会議室の魔力
会議室のドアが開き、社納院マイノスが堂々と入ってきた。彼の一歩一歩が床を震わせ、威圧感が波のように広がる。
「お待たせしました、皆さん」
マイノスの声は低く、会議室全体に響き渡った。彼の目は鋭く、まるで獲物を狙う猛禽類のようだ。
「今日は重要な案件について話し合いましょう」
私は椅子に座ったまま、無意識に床に足をくっつけていた。スライム時代の癖だ。緊張すると体が勝手に何かに張り付こうとする。
「粘田さん、大丈夫?」
隣の花子が心配そうに声をかけてきた。彼女の顔は普段の天然OLそのものだが、目の奥には元勇者の鋭さが宿っている。
「あ、はい、大丈夫です」
私は慌てて足を床から剥がした。ズルッという嫌な音がしたが、幸い誰も気づいていないようだった。
マイノスはプロジェクターを起動し、スクリーンに「業務効率化計画」というタイトルを映し出した。
「我が社の生産性向上のため、新たな施策を導入したいと思います」
彼の説明が始まった。数字とグラフが次々と映し出される。驚くほど論理的で説得力がある。しかし、どこか違和感を覚えた。
「この計画により、残業時間を50%削減し、利益率を30%向上させることが可能です」
会議室の空気が重くなる。誰も反論できないほど完璧なプレゼンテーションだ。しかし、その内容は社員にとって過酷な労働条件が隠されている。
そのとき、間苧谷部長が咳払いをした。
「マイノスくん、素晴らしい提案だが、我々にも一案ある」
部長はニヤリと笑い、私と花子に目配せした。これは昨日の密談で練った作戦だ。
「粘田、花子、頼むぞ」
私たちは立ち上がり、急いで資料を配った。タイトルは「スライム式超時短プラン」。
「こ、これから私たちの案を発表します」
緊張で声が震える。花子が横で頷き、私にバトンを渡した。
「このプランの核心は…」
深呼吸して、一気に言い切った。
「全社員をスライム化することです!」
会議室が凍りついた。マイノスの表情が一瞬歪んだ。
「スライム化?何を馬鹿な…」
「いいえ、真剣です」
花子が自信に満ちた声で続けた。
「スライムは休息時間が少なく、分裂して複数の業務を同時にこなせます。また、体が柔らかいので狭いスペースでも快適に過ごせるため、オフィス面積の縮小も可能です」
私も勢いづいて説明を加えた。
「さらに、食費も大幅削減。スライムは水と少量の栄養素だけで生存可能です。通勤ラッシュの問題も解決します。スライムは薄く伸びて隙間を通り抜けられますから」
会議室は混乱の渦に巻き込まれた。
「冗談じゃない!」
「そんな非人道的な…」
「でも、コスト削減効果は…」
様々な声が飛び交う中、マイノスは口元を押さえ、震えていた。怒りか笑いか判断できない。
「確かに面白い発想だが、現実的ではない」
彼はようやく冷静さを取り戻したように言った。しかし、その目には不安が浮かんでいる。
「我々の計画の方が…」
その時だった。間苧谷部長が立ち上がり、両手をテーブルについた。
「滅びよ人間!」
部長の叫びは雷のように響き渡った。全員が凍りついた。
「いや、すみません。乾杯の挨拶と間違えました」
部長は軽く咳払いをしたが、その声には魔力が宿っていた。
「しかし、マイノスくん。我が社の強みは『人間らしさ』だ。効率だけを追求するのは、我々の企業理念に反する」
部長の言葉には不思議な説得力があった。会議室の空気が変わり始める。
「そうですよね!」
「部長の言う通りです!」
社員たちが次々と同意し始めた。マイノスの顔から血の気が引いていく。
「しかし、数字が示す通り…」
マイノスは必死に反論しようとしたが、部長の魔力に満ちた言葉の前には無力だった。
「数字だけが全てじゃない。我々は『人間』だ」
部長の言葉に、全員が頷いた。マイノスの提案は徐々に支持を失っていく。
会議室の空気が一変した瞬間、マイノスのスマホが震えた。彼は画面を確認すると、表情が曇った。
「この場は退こう…」
彼は小さく呟くと、急に立ち上がった。
「申し訳ありません。急用が入りました。この議論は後日改めて」
そう言い残し、マイノスは不自然な早さで会議室を後にした。ドアが閉まる直前、彼の影が一瞬だけ牛の形に歪んだように見えた。
「やったね、粘田さん!」
花子が小声で喜んだ。私も安堵のため息をついた。
「さすが部長。『滅びよ人間』の一言で場の空気を変えましたね」
「ふん、かつての魔王の威厳だ」
部長は鼻を鳴らした。
「しかし、マイノスの様子がおかしかったな。何か隠している」
確かに、マイノスは最後、どこか余裕のない表情をしていた。スマホに表示された内容が気になる。
「彼、本当に牛の悪魔なのでしょうか?」
花子が首をかしげた。
「ミノタウロスの可能性もある。いずれにせよ警戒が必要だ」
部長は腕を組んで考え込んだ。
「粘田、明日の小振田との会合で何か情報を得られるかもしれん。気をつけろよ」
「はい」
私は頷いたが、内心は不安でいっぱいだった。コンビニ店員の小振田が元ゴブリンだと知ったのは最近のこと。彼が味方なのか敵なのか、まだ確信が持てない。
会議室を後にする時、床に私の足跡がべったりと残っていることに気づいた。スライムの粘液が漏れていたようだ。慌てて拭き取ろうとしたが、
「あら、粘田さん。また床に張り付いちゃったの?」
花子が笑いながら言った。
「緊張すると出ちゃうんです…」
恥ずかしさで顔が熱くなる。しかし花子は優しく微笑んだ。
「大丈夫よ。それがあなたの個性なんだから」
彼女の言葉に少し救われた気がした。
会議室を出ると、オフィスは普段通りの光景が広がっていた。しかし私には分かっていた。この日常の下に、異世界の力が潜んでいること。そして私自身も、その境界に立つ存在だということを。
明日、小振田との会話で何か手がかりが得られるだろうか。胸の奥で、スライム時代の本能が静かに蠢いていた。