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魔界研修の混迷

朝六時、新橋駅の集合場所に着くと、すでに数名の社員が集まっていた。全員が不安げな表情を浮かべている。当然だ。昨日突然告げられた合宿だもの。


「おはよう、透くん」


後ろから声をかけられて振り返ると、花子が大きなリュックを背負って立っていた。髪を一つに結び、動きやすい服装だ。まるで冒険に出かける勇者のよう…って、彼女は本物の元勇者だった。


「花子さん、その格好は…」


「何かあったときのために」彼女は小声で言った。「昨日の緑朗さんのこと、気になって眠れなかったの」


私も同じだった。一晩中、部長の企みについて考えていたら、気づけば朝になっていた。


「全員揃ったな!」


間苧谷部長の声が響き渡る。彼は黒いスーツに身を包み、まるで葬式の喪主か、はたまた魔王の即位式でも執り行うかのような厳かな雰囲気を漂わせていた。


「では出発するぞ!滅びよ人…じゃなかった、頑張れ社員諸君!」


またやった。部長の魔王時代の癖が出た。周りの社員たちは気にした様子もなく、彼の言葉を「ただの変な上司の言動」として受け流している。知らないんだ。彼が本物の元魔王だということを。


---


奥多摩に到着すると、私たちは山奥の古びた旅館へと案内された。周囲には人の気配がなく、ただ森の音だけが響いている。


「ここが研修場所か…」


旅館に入ると、フロントに誰もいない。部長は構わず中に入り、大広間へと私たちを誘導した。


「諸君、今回の研修の本当の目的を教える」


部長の声が変わった。低く、重々しく、かつての魔王の威厳を思わせる声色だ。


「これは『魔界式研修』だ」


社員たちからどよめきが上がる。


「冗談きついっす…」

「魔界って何すか?」


「冗談ではない」部長は右手を掲げた。「私はかつて魔界の王だった。そして今日から三日間、諸君たちには魔界の洗礼を受けてもらう」


その瞬間、部長の手から赤い光が放たれ、天井に謎の魔法陣が浮かび上がった。社員たちは悲鳴を上げる。


「透くん!」花子が私の袖を引っ張った。「やっぱり部長、何か企んでる!」


「うん…でも何を?」


部長は続ける。「この研修で生き残った者だけが、新たな世界秩序の一員となれる」


生き残る?新たな世界秩序?まさか本当に…


「第一の試練、始めるぞ!」


部長が手を打つと、床から突如として黒い液体が湧き出してきた。それは床全体に広がり、見る間に足首まで達する。


「これは魔界の泥だ。この中から研修資料を探し出せ!制限時間は一時間!」


私は思わず声を上げた。「冗談じゃない!こんなの無理だよ!」


「粘田!」部長が私を指差した。「お前はスライムだった。この程度、朝飯前だろう?」


周りの社員たちが一斉に私を見る。


「え?スライム?」

「粘田さん、何の話?」


「くっ…」


花子が私の肩に手を置いた。「透くん、大丈夫。私がいるから」


彼女の手から微かな光が漏れている。元勇者の力だ。


「諸君、始めるぞ!」部長の声が響く。「さあ、魔界の洗礼を受けるがいい!」


---


黒い泥の中で社員たちが必死に資料らしきものを探している。私も腰まで泥に浸かりながら手探りで探していた。


「これ、普通の泥じゃないよね…」


触った感覚が妙に懐かしい。スライムだった頃の記憶が蘇る。


「あっ」


思わず体が反応して、床に張り付いてしまった。スライム時代の習性だ。するとどういうわけか、泥が私の周りから引いていく。


「透くん、すごい!」花子が驚いた声を上げる。「泥が避けてる!」


確かに私の周りだけ泥がなくなり、床が露出している。そこには一枚の紙が。


「これだ!」


紙を手に取ると、そこには「魔界融合計画」と書かれていた。


「見つけたぞ!」


部長が私の前に立ちはだかる。「さすがだな、粘田。だがそれは見つけてはならなかったものだ」


「部長…これは?」


「私の真の計画書だ。人間界と魔界の融合…」


その時、突然の悲鳴が上がった。振り返ると、花子が両手を頭に抱え、うずくまっている。


「花子さん!」


彼女の周りに青い光が渦巻き始めた。魔力だ。


「だ、大丈夫…ただ、急に…」


彼女の言葉が途切れた瞬間、彼女の体から魔力が爆発的に放出された。衝撃波が部屋中を駆け巡り、窓ガラスが割れ、壁に亀裂が入る。


「制御できない!」花子が叫ぶ。


部長が唇を噛みしめた。「予想より早すぎる…勇者の力が覚醒するのは明日のはずだった」


「部長、何を言って…」


その時、旅館の入り口から声が聞こえた。


「遅くなってすまない!」


振り返ると、そこには小振田緑朗が立っていた。彼はもうコンビニの制服ではなく、緑色の鎧のような装備に身を包んでいる。


「緑朗さん!」


「間に合ったか」彼は部長を見据えた。「魔王、やはり貴様の仕業だったな」


部長は冷ややかに笑った。「ゴブリンの分際で、よく来たな」


「もはやゴブリンではない。私は人間界と魔界の調停者だ」


緑朗の手には奇妙な杖がある。それを掲げると、花子の周りの魔力が徐々に収まっていった。


「皆さん、落ち着いてください」緑朗が全員に向かって言った。「これは研修ではありません。間苧谷部長…いや、魔王サタンの計画なのです」


社員たちは混乱し、パニックになっている。


「透くん」花子が弱々しい声で私を呼んだ。「私、思い出したの…部長が魔王で、私が勇者で…あなたがスライムだったこと…」


「花子さん…」


部長…いや魔王は高らかに笑った。「もはや隠す必要はない!私の計画は既に始まっている!」


彼が手を上げると、天井の魔法陣が激しく輝き始めた。


「人間界と魔界の融合が始まる!そして新たな世界の支配者となるのは私だ!」


緑朗が私と花子の方を向いた。「二人とも、力を合わせるんだ。彼の計画を止めないと」


私はスライムだった頃の本能を呼び覚まし、花子は勇者としての力を取り戻しつつある。そして緑朗は…元ゴブリンながら、不思議な力を持っているようだ。


三人で魔王に立ち向かう。なんとも奇妙な状況だが、今はそれしかない。


「よし、やろう」


私は床にぺたりと張り付きながら前進し始めた。スライム時代の動き方を思い出しながら。


魔界研修は始まったばかり。そして私たちの戦いも、ここから本番だ。

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