の発明品ですよ〜」


小振田がアイスを差し出す。魔王は警戒しながらも、その香りに誘われるように手を伸ばした。


その隙に、花子が魔王の背後から接近し、光の剣を振り上げた。


「今だ!」


剣が魔王の背中に触れた瞬間、紫色の光柱が弱まり始めた。魔王の体から黒いオーラが抜け、通常の間苧谷部長の姿に戻っていく。


「な、何が…起きた…?」


部長は混乱した様子で周囲を見回した。魔法陣は消え、会議室は半壊したままだが、異常な現象は収まりつつあった。


「部長、大丈夫ですか?」


花子が駆け寄る。彼女の姿も普通のOLに戻っていた。


「あ、ああ…なんだか頭が痛くて…」


部長は頭を抱えながら椅子に座り込んだ。


「魔王の力が暴走したんですね」


小振田が冷静に分析する。「でも大丈夫、アイスで落ち着きましたよ」


「ど、どういうこと…?」


粘田が床から這い上がりながら尋ねる。


「魔王の弱点はね、実は甘いものなんです」


小振田がにっこり笑った。「ゴブリン族の間では有名な話ですよ」


「きみ、やっぱりゴブリン…?」


「元ゴブリンです!今はコンビニ店員!」


小振田は誇らしげに胸を張った。


会議室の混乱が収まる中、部長はアイスを口に運び、深いため息をついた。


「すまない…魔王の力が時々暴走することがあってな…」


「大丈夫ですよ、部長」


花子が優しく微笑んだ。「私たちも同じ転生者ですから」


粘田は自分の体が完全に人間の形に戻ったことを確認しながら、今起きたことを整理しようとした。だが、何か引っかかる点がある。


「でも、なんで急に魔王の力が…?」


部長は少し考え込んでから答えた。


「実は…今日は魔界の『魔王の日』でな。力が暴走しやすい日なんだ」


「魔王の日?」


「ああ、魔界の祝日だ。まぁ、日本で言えば『社長の誕生日』みたいなものだな」


なんとも間の抜けた理由に、粘田は思わず苦笑した。


「それで会社が半壊するなんて…」


「修理費は私が出す」


部長は素直に謝った。「来月のボーナスから削るがな」


「えぇっ!?」


全員が声を揃えて抗議した。


「冗談だ」


部長が久しぶりに人間らしい笑顔を見せた。「保険で何とかなる。『魔王暴走特約』に入っているからな」


そんな特約があるのかと思いながらも、粘田は安堵のため息をついた。


「ねぇ、部長」


花子が尋ねた。「私、さっき勇者の力を使えましたよね?どうしてですか?」


「おそらく、魔王の力に反応して目覚めたのだろう」


部長は真面目な表情で答えた。「魔王と勇者は、常に互いを呼び合う存在なのだ」


「なるほど…」


花子は自分の手を見つめた。そこにはもう光の剣はない。


「でも、これからどうするんですか?」


粘田が尋ねる。「また魔王の力が暴走したら…」


「心配するな」


部長が立ち上がり、残ったアイスを口に運んだ。


「これからは常に甘いものを持ち歩くことにする。魔界の弱点を克服するのも、人間界での生活には必要だからな」


小振田が嬉しそうに手を叩いた。


「それなら、コンビニの新商品情報、いつでもお知らせしますよ!」


会議室の窓から差し込む夕日が、半壊した部屋を赤く染めていた。明日からの仕事がどうなるのか、修理はいつ終わるのか、様々な不安はあるものの、粘田は少し安心していた。


結局のところ、魔王も勇者も、この世界では同じ会社の仲間なのだ。


「さぁ、今日は早く帰ろう」


部長の提案に全員が賛同した。粘田は自分の体が完全に人間の形に戻ったことを確認し、鞄を手に取った。


スライムだった前世も、今の人間の姿も、結局は自分自身。どんな形であっても、この不思議な仲間たちと一緒なら、何とかやっていける気がした。

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